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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ うんぽう おおおか 大岡 雲峰
浮世絵師名一覧
〔明和2年(1765) ~ 嘉永1年(1848)・84歳〕
※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」 〔狂歌書目〕:『狂歌書目集成』
☆ 寛政八年(1796)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(寛政八年刊)
大岡雲峰画
『百さへつり』一帖 尚左堂窪俊満画・等琳筆・雲峰山夏部筆 後巴人亭光序 蔦屋重三郎板
◯「絵入狂歌本年表」
〔目録DB〕(寛政八年刊)
大岡雲峰画
『百さへづり』一帖 後巴人亭光序 蔦屋重三郎他板 等琳筆〔雪山印〕尚左堂窪俊満画・雲峰山夏部筆・尚峰◎画 ☆ 文化八年(1811)
◯「寸紙不遺」〔南畝〕⑯口絵(文化八年三月二十日明記)
〈「寸紙不遺」は南畝の貼込帳。文化八年三月二十日、村田雲渓主催の書画会(於池之端蓬莱亭)を報知する引札。山本 北山の書と雲峯の花鳥画が刷り込まれている。出品者は書家として北山・桂園・詩仏(大窪)・米菴(市川)・牛山 (筧田)・東洲(佐藤)、そして南畝。画家は翠雲(山本?)・金陵(金子)・曲阿(清水)・閑林(岡田?)・痴斎 (谷文一)・董烈(井戸?)・(大岡)雲峯〉
☆ 文化十二年(1815)
◯『【江戸当時】諸家人名録』初編「遠」部〔人名録〕②6(扇面亭編・文化十二年九月刊) 〝画 雲峰【名成寛、字公栗】四谷大番町 大岡次兵衛〟 ☆ 文化十四年~十五年(1817~18)
◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立) (「四ツ谷」合い印「画家」) 〝雲峰 名成賓 字公栗 大番町 大岡次兵衛〟 ☆ 文化年間(1804~1818)
◯『増訂武江年表』2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) (「文化年間記事」) 〝画 狩野伊川院法印、同晴川院法印、同素川彰信、抱一君、谷文晁、同文一、依田竹谷、英一珪、長谷 川雪旦、鈴木南嶺、大岡雲峯、春木南湖。筠庭云ふ、竹谷などを出して雨潭を出さず。其の外も猶あり〟 ☆ 文政二年(1819) ◯『増訂武江年表』2p68(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) (「文政二年」) 〝(筠庭云う)再発してあらはれしは、大岡成寛、春木南湖などあり。されど雲峯は勤仕によりて画を廃 したる間に、文晁は盛りにして大家となれり。初めは文晁成寛馬孟熈伯仲の間にいはれしものなりしが、 其の内にも馬孟熈すぐれたり。(以下略)〟 ☆ 文政四年(1821)
◯『あやめ草』〔南畝〕②93(文政四年十一月詠) 〝雲峯のゑがける雲に郭公 ほととぎすなくてふ夏の雲の峰たてたる筆のひとはしり書〟
〈南畝はこの雲峰を大岡雲峰と明記しているわけではないのだが〉
☆ 文政十一年~十二年(1828~29)
◯『兎園小説拾遺』〔新燕石〕⑦69(曲亭馬琴記・天保元年九月謄写) 「麻布大番町奇談」 (文政十一~十二年の出来事。雲峰の家に長年仕えた老女に古狸がとりつき、老女をして歌を詠ましめ 「蝙蝠に旭」の絵を画かしめたという記事を、馬琴、天保元年に書写したもの。原文記事長文のため省 略。なお原文は雲峯の記述かとも云う) ☆ 文政十二年(1829)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(文政十二年刊)
大岡雲峰画
『草木錦葉集』三冊 写生大岡雲峰 関根雪停 御鉢植作留蔵宝板 ◯『真佐喜のかつら』〔未刊〕⑧311(青葱堂冬圃記・成立年未詳) (絵の具記事) 〝唐藍ハ蘭名をヘロリンといふ、此絵の具摺物に用ひはじめしハ、文政十二年よりなり、予或時大岡雲峯 が宅に遊びし時、雲峯の言たる、摺ものには藍紙また藍蝋をのミ用るなれど、ヘロリンを用るハ利ある べしといふに、(中略)聊乞得てすり物に用ひミるに、藍紙の色などは光沢の能き事格別なる故、狂歌、 俳諧の摺物は悉く用ひぬ(以下、翌十三年、英泉、錦絵に使用する記事等続く、略)〟 ☆ 天保元年(文政十三年・1830)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(天保元年刊)
大岡雲峰画
『書画帖』一帖 文晁・文一・法橋雪旦・杏斎雪堤・雲峰・為一・其一・武清・蹄斎・ 崋山等画 大窪詩仏序 ☆ 天保七年(1836)
◯『【江戸現在】広益諸家人名録』初編「ヲ部」〔人名録〕②37(天保七年刊) 〝画 雲峰【名成寛、字公栗、旧称次兵衛、会日三ノ日】四谷大番町 大岡雲峰〟 ☆ 天保年間(1830~1843)
◯「絵入狂歌本年表」
(天保年間刊)
雲峰画
『狂歌三才拾遺』三巻 其一・椿年・北渓・雲峰・渓栖(葵岡印) 千種庵諸持編 春友亭蔵版
〔目録DB画像〕
『狂歌富艸集』一冊 雲峰等画 芍薬亭・千種庵撰 桧園連
〔狂歌書目〕
☆ 弘化元年(1844)
◯『増訂武江年表』2p105(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) (「弘化元年」) 〝今年長寿の人、水口寿山(百五歳)、末吉石舟(百一歳)、花井白叟(九十八歳)、大岡雲峯(八十歳)、 前北斎為一(八十五歳)〟 ☆ 嘉永元年(1848)
◯『古画備考』三十上「近世二」中p1271(朝岡興禎編・嘉永四年四月二日起筆) 〝大岡雲峰 名成寛、字公栗、旧称次兵衛、居四谷大番町、芙蓉の高弟也、山水ノミナラズ、花鳥モ能画 ケリ、嘉永元年八十四没 〔頭注、一時ニ盛名アリ四谷南蘋ト称セラル〕〟
☆ 没後資料
◯『写山楼記』〔新燕石〕⑤52(野村文紹著・明治十五年(1882)成立) (谷文晁門人の項) 〝大岡雲峰 【称治兵衛、旧幕藩大御番隠居、四ッ谷住、門人栗本翠庵、小山翠巒、滝和亭、中川大峰、 井川雲章、奥田一渓】〟
◯「日本古典籍総合目録」
(国文学研究資料館)
作品数:2点 画号他:大岡雲峰 分 野:画譜1・狂歌1 成立年:記載なし