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名所編 【な】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
【中村座】(なかむらざ)※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「記辛丑顔見世
 花の顔見世四天王 宿直(スクネ)着綿(キセワタ)路孝娘 秀鶴三升互に坐を譲る 吉治万菊共に粧ひを凝す
 中村の里近し門之助 尾上松高し宗十郎 乙女の姿は晩風に随て去り 板東一の藝金箱に満つ

  右中村座」〈「四天王宿直着錦」〉
檀那山人藝舎集①455天明1年刊
1781/11/
「ことの中村座春狂言の名題を江戸花三升曽我といふ。去年の冬、江戸花海老といへるふみつくりける事を思ひ出て。花道のつらねがもとに申つかはしける 小本から大名題をも江戸の花みます曽我とははからざりしを」巴人集②391天明3年
1783/01/15
「壬寅中村座秋狂言
 高雄紅葉の美人の顔(カンバセ) 伊達の風流不破の関  別に三升が三本傘有り 札銭雨の如く入り山の如し」
〈「伊達染仕形講釈」〉
檀那山人藝舎集①470天明4年刊
1784/03/
「菅原伝授の狂言大あたりなりときゝて 中村座 人の目はくもらぬ天下一面の菅原伝授手ならゐかゞみ」
「観戯場 本院時平車上乗 梅桜忠義向松凝 讒言一入筏沈浪 斎世親王菅相丞」
放歌集②160
②162
文化8年
1811/07/
「堺町二番目狂言、台頭霞のいろ幕の仕組よろしければ 鴬の笠や三勝だいがしら梅のさくしやの出来し二番目」
〈中村座「台頭霞彩幕」〉
放歌集
書簡185
②177
⑲248
文化9年
1812/01/21
「三月十二・十三日、波字号の救火夫、大いに中村園の劇場を鬧がす 戯台三月扮鐘魔 波字衣号如乱麻 蛺蝶群飛諸悪少 狂風吹散満園花」【侠客の綽名、蝶々久】〈町火消のは組〉南畝集18
漢詩番号3616
⑤237文化9年
1812/03/12
「三月尽の日、道成寺のわざおぎをみて 行春の竜頭にたれか手をかけん思へば此かねけふの入相
 にせ紫鹿子道成寺のわざおぎをみて 紫はにせか何かはしら拍子祇園守りに人のいり筒」
〈中村座「清水清玄面影桜」清玄・中村歌右衛門大評判〉
放歌集②185文化9年
1812/03/29
「中村座三番叟、翁七三、千歳明石、三番叟芝翫つとめしとき
 ほのぼのと明石に七三三番叟芝がくれゆく幕おしぞ思ふ」〈「ひらがな盛衰記」序幕〉
放歌集
書巻270
②185
⑲270
文化9年
1812/09/
「乙亥秋日劇場の事を紀す
 芝翫は去んぬ 市鶴は之れが奴と為り 来芝は飛んで逃ぐ 江子(エドツコ)曰く
 坂に三の津有り 狂言冷色鮮矣人(スクナイカナジン)」
七々集②255文化12年
1815/09/
「三十石よふねのはじまりの狂言を室町と名をかへてせし時、見物多しときゝて
 一刻の千両役者のぼり舟三十石の直段はるの夜」
〈中村座「東山殿劇場段幕」。「三十石艠初」は寛政元年、市村座初演〉
紅梅集②332文化15年
1818/03/
「六月四日即事   天令我見五人男 向暑先涼昨夜嵐 雁金布袋雷安野 極印打収千両箱」
「さかい町雛屋にて 名に高き五人男を見にくればこゝもなにはの雛屋町かな」
〈中村座「仕入染雁金五文」雁金・市川団十郎、布袋・中村芝翫、雷・松本幸四郎、安野・坂東三津五郎、極印・関三十郎〉
紅梅集
巴人集拾遺
②342
②495
文政1年
1818/06/04
「中村座鉢の木のわざをぎに最明寺は秀佳、しろたへは芝翫なり
 鉢の木の雪のさかりのしろたへにふるときよりであたり給へや」
「富本豊前掾受領してはじめての浄るりに三升・路考がわざおぎなりければ
 受領して豊前の掾と成田屋の藝はまさごのつきぬはまむら」〈「北条時頼記」と「大切所作事」〉
紅梅集②353文政1年
1818/09/
「堺町雪 評判はよそからつもる雪つぶてあたりはづれの堺町かな」をみなへし②6未詳
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