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見世編 【ひ】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔見世編〕大田南畝関係
【百川楼】(ひゃくせんろう・ももかわ)(日本橋 浮世小路) ※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「冬日、城東の諸生と百川楼に飲す
 城外旗亭会列仙 雄談大鳴屠門前 先駄小妓搊三線 欲共長鯨吸百川 葉落肉林霜自脆 杯飛肴核味愈鮮
 此郷旧足浮生巷 酔夢茫々絶世縁」
南畝集13
漢詩番号2364
細推物理
④284
⑧395
享和3年
1803/10/23
「十一月三日 本町四丁目伊豆蔵の主管、桃李園紀軽人が遨頭にて、百川楼に宴す
 桃李園記
 桃李のものいはぬは、女郎花のかしがましきにまさり、柳桜の都の錦は、菊紅薬の栗栖野にこえたり。こゝに花の江戸のまん中、もとつまちのほとり、桃李園の序開をいはゞ、かの天地は万物の旅龍町にちかく、光陰は百川の過客なるべし。花氈をひらいて花に坐し、さかづきを飛して月に酔ふあまり、桃青が句に李白が詩をあはせて、桃李の園となし、桃栗三年柿のもと人丸かぶりの出赦題、口からももの園生を出て、口もかろく、紀も軽人のうた袋にらく書す。 四方山人
細推物理⑧397享和3年11/03
「夏日、城東の百川楼に宴す【時に桃李園将に西遊せんとす】
 誰道長鯨吸百川 百川楼上此開筵 下簾新樹来薫吹 倚檻紅塵隔翠煙 肴核頻傾千石酒 閭閻近接万商淵
 坐中有客遊京洛 為誦東都賦一篇」
南畝集14
漢詩番号2445
④313文化1年
1804/05/
「百川楼に諸子に留別す 欲解関山万里憂 城東置酒百川楼 行人安穏帆無恙 大海秋風小九州」〈長崎赴任〉南畝集14
漢詩番号2476
④322文化1年
1804/07/
「むつきの比、百川楼のあるじに莫大海といふものをおくるとて 千金の春の光は莫大の海にながるる百川の水」
〈莫大海(バクダイカイ)は中国の柏樹の果実。水に戻して海綿状になった果肉を掬い取って刺身のつまなどにする〉
をみなへし
千紅万紫
②26
①255
文化4年
1807/03/
「百川楼の宴集。詩聖堂集を読んで詩仏主人の「鴬谷小集」の韻を和す
 自古人才有一石 何人数斗得称平 酒聖兼伝詩聖集 雕得清新撰得精 摛藻春葩芳郁々 琢章秋月玉瑩々
 百川楼上酒如海 群賢少長共同傾 一詠一觴恣謔浪 半醒半酔避浮名 或遊玉府観書画 或向滄浪濯塵纓
 生天成仏執前後 慧業文人誰主盟 茫々苦海迷津者 一見詩中古先生」
南畝集17
漢詩番号3327
⑤149文化7年
1810/01/
「夏夜、百川楼に宴す
 一輪明月百川楼 邂逅新知憶昔遊 自別黄公壚上婦 河山邈矣奈離憂」
南畝集18
漢詩番号3785
⑤285文化10年
1813/05/
「池 桐孫 無絃の五山詩話八編成る。一日、諸老先生を邀へて百川楼に宴す。世人、詩話の歳々一編を成すを以て、戯れに諸れを一九生の海駅小説の嗣ぎて幾編をか出だすに比す。故に七八之に及ぶ
 百川傾瀉琉璃瓶 折簡詩仙聚酒星 擲地宮商金与石 分流清濁渭兼涇 歳探佳境耽甘藷 月品新詩拾瑞蓂
 五十三亭已行八 猶余四十五長亭」
南畝集18
漢詩番号3922
⑤322文化11年
1814/08/17
「百川楼に西肥の梯季礼に邂逅す。予、季礼を見ざること三十年。季礼、大窪誌仏と碁を囲む
 西肥東海望悠々 離別真如風馬牛 偶閲人間碁一局 已経三十余歳余秋」
南畝集18
漢詩番号3924
⑤324文化11年
1814/09/
「詩仏の百川楼の集ひ
 如是我聞詩仏会 浮生巷裏幾千人 行厨香積沾甘露 飛蓋車塵転法輪 師子一牀諸弟座 天竜八部百川浜
 散花美女来游戯 雪裏金文玉偈新」
南畝集19
漢詩番号3964
⑤339文化12年
1815/01/
「洞津の津坂 達 拙脩、都下の諸賢を邀へて百川楼に宴す。時に歴代絶句類選の刻新たに成る
 勢与洞津々与勢 互為唇歯以財雄 書窓別有陳詩者 唐宋元明清国風」
「又 送春詩酒会名流 新著編成任客求 欲読子雲千首賦 須登東海百川楼」
〈『歴代絶句類選』は拙脩の実父津坂東洋の著書。前年の文化11年、地元の津で出版。その江戸披露宴か〉
南畝集19
漢詩番号4028-9
⑤355文化12年
1815/03/
「書画会は多く百川楼、万八楼にてあれば
 万八の六書六法五七言落れば同じ百川の水   おそろしや書画の地獄の刀番つるぎの山をふむ草履番」
七々集
万紫千紅
②261
①291
文化12年
1815/10/
「勝田 済 鹿谷、諸君を邀へて百川楼に宴す
 暁雨晴来裛路塵 満楼書画幾千人 百川不厭長鯨吸 樽酒新開瀑水春」
南畝集19
漢詩番号4153
⑤389文化13年
1816/03/
「五車亭主人、客を百川楼に邀へて北堂の七十を寿し、亀鶴図を以て題と為す
 堂背栽萱日 旗亭献寿筵 新開亀鶴図 更接蓬莱仙 丹頂期千載 青縁曳百川 南山歌幾曲 与酒共如泉」
南畝集19
漢詩番号4264
⑤419文化14年
1817/03/
「勝田 済 鹿谷の四十寿筵に百川楼に集ふ
 楼前春雨灑通衢 鯨吸百川傾玉壷 四十寿筵何所楽 腹中書巻掌中珠」
南畝集20
漢詩番号4334
⑤443文化15年
1818/01/
「池 桐孫 五山、災後百川楼を借りて諸賢を邀ふと聞き、賦して贈る
 池魚災厄及門墻 賀燕新営築室堂 楼借百川傾酒海 賦論千首擅詞場 囂塵近市心愈遠 鴻雁来賓客作行
 未得肩輿扶脚疾 徒歌伏櫪撫胡床」
〈「老驥伏櫪 志在千里」心は盛んだが歩行ままならず、座して胡座をかくのみ〉
南畝集20
漢詩番号4499
⑤491文政2年
1819/08/
「勝田 済 鹿谷、諸君を邀へて百川楼に宴す
 肩輿一向百川楼 七十衰翁雑壮遊 近日杜康交欲絶 不知何以且忘憂」
南畝集20
漢詩番号4526
⑤498文政3年
1820/03/16
「十月望、百川楼より酔帰す
 月白風清十月望  (七字欠) 百川楼下乗輿去 恍似坡仙歩雪堂」
南畝集20
漢詩番号4571
⑤511文政3年
1820/10/15