Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ りゅうさい 柳斎浮世絵師名一覧
〔未詳〕
 ☆ 文化十年(1813)
 ◯『狂歌関東百題集』〔江戸狂歌・第八巻〕鈍々亭和樽編・文化十年序    挿絵署名「柳斎画」    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化一〇年 癸酉」(1813)p184   〝五月、辰斎・一九・柳斎・辰湖・京伝・三馬・北嵩・北馬・北寿・俊満・辰光・辰一・辰暁・秋艃の挿    画に成れる『狂歌関東百題集』出版〟    〈この文化十年の柳斎と以下に示す天保十三年及び嘉永三年の柳斎が同一人物か確証はないのだが、同一ではないと     いう確証もないので引いておく〉    ☆ 天保十三年(1842)
 ◯『【江戸現在】広益諸家人名録』二篇〔人名録〕②91(須原屋佐助蔵版・天保十三年刊)   〝画 柳斎【名欽、字子欽、北村氏】浅草三筋町 須坂景蔵〟    〈本名は須坂景蔵。絵師としては北村柳斎を名乗ったのである〉    ☆ 嘉永三年(1849)
 ◯『【現存雷名】江戸文人寿命付』二編〔人名録〕②348(畑銀雞編・嘉永三年刊)   〝北村柳斎 世の人のかゝぬ処をなか/\にいと面白く画がく君かな 極上々吉、寿八百五十年 浅草七    軒町〟    〈「寿八百五十年」の意味が今ひとつ分かりかねる。ちなみに当時四十九歳の柴田是真は「極上々吉、寿九百五十歳」     とある。嘉永三年の時点で、柳斎は浅草七軒町に生存していた。が、少し間が開きすぎるが、安政七年(万延元年・     1860)年版『安政文雅人名録』にも、翌文久元年(1861)の『【江戸現在】広益諸家人名録』三篇にも名前は見えな     い。嘉永三年以来十年程経った資料だが、この間に亡くなったものと思われる〉