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   絵師編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔絵師編〕   大田南畝関係
  【た】※実際に揮毫したかは問わない。◯は欠字、◎は表示不能文字
絵師詞書・詩歌出典巻・頁年月日
たいがどう
大雅堂
「池霞樵の「漠々たる水田白鷺飛ぶ」の図に題す
 水気汪々千頃田 山光曖々遠村煙 一行属玉飛無迹 満目秧針緑刺天」
南畝集12
漢詩番号2085
④197享和2年
1802/01/
「大雅堂の書を得
 魚◎(ウケ)に麗(ナラ)ぶ鱨鯊なり  君子酒有り旨くして且つ多し
 名を三嶽と署す霞樵の印     大雅堂名無きを奈何せん
 日本橋の南四日市        買ひ得たり青銭二十の波
 請ふ看よ世上文無(モンモウ)の者 千人万客日に往過することを」
七々集
巴人集拾遺
②253
②492
文化12年
1815/08/
「値を購ずる事ならずして、買失ひしもの胸憶の中に往来して、忘るゝ事あたはず」
〈二幅。大坂にて買い洩らす〉
一話一言補遺3⑯436文化7年
1810/
「雅量補」「書画は逸品に入るべし。畢竟一点の俗気なし」仮名世説⑩567文政7年
1824/08閏刊
だいじょう
大城禅師
「嬉野駅に宿す。壁上、黄檗大城禅師の題画二句を掛く。足して一絶をなす
 翠黛秋容帰点綴 茅廬冷静足金風 金風吹尽玄冬至 霜白寒煙駅舎中」
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2760
⑨82
④409
文化2年
1805/10/11
たいほう
大鵬
「重陽前一夕、大鵬の画竹、宋紫岩の画蘭の二幅を得たり。喜びて賦す
 鵬公独生竹 宋子数茎蘭 願添明日菊 無使此盟寒」
南畝集15
漢詩番号2746
④405文化2年
1805/09/08
たに ぶんいち
谷 文一
「市川蝦十郎浪花にかえるを送るとて、文一子の画ける蝦に題するうた
 市川市蔵市鶴、ことし蝦十楼新升と改名して難波にかへるを祝して
 あらたなるかへ名をみます市のつるなにはの芦はいせの大蝦」
七々集②261文化12年
1815/10/
たに ぶんちょう
谷 文晁
「清人銭 徳 位吉が文晁画の二画に題するを和す
 安坐罷牛背 飄風何律々 村笛雑樵歌 如従金石出 右牧童
 半日芦中客 長江雨後天 得魚還買酒 帰去楽天然 右漁夫」
南畝集15
漢詩番号2706・7
④392文化2年
1805/07/
「文晁のかける鬼箭のゑに 一筋に思ふ心は目にみへぬ鬼の箭ながらたつる錦木」あやめ草②70文化7年
1810/03/
「写山楼主人の図に題す 曾為筑石行 有嶺字寒水 今見写山図 覚与彼山似」南畝集18
漢詩番号3822
⑤295文化10年
1813/10/
「沢村源平が名を源之助と改るを祝して、文晁の寒菊の画にかきて贈る
 寒菊の花のかほみせ霜月の春まつ曽我の源之介成」
紅梅集②315文化14年
1817/11/
「助六狂言ありし時、文晁の画る桜の画に
 花の雲鐘は上野歟浅草の風情なりけるけしきなりけり」〈玉川座三月興行「助六由縁江戸桜」〉
紅梅集②362文政2年
1819/03/
「文晁の画がけるかんかんおどり かんかんの踊りをみても本のつめむかしの人の名こそわすれね
 文晁の故妻幹々といふ、唐画をよくせり」
あやめ草②86文政4年
1821/06/
「谷文晁の山水図に題す 曾伝院画風 後入南蘋局 酔墨淋漓中 時々見本色」南畝集20
漢詩番号4614
⑤523文政4年
1821/08/
「谷文晁の山水を画けるを題す
 数間茅屋両三松 雖有柴門不見蹤 金殿玉楼何足羨 南窓寄傲膝堪容」
南畝集20
漢詩番号4618
⑤524文政4年
1821/09/
たちばな ちかげ
橘 千蔭
「橘千蔭のかける百足の画に賛をこふ 深谷氏
 百の足千蔭の手もてうつし絵は猶よろづよをこめ多聞天」
放歌集
千紅万紫
②157
①242
文化8年
1811/07/