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寺社名 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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すいげつあん 水月庵 | | |||
ずいこうじ 瑞光寺 (京都) | 「瑞光寺に元政上人の墓に謁す 〝細き道をたどりゆきて見れば、木立ものふりたるかげにかこひして、竹三竿たてり。前に香炉をおく。不断の香は霧なるべし。これ上人の墓也とみるに、涙もとゞまらず。あまたたびぬかづきて、たちいでながら、ふところにものせししろがね一つぶとうでゝ、庫裏なる僧にたのみ、上人の牌前に手向よといひすてゝいそぎ出れば〟 | 南畝集12 漢詩番号1958 | ④162 | 享和1年 1801/03/10 |
ずいこうじ 瑞光寺 (大坂) | 「余、夙に草山集・扶桑隠逸伝諸書を読み、元政上人之風を欽ふこと久し。去歳、浪華に祇役し、便道もて京師深草の里に過り、瑞光寺に入りて上人の墓に謁す。今春、浪華天満郷の瑞光寺の訓堂禅師、元政上人書する所の詩一幅を贈る。因りて其の韻を歩し、併せて以て謝し奉る。之を均しく瑞光寺なり。一は京師に在り、一は浪華に在り。教禅異なりと雖も、其の名一なり。亦奇ならずや 附けたり元政上人の詩「孟冬十三日、飯高の雪の朝 「沢庵の書幅の背に題して訓堂師に寄せ、元政の詩幅を恵むを謝す | 南畝集12 漢詩番号2100-1 | ④201 | 享和2年 1802/02/ |
ずいしょうじ 瑞聖寺 (白金) | 「臥雲禅師肩輿を以て迎へらる。途中の口号 莫是麻源第三谷 臥雲深処到僧寮」 「慈光院の萩花 【本邦、古へ萩を称して芳宜花と曰ふ】 | 南畝集17 漢詩番号3393・4 | ⑤170 | 文化7年 1810/08/ |
「雲林庵【白金の紫雲山瑞祥寺、慈光院の後に在り】 | 南畝集18 漢詩番号3754 | ⑤276 | 文化10年 1813/02/ | |
すぎのもりいなり 杉森稲荷 (新材木町) | 「下町稲荷社三十三番御詠歌 五番 新材木町 杉森いなり 六番 同所 | 序跋等拾遺 | ⑱574 | 安永3年 1774/02/11 |
すさきべんてん 洲崎弁天 | 「洲崎天女宮 | 南畝集6 漢詩番号1277 | ③439 | 天明5年 1785/05/ |
すくなびこな 少彦神祠 | 「少彦神祠に題す | 南畝集2 漢詩番号0318 | ③109 | 安永3年 1774/11/ |
すけいなり 祐稲荷 (新場) | 「下町稲荷社三十三番御詠歌 十六番 新場 祐いなり | 序跋等拾遺 | ⑱576 | 安永3年 1774/02/11 |
すみよし 住吉大社 (大坂) | 「墨江 吟眸更入煙波裏 黛色遥分淡路洲 瑞がきのひさしくきゝし住吉の浦の見るめもわすらればこそ けふぞみるすみよしの郡すみよしの里の名におふ住吉の浜」 | 南畝集12 漢詩番号1991 蘆の若葉 | ④171 ⑧191 | 享和1年 1801/04/26 |
「春の日の長井の浦に長ゐして、契し人をまちわびて、尾生が信にはたがへども、たちかへるとて苫やの柱に、すみの江の岸によるから来る人をまつは久しきものとしれ。これは蕪坊が歌也。享和二のとし元日すみよしに詣でけるに、蕪坊とくきて帰りけるよしをきゝて、苫屋の柱に書つけるうた 「住吉の茶屋にて | 万紫千紅 巴人集 | ①301 ②448 | 享和2年 1802/01/01/ | |
蜀山百首 清好帖 | ①313 ⑳384 | 文化15年 1818/01/ | ||
すみよし 住吉神社 (佃島) | 「古謡を紀す | 南畝集19 漢詩番号4305 | ⑤430 | 文化14年 1817/07/16 |
すわみょうじん 諏訪明神社 (柴崎村) | 「諏訪大明神社は弘仁二年にしづもりますときゝて | 玉川余波 | ②131 | 文化6年 1809/02/21 |
すわじんじゃ 諏訪神社 (長崎) | 「諏訪の神会 若狂終日人皆酔 応与周時八蜡同」 | 南畝集15 漢詩番号2746 | ④405 | 文化2年 1805/09/15 |