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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ うたまさ 歌政 二代
(沼田月斎・峨眉丸)
浮世絵師名一覧
〔天明7年(1787) ~ 元治1年(1864)6月29日・78歳〕
☆ 享和二年(1802) ◯『女学林大全教鑑』峨眉丸月斎書・画 享和二年刊(国文研画像〕 奥付「書画一筆 東都峩眉丸〔月斎(印)〕」「喜多川哥政筆」菱屋九兵衛板 序「大義春述〔月斎(印)〕」 ☆ 文政三年(1820) ◯『北斎麁画』一冊 葛飾戴斗(北斎)画(文政三年刊・金沢美術工芸大「絵手本DB」) 刊記「東都画工葛飾戴斗筆 尾陽名古屋 校合門人 月光亭墨仙/戴璪/北鷹/
月斎哥政
」角丸屋甚助他板
〈月光亭墨仙が哥政初代、月斎哥政は哥政二代〉
☆ 没後資料
◯『葛飾北斎伝』p329(飯島半十郞(虚心)著・蓬枢閣・明治二十六年(1893)刊) (葛飾北斎の門人) 〝月斎歌政 江戸の人。沼田氏。『絵入今川講訳』を画く。織田杏斎氏曰く、歌政は、墨僊の門人ならん と。されど『伝心画鏡』の奥附に、「門人歌政」とあれば、北斎の門人なるべし〟
〈『伝心画鏡』は葛飾北斎画、文政元年(1818)刊〉
◯『浮世絵師便覧』p220(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝歌政(マサ)名古屋の人、北斎門人、月斎と号し、又荷舟と号す、沼田氏、◯文政、明治〟 ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝歌政 北斎門人、沼田氏、諱は正民、俗称半左衛門、月斎荷舟、又は凌雲峩眉丸と号す、名古屋の人、 元治元年六月廿九日没、七十八歳、峩眉丸を見よ〟 ◯「日本小説作家人名辞書」p721(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊) 〝峨眉山人 峨眉丸と同人であろう。沼田政民、字は士彜、通称は半左衛門、尾張の藩士、画を百斎墨僊に学び、二 世歌政と称す。元治元年(1865)六月二十九日歿、年七十八。「五色の絲屑」(寛政十一年(1799)刊) の作者〟 ◯『浮世絵師伝』p8(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝歌政 二代 【生】天明七年(1787) 【歿】元治元年(1864)六月廿九日-七十八 【画系】初代歌政(墨僊)門人【作画期】文化~天保 名古屋藩士、沼田氏、名は政民、字に士彜、俗称半左衛門、月斎又は凌雲と号す、文化元年大御番組と なり、禄百五十石を食む、代官町水道先筋西南角に住せり(名古屋市史学芸篇第四項に拠る)。 文化年間師の旧名歌政を継いで其の二代目となる、又其の頃北斎の名古屋に遊びし際、彼は北斎に就て 学ぶ所ありしが、それより文政天保を経て漸次浮世絵に遠ざかり、張月樵・山本梅逸等に就て専ら南画 の風を学び、よく一家を成すに至りしが、嘉永六年断然画壇を退き、余生を風流韻事に托したりき。北 斎の名古屋滞在中に画きし『伝心画鏡』の奥附に、校合門人、月光亭墨僊・戴璪・北鷹・月斎歌政とあ り、其他彼の挿画本としては『絵本今川状』二册(文政八年版)あり。墓所名古屋禅寺町含笑寺(禅宗)、 法名拮往院凌雲月斎居士。 因に、彼と月斎峨眉丸とを同一人とする説あれども、疑ふべき点甚だ多し(峨眉丸の項参照)〟 ◯『浮世絵年表』p159(漆山天童著・昭和九年(1934)刊) ◇「寛政八年 丙辰」(1796) 〝(慶遊斎歌政の略伝記事中に)葛飾北斎に学ぶに及びて、歌政の号を其門人沼田月斎に譲れり〟 △『増訂浮世絵』p218(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝月斎歌政(二代) 名古屋藩士で、牧墨僊の門人となり、墨僊の前は歌政を譲られ、その二代をついだ。沼田氏、名は政民 字は士彜、俗称を半左衛門といふ。月斎又は凌雲と号した。文化元年大御番組となる。北斎の名古屋来 遊の時、就いて学び、後ち張月樵、山本梅逸等の就き南画の風を画く。北斎の名古屋で画いた『伝心画 鏡』の奥付の校合門人として、月光亭墨僊、戴璪、北鷹、月斎歌政とある。以てその門人であることは 明かである〟