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(浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物) |
人名 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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もじろく 文字六 | 「文字六といへる豊後節の浄瑠璃をかたれるもの仙台浄瑠璃をかたりければ 同じく地獄破りといへる淨るりをかたりけるが折しも祇園の祭りの夜なれば | をみなへし | ②11 | 未詳 |
もと の もくあみ 元 木阿弥 | 「もとの木あみ、あけらかん江とゝもにから衣橘洲のもとにあそびて | 巴人集 | ②410 | 天明3年 1783/06/ |
「人丸・赤人・玉津島の御影を今様の女風俗にゑがきて、木阿弥・ないし・やつがれにわかちて、たゝえごとを乞ものありし中に、人丸をよめる | 巴人集 | ②420 | 天明3年 1783/10/ | |
「もくあみ初会の日、算木有政が扇にあみひく所のかたかきたるの狂歌せよといへば | 巴人集 | ②429 | 天明4年 1784閏01/03 | |
「落栗庵もとの木網、水無月廿八日に身まかりしときゝて 昔水神の森に剃髪して、遂に浅草の寺の辺で身まかりしなり」 | 放歌集 千紅万紫 | ②157 ①244 | 文化8年 1811/06/28 | |
ももせ こうげん 百瀬 耕元 | 「百瀬耕元の碑 耕元先生、姓は源、諱は久継、字を子延とよぶ。元文二年丁巳に信濃岡筑摩郡中山南谷上瀬黒村といふ所に生る。寛延元年戊辰江戸の大城の下に来り、長雄耕雲の父朗翁に書を学び、其業を尽す事を得たり。明和二年乙西より大城の南、麻布のほとりに居て書を授く。其門に入るもの千をもてかぞふ。世に称して百瀬流といふこれ也。文化十一年甲戊の夏六月十八日終りて歳七十八なり。赤坂川勝山法安寺に葬れり。門人力をあはせて浅草大悲閣のかたはらに一ッのいしぶみをたて、予をして其事をしるさしむる事しかり | 六々集 | ②229 | 文化12年 1815/03/ |