Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
見世編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔見世編〕大田南畝関係
(遊郭・芝居・商家・料亭等)
【い】※◯は欠字、◎は表示不能文字
店名(屋号)詞書・詩歌出典巻・頁年月日
いずき
いづ喜
「春雨、柳花苑に宴す、狂歌并びに序
 柳花苑は躋寿館の南にあり。かの千草万木をなめて、五昧八珍をあぢはひ給ひし神の御徳にあやかり、こゝに高どのく出居をまうけて、いづ喜とよべる旗亭あり。春は青柳のいとかけ鯛に、なびくみどりのみだれ酒をくみ、夏は嵆康が柳かげに鰹のさしみの庖丁を鍛ひ、秋は一葉のちり蓮花にはつたけのうす葛をすくひ、冬籠の茶碗むしに鳥の子の十づゝ十も、雪をれのなき枝をかさねてまとゐするもの日々にたえず。まづ落付の吸物に赤みそをあげて、上がたの白味噌をわらひ、すまし汁の塩梅をちよっと一口すいぜんじのり地になりてのみ過ず。瓊筵をひらきて花にうかれ、羽觴を飛して月の夜も雨のふる日も一しほゆかしと、桃李園の序の声色をつかひて、柳花園の記とするもおかし。今日こゝにあつまりて、酒をのむものはたそ、文蝶北馬の画にたくみなる人、伊勢伝福甚の興にのる人、詩は吾山、役者は杜若と、世にきこえたる駿河町の名妓になんありける
 春雨にぬるゝとかしりながらおりたつ脛のしろきをぞみる
 雨ふれば柳の糸の長/\と長さかもりもかつはうれしき」
六々集②231文化12年
1815/02/
いずみや
和泉屋 (魚屋)
日本橋いづみやのもとに肴もとめにつかはすとて
 あたらしき肴もとめにこゆるぎのいそぎの使のあしにほん橋
あやめ草②79文化7年
1810/07/
新場いづみやにて夜鰹を詠める
 ながながと長生をしてくふもよし新さかな場の秋の夜鰹
放歌集②198文化9年
1812/07/
いずみや
泉屋 (書肆)
「とし比うつし置る灘酒譜といへるふみをかし失ひしてみえずになりにしを、ことしむつき十一日、浅草新寺町泉屋といへるふみひさぐあるじの、わが南畝文庫といへるおしでをしるしとして求め置たりとて、おくれるもうれしくて
 うしなひし浮世の灘の酒の名も南畝文庫にたち帰る波」
紅梅集②320文化15年
1818/01/11
いずみろう
泉楼
「御廩前(オクラマエ)街の泉楼の壁に題す
 中歳行蔵附酒巵 俸銭何得有余資 小楼半日閑如此 看尽人間一局碁」
〈文化八年十一月十五日付、竹垣柳塘宛書簡に「夜は泉楼にて三升【団之助三光】と傾盃酒申候」とある泉楼と同じ酒楼か。⑲243〉
南畝集8
漢詩番号1549
④20寛政1年
1789/04/
いせでん
伊勢伝
「伊勢伝のもとより鴨の毛をいれたる茵(シトネ)をおくりけるに
 へりとりのみつ蒲団より鴨の毛をいれたる茵の毳にしくものぞなき
 今ぞしる毳(ニコゲ)をきたる仙人の錦の茵いらぬものとは」
紅梅集②354文政1年
1818/10/
「神風のいせ伝は、はし鷹のゑとりやしきの、ふるきをたづねて、あたらし橋のほとりにすめり。つとにおき、よはにいね、その家の業におこたりなきをたゝえて
 ざうしがやせんだ木のむら雀すずめの千声鷹の一こゑ」
あやめ草②94文政4年
1821/12//
「いせ伝のもとより、蕙斎が画がける料理通のさし画の賛をこふ
 蝶や夢鴬いかが八百善が料理通にてみたやうな顔」
あやめ草②100文政5年
1822/02/
いせや
伊勢屋 (深川)
二軒茶屋いせ屋にて、けふは鰹なければなましき鮭調じて出しけるに【此日河岸にて鮭の価こがね二歩なりしと魚ひさぐものゝ咄なり】
 弥生から鰹のみゆる年なれば夏のはじめに出しはつ鮭
紅梅集②338文化15年
1818/04/
いせや はんすけ
伊勢屋半助(茶屋)
「堺町茶屋いせや半助がもとにて よい客の入来るふくの神風やいせやがみせはいつもはん昌」巴人集甲辰②435天明4年
1784/02/
いづつや
井筒屋(大坂新町)
「ことし浪花の新町に、江戸のよし原を学びて桜をうへて、井筒屋といへる揚屋よりやつがれが歌をこふ
 植そめてさいた桜やちりぬらん瓢箪町に駒がいさめば
 思ひきや過し月夜の井筒屋にくるわの花のさかりみんとは」
紅梅集②362文政2年
1819/03/
いっすいろう
一酔楼 (日本橋)
「九月朔、諸子と同じく一酔楼に過る 十年過隙白駒啼 壁上曾留一酔題 今日重携諸酒伴 同来仍旧又如泥
【楼、油町西厩新道に在り】」〈日本橋通油町〉
南畝集20
漢詩番号4307
⑤435文化14年
1817/09/01