(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人) |
交遊 | 詞書・漢詩・狂歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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ばいいじん 梅惟人 | 「公修・君節・惟人と同じく温之に集ふ | 南畝集1 漢詩番号0143 | ③41 | 明和9年 1772/10/ |
「梅惟人、牛に駕して梅を杉田に看ると聞く。因りて此の寄せ有り | 南畝集4 漢詩番号0523 | ③185 | 安永7年 1778/02/ | |
はいげんどう 佩絃堂 | 「佩絃堂の宴集に井 潜 四明先生の八十五才して致仕するを賀し奉る 経術紛綸君所業 児孫共唱九如章」 | 南畝集18 漢詩番号3939 | ⑤327 | 文化11年 1814/11/ |
はぎの きゅうし 萩野求之 (萩野孔平) | 「春日、肥前文学石井仲車、邀へて馬景徳の松琴楼に宴す。雲藩萩野求之・薩州世子侍読赤崎彦礼・藝州文学頼千秋、及び堀口孟一・爽鳩子允・井子瓊・鈴猶人と同じく賦す | 南畝集7 漢詩番号1305 | ③452 | 天明6年 1786/02/ |
「春雨、新橋の酒楼に重ねて石井仲車の肥前に還るを送る。頼千秋・萩野求之・爽鳩子允・古昔陽・真野氏・福富氏・劉子調と同じく賦して咸韻を得たり 「新橋の酒楼に賦して席上の諸君に呈す | 南畝集7 漢詩番号1321 杏園詩集三 | ③457 ⑥85 | 天明6年 1786/03/ | |
「春日、石仲車、邀へて麹坊の鶴巣楼に飲す。赤崎彦礼・稲垣恵明・爽鳩子允・萩野求之・馬景徳・辺道壱・岡故完・原子文・井子瓊・鈴一貫・春菶仲と同じく賦して佳字を得たり」(南畝集7) 「天明八年戊申二月廿一日、鶴巣亭に集ひ、韻を分かつ」(遊娯詩草) | 南畝集7 漢詩番号1417 杏園詩集三 遊娯詩草 | ③491 ⑥89 ⑥295 | 天明8年 1788/02/21 | |
はくししょうにん 白獅上人 | 「白獅上人洞簫を好む。一洞簫有り。放下着と名づく。蓋し逸品なり。上人逝きて茲に二十五年。門人安富氏一曲を吹く。髣髴として其の人を睹るが若し。因りて賦す | 南畝集9 漢詩番号1816 | ④115 | 寛政4年 1792/09/ |
「甘露門に尺八有り。放下着と名づく。白獅上人の吹く所の者なり | 南畝集18 漢詩番号3876 | ⑤309 | 文化11年 1814/02/ | |
はくすい 白水 (姫路藩) | | |||
はくりゅう 白竜道人 (長崎) | 「白竜道人の寄せらるるを和す 「其の二 「其の三 | 南畝集15 漢詩番号2629-31 | ④369 | 文化2年 1805/01/ |
ばけいとく 馬景徳 | 「春日、馬景徳の楼上に佐賀文学石仲車の肥前に帰るを送る 此会為関離別意 停杯転愛夕陽遅」 「春日、馬景徳に集ふ。席上、爽鳩子允の韻に和す | 南畝集5 漢詩番号0917-8 杏園詩集二 | ③315 ⑥62 | 安永10年 1781/02/ |
「秋夜、馬景徳の松琴楼に宴す | 南畝集5 漢詩番号0990 | ③339 | 天明1年 1781/07/ | |
「春日、肥前文学石井仲車、邀へて馬景徳の松琴楼に宴す。雲藩萩野求之・薩州世子侍読赤崎彦礼・藝州文学頼千秋、及び堀口孟一・爽鳩子允・井子瓊・鈴猶人と同じく賦す 此時邂逅論心客 尽是朱門席上珍 【馬景徳、城西麹街に居す】」 「春日、馬景徳の松琴楼に諸君と同じく石井仲車の肥前に還るを送る。侵韻を得たり 才尽西方美 歌慙下里音 論交頻屈指 移坐且聴禽 祖道攀楊柳 松風鼓瑟琴 丈夫軽一別 何用涙沾襟」 「春日、馬景徳の席上に薩州世子侍読赤崎彦礼の韻を和す 寥々天下知音少 此会尋常豈可求」 | 南畝集7 漢詩番号1305-7 | ③452 | 天明6年 1786/02/ | |
「春日、石仲車、邀へて麹坊の鶴巣楼に飲す。赤崎彦礼・稲垣恵明・爽鳩子允・萩野求之・馬景徳・辺道壱・岡故完・原子文・井子瓊・鈴一貫・春菶仲と同じく賦して佳字を得たり」(南畝集7) 「天明八年戊申二月廿一日、鶴巣亭に集ひ、韻を分かつ」(遊娯詩草) | 南畝集7 漢詩番号1417 杏園詩集三 遊娯詩草 | ③491 ⑥89 ⑥295 | 天明8年 1788/02/21 | |
「春雪、佐賀書記石井仲車、麹街の鶴巣楼に邀飲す。頼千秋・樺公礼・関叔成・爽鳩子胤・稲垣恵明・西川子璉・井子瓊・源博甫・馬景徳と同じく賦す 酔来極目城門外 春雪霏霏散近郊」 | 南畝集8 杏園詩集続編 漢詩番号1591 | ④36 ⑥91 | 寛政2年 1790/02/ | |
「春日、馬景徳と同じく樹王山成就院に遊ぶ 且向松陰柳坐石 浮生半日弄潺湲」 | 南畝集8 漢詩番号1598 | ④38 | 寛政2年 1790/02/ | |
はざま 間 | 「間氏の六十の寿詞 | 南畝集19 漢詩番号4033 | ⑤357 | 文化12年 1815/04 |
はしづめ らいすけ 橋爪 頼助 | 「橋爪氏の崎陽に之くを送る 「当年其御地詰橋爪頼助は文雅も有之、書画等好候故至て心易御坐候」(長崎の中村李囿宛「書簡189」⑲250) | 南畝集18 漢詩番号3602 | ⑤233 | 文化9年 1812/02/ |
はしづめ 橋爪 | 「(逸題) | 南畝集18 漢詩番号3886 | ⑤312 | 文化11年 1814/03/ |
「十七夜、橋爪氏の鰲背山房に飲す 「其の二 | 南畝集18 漢詩番号3920-1 | ⑤322 | 文化11年 1814/08/17 | |
「夏日、橋爪氏の鰲背山房に過る【山房、品川浮洲の森に有り】 「其の二 | 南畝集19 漢詩番号4050-1 | ⑤361 | 文化12年 1815/05/ | |
「橋爪氏有喜寿(ウスキ)の森の別荘を鰲背山房といふ。さつきのもちに、人々とともに酒のみ月をみる時つくれるはうた 琴つめならぬ三筋の糸に、ばちはあたろといふたがむりか、かめの尾山の酒の海に」 | 六々集 | ②239 | 文化12年 1815/05/15 | |
はしづめかんぺい 橋爪 寛平 | 「盃托銘【橋爪寛平の求に応ず】 次第に酒がまはらば舌のまはらぬ事もあるべし」 | 放歌集 | ②196 | 文化9年 1812/05/ |
はた かなえ 秦 鼎 | 「尾陽の秦鼎の訪はるるの韻を次ぐ | 南畝集7 漢詩番号1330 | ③460 | 天明6年 1786/04/ |
「尾陽の秦鼎の寄せらるるに酬ゆ 愧我吏情仙骨少 何時抱袖一銜杯」 | 南畝集8 漢詩番号1704 | ④73 | 寛政2年 1790/09/ | |
はた せいち 秦 星池 | 「清明節、秦 其馨 星池、諸君を邀へて万八楼に宴す | 南畝集19 漢詩番号3999 | ⑤348 | 文化12年 1815/02/28 |
「五月廿八日、家を携へて舟を泛べ、両国橋の南に在つて煙火の戯を観る。秦 其馨 星池・佐藤 通 普斎の妓を携へて隣舟に在るを見る 「其の二 | 南畝集19 漢詩番号4174-5 | ⑤395 | 文化13年 1816/05/28 | |
はたなか 畑中 | 「畑中氏の養女、牡丹を画く | 南畝集19 漢詩番号4214 | ⑤406 | 文化13年 1816/09/ |
はたなか せいがく 畑中 西嶽 | 「春雪、畑中西嶽の宴集に賦して寄す | 南畝集20 漢詩番号4339 | ⑤444 | 文化15年 1818/02/ |
はしもと 橋本 | 「夏日、藤本蔵・橋本氏・山士訓と同じく山君忠に宴す。林字を得たり【君忠の東隣司天台】 | 南畝集3 漢詩番号0485 | ③168 | 安永5年 1776/06/ |
はちの へあわじ 八戸 淡路 | 「同じく(南部藩)八戸淡路といふ人のために | 六々集 | ②216 | 文化11年 1814/11/ |
はっく せんりてい 千里亭 白駒 | 「初冬、山道甫・山士訓・野美卿・と同じく高田の徳星亭に集ふ。錦江・白駒二生、酒饌を携ふ | 南畝集4 漢詩番号0577 | ③203 | 安永7年 1778/10/ |
「冬日、山士訓・蘇百順・錦江・白駒二生と本行寺に遊ぶ。林字を得たり | 南畝集4 漢詩番号0586 | ③204 | 安永7年 1778/10/ | |
「至日、山士訓・山道甫・蘇百順・河益之・白駒生と同じく榎氏に集ふ。士訓の韻を次す | 南畝集4 漢詩番号0605 | ③211 | 安永7年 1778/11/03 | |
はなのや みちより 花の屋 道頼 | 「(八月)十五日 新材木町なる花の屋道頼(中略)その叔父なるものゝ七十の賀のうたをこふ 花のやにてよめる歌 | 細推物理 | ⑧387 | 享和3年 1803/08/15 |
ばぶんよく 馬文翼 | 「尾州の馬文翼の筆を恵むを謝す。其の韻を歩す | 南畝集7 漢詩番号1491 | ③512 | 天明8年 1788/11/ |
はやし じゅっさい 林 述斎 | 「林祭酒の蝋炬二十枝を賜ふを謝す | 南畝集18 漢詩番号3831 | ⑤296 | 文化10年 1813/11/ |
はら いしごろう 原 石五郎 | 「(中丸子村にやどりけるに、農夫原石五郎が家に其先祖梶半兵衛尉の帯たる古刀一口あり。今日その霊をまつりて鼓うち笛ふきて神楽をすすむ。名づけて大原明神といふ。かゝる田舎にその祖を祭る事のいみじく、歌よみてつかはしける | 玉川余波 | ②145 | 文化6年 1809/03/15 |
はら ごがく 原 五嶽 | 「松樹篇を賦して讃陽の原五嶽の六十を寿す【五岳、明詩礎なる者を選す】 自看仙鼎流膏好 何譲仙翁肘後方」 | 南畝集4 漢詩番号0546 | ③193 | 安永7年 1778/04/ |
はらだ かんぞう 原田 寛蔵 (幕臣) | 「三日、原田 寛 寛蔵の大乗院の寓居に過るを謝す | 南畝集15 漢詩番号2648 | ④374 | 文化2年 1805/03/03 |
「春日、崎陽の客舎に原田寛蔵の東都に還るを送る 安得秋来瓜自熟 還郷相与一周旋」 | 南畝集15 漢詩番号2654 書簡番号98 | ④376 ⑲139 | 文化2年 1805/03/ | |
ばらんてい 馬蘭亭 | | |||
はりまやしんえもん 播磨屋 新右衛門 | 「神無月六日、蚕庵にて、播磨屋新右衛門が扇に | 紅梅集 | ②314 | 文化14 1817/10/06 |
はる まごじろう 春 孫次郎 (長崎) | 「崎陽の春生、漁父の磁像を贈る | 南畝集18 漢詩番号3740 | ⑤273 | 文化10年 1813/01/ |
ばんくんど 伴君度 (中神順次) | 「春日、諸子に寄す | 南畝集5 漢詩番号0936 | ③322 | 安永10年 1781/03/ |
「夏夜、岡田 恕 忠卿邀へらる。鈴 恭 白藤・伴 守節 君度と同じく賦す | 南畝集16 漢詩番号2905 | ⑤22 | 文化3年 1806/06/ | |
「五日前一夕、蜷川君・伴君度と同じく松平君【縫殿頭】の閣に集ふ | 南畝集18 漢詩番号3631 | ⑤241 | 文化9年 1812/05/04 | |
ばんちゅうじゅん 伴忠順 | | |||
はんようし 潘用祉 (清人) | 「清人潘用祉に畳和す | 南畝集15 漢詩番号2727 | ④398 | 文化2年 1805ウ08/ |