Top        浮世絵文献資料館  時候編
 
   時候編・春大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔時候編〕 大田南畝関係
  【書き初め・試筆】(かきぞめ・しひつ)
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「年初に,壬申年【文化九年】 蜀山
 又ことし扇何千何百本書ちらすべき口びらきかも
 歳初偸得病除閑 世事千般附一刪 怯説俗情先掩耳 欣看児戯始開顔 詩催鼓吹梅辺 雲失波濤雪後山
 如此春寒唯有酒 主人未酔客休還」
一簾春雨⑩504文化9年
1812/01/
「壬申試筆 又ことし扇何千何百本書ちらすべき口びらきかも」放歌集
一簾春雨
②176
⑩503
文化9年
1813/01/01
「癸酉試筆 お出には及ばぬことを老らくのはるは来けりはるは来けり」千紅万紫
一簾春雨
①252
⑩506
文化10年
1813/01/
「大つごもりの装束榎に狐火見んといひ、洲崎の朝日を七つ起して拝さんといひ、元日の翁わたし、二日は茶屋にゐの日の約束もありましごとにて、年礼の膝栗毛にむちうち、日傭のかみの諸太夫を召連て、大きな玄関の上り下りに、二日三日の光陰を費しぬ。もいくつねて正月とおもひし幼心には、よほどおもしろき物なりしが、今は節分の豆も片手に余り、松の下も度々くぐりて、鏡餅には歯もたゝず、金平牛房は見たばかりなり。ましても酒と肴に悪まれず、一盃の酒に憂きをわすれ、一椀の吸物に舌をうつて、二挺鼓の音をおもひ、三絃枕の昔を忍ぶ。やみなん/\、わが十にあまりぬ頃は、詩は李杜の腹をゑぐり、文は韓柳が金玉をつかまんとせしも、郷里の小児に腰骨折られ、世俗の塵埃に目口を塞ぎて、いつしか白髪三千丈、かくのごときの老父となりぬ。狂歌ばかりはいひ立の一藝にして、王侯大シ人の掛物をよごし、遠国波濤の飛脚を労し、犬うつ童も扇を出し、猫引芸者もうら皮を願ふ。わざおぎ人の羽織に染られ、女のはれぎぬにも、そこはかとなく書散しぬ。これや吉書はじめともいふなるべし
 詩は五山役者は杜若似和嘉(傾はかの)藝者は御勝料理八百善」
巴人集拾遺②480文化11年
1814/01/