Top浮世絵文献資料館交遊編
交遊編 【し】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
【逍遙亭】(しょうようてい)(加保茶元成の別荘)※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「冬日逍遥亭詠夷歌序
 たはれ歌は人のわらひのたねをまきて、よろづの人の口まめとはなりけらし。あるはうき世をまゝのかはらけまち(土器町)、くだけてもとのもくあみが落栗庵、あるは本町二丁目の、いと屋にあらぬはらから(腹唐)の秋人がよききぬた庵など、月次の会たへずぞなんありける。こゝに京町何がし屋のあるじ、此道をたしみて、名におふかぼちやのへたならぬ言のはをのべ、梨壺の五町のうらなる逍遙亭の山里にして、ともに心をやり水のめいぼくと、けふのまとゐのあるじまうけをなんなしけらし。われも硯のすみの江の岸におふてふわすれ草の、ねぼけし夢のかよいぢもわすれがたく、かしあみ笠にしのぶ山、またことかたの道もたどらまほしく、たゞ一ぱいの茶づけくふ間に、はしがみのはしをけがしぬ。たとひ時うつり客さり、むかひの桃灯ゆきかふとも、みせすがゝきのいとたへず、絵半切の末ながう、くどうも/\此会に、おいでなんしといふ事しかり。天明ときこゆる二とせ霜月廿日あまり四日になん

 狂歌師の引つくろはぬ衣紋坂うちつれてゆく昼中の町」
〈吉原連、加保茶元成の狂歌会、開催案内。元成は吉原京町大文字楼主人、村田屋市兵衛の狂名〉
四方のあか①139天明2年
1782/11/24