☆ 明治十年(1877)
◯「双六年表」〔本HP・Top〕(明治十年頃刊)
「宝山松開花双六」惺々暁斎・芳年・楊洲周延・梅素・広重・国周・誠一
◎◎・素岳・宝丹 堺屋守田重兵衛版 明治十年頃 ⑤②⑩
☆ 明治二十二年(1889)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十二年刊)
素岳画『改良滑稽落語』口絵のみ 素岳 桃の屋鶴彦 共隆社(1集 10月)
☆ 明治二十四年(1891)
◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十四年刊)
素岳画
『大通世界』挿絵 芳景写・見返し 素岳 幸堂得知 春陽堂(1-3号 5・7・12月)
〈安永・天明期黄表紙傑作選〉
『伽羅枕』 口絵 桂舟 素岳 紅葉山人 春陽堂(10月)
☆ 昭和七年(1932)
◯「永井素岳」伊東晴雨著「江戸から明治の画家奇談(一)」所収(『今昔』第三巻第二号 昭和七年二月刊)
〝 引幕の図案と手拭とちらしの図按と筆耕と音曲の作曲作詞とに於て、江戸の末期否明治の初期に第一人
者である永井素岳翁を一寸スツパ抜く「おれは素人の画描きだ画料は高いよ」といつたがモトで素岳と名
附けたと云ふ。勿論師匠が梅素薫であつたから、素の一字を貰つた事は勿論だ、素岳翁の文字は明治時代
芝居の引幕で見る如く、素岳一流の文字であるが、翁は故九代目団十郎の代筆をしたと同時に、五代目菊
五郎の代筆をした。一人で二人の代作をしたのは珍らしい。ほのかに聞く処に依れば、向島の梅若塚の額
は「団州書」とあるが、実は素岳翁である。五代目菊五郎は相当名筆であつたが、これも揮毫を頼まれた
場合、例の凝り性から間に合ぬ場合に、素岳翁に頼んだ。それで九代目と五代目の没後は、此両人の印は
素岳翁が手許に保管されてあつたが、翁の没後は更に令閨琴子女史が、完全に之を伝へて巣鴨の女史の家
に現存して居る。俳優の代筆も相手が団州と音羽屋丈だけに一寸皮肉な感じがする〟
〈芝居の引幕・手拭い・チラシの図案、合巻など版本の筆耕、音曲の作詞作曲などを得意としていたようだ。「素岳」の「素」は
師匠の梅素亭玄魚から貰った由である〉