◯『浮世絵師便覧』p213(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝和翁(クワヲウ)菱川氏 姓名年代詳ならず〟
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(95/103コマ)
〝菱川和翁【年時不詳の人】其の伝詳ならず〟
◯『菱川師宣画譜』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十二年(1909)七月刊)
(『浮世絵鑑』第一巻所収・国立国会図書館デジタルコレクション)
△は他書の引用文 〔~〕は引用元
菱川和翁(44/50コマ)
〝△本姓を知らず 菱川派の有力者として 享保に至る迄出板を続く〔板画考〕
△浮世絵の諸伝記皆之を逸したるが故に 其の何人に学べるや 将た何年代の作者なるやを 詳らか
にせずと雖も 其肉筆款名に菱川和翁と署せるものあるのみならず 画風も亦全く菱川派に属す云々
技巧敢て師重に劣ることなくして 画相較々活気あり 蓋し師宣門下有数の一名手なるべし〔浮世絵
派画集〕
(編者(宮武外骨)曰く)浮世絵鑑の編纂補助者渡部虹衣子 編者に告げて曰く「菱川和翁とは英一蝶の
別号ならんか、其筆勢の一蝶に似たる所あるのみならず 一蝶が「和央」又は「和応」と号せし由は
其伝記に出る所にして 又一に和翁とも号して 菱川風に描きしとき 其款識を用ひしにはあらずや
尚その一考に資すべきは 一蝶の和央又は和応は花街に於ける号なりと云ひ、四季の絵跋に拠れば
一蝶若年にして花街に遊べる折 菱川流の時勢粧を描写したりと自白し居れば 老後の戯墨にも菱川
和翁の匿名を用ひしならんと思ふの一事なり云々」編者その当否を知らず
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝和翁 菱川氏、本姓桑原氏、風葉軒、桑子師薫と落款〟
〝和夕 師薫和翁と同印なれば、其筆意の似たる点より推して、和夕、後には和翁となりしか、又は師弟
父子の関係あるか〟
◯『浮世絵師伝』p224(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝和翁
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】元禄
菱川を称す、桑原氏、画名を師薫といひ、風葉軒と号す、肉筆美人画あり。一説に、和翁は又和応・和
央などともいひて、一蝶と同一人ならむと言へれど、未だ確証を見ず、恐らくは別人なるべし〟
◯『浮世絵と版画』p178(大野静方著・大東出版社・昭和十七年(1942)刊)
〝和翁 大和画風葉軒和翁画、大倭画菱河陰子和翁図等書したるものあり、師宣門人ならんといふ、正徳
頃〟