☆ 刊年未詳
◯「百人一首年表」(本HP・Top)(刊年未詳)
春暁斎柳谷画『延寿百人一首』口絵・肖像〔跡見501〕
奥付「画工 春暁斎柳谷」総州屋与兵衛 改印「極・?」
△『戯作者考補遺』p447(木村黙老編・弘化二年(1845)序)
〝画工 柳谷 樵者 鳥越松浦公家士〟
◯『古代浮世絵買入必携』p5(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)
〝柳谷
本名〔空欄〕 号〔空欄〕 師匠の名〔空欄〕 年代 凡八九十年前
女絵髪の結ひ方 第十一図・第十二図(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
絵の種類 並判、小判、二枚継等
備考 錦絵に角力及武者の図あれども価廉なり〟
◯『浮世絵師便覧』p212(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝柳谷(コク)樵者と号す、◯文化〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(56/103コマ)
〝柳谷【文化元~十四年 1804-1817】柳谷樵者と号す、其の伝詳ならず〟
◯『浮世絵』第十五号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年(1916)八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「偽の菱川氏」宮武外骨(18/26)
〝 菱川柳谷
春章の門人勝川春喬、後に柳谷と改名して菱川柳谷と署名せる錦絵がある、勝川派から離れて独立しや
うとしたので無く、多分何か悪事があつて、師匠から破門された不埒者であらう〟
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝柳谷 春章門人、鳥越藩中の人、初め勝川春喬と称せしとの説あれども詳ならず、菱川氏、丹青斎又は
樵者と号す、文化頃〟
◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝柳谷
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】享和~文化
菱川を称し、春暁斎・丹青斎と号す、美人画あり、また草双紙の挿画を描く。『浮世絵師系伝』に「春
章の門人にて初め勝川春喬なり後に柳谷と改めしなり樵者と号す鳥越侯の藩中たり草双紙合巻を書きし
なり錦画も有り文化の頃の人」とあれど、両者果して同一人なりや否や、尚ほ考ふべし〟
△『増訂浮世絵』p185(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝柳谷
春暁斎と称し、歌麿風の美人をよくす。版画にも肉筆にもその遺作があるが、中々巧である。大錦半身
の風流和歌三夕や、玉屋の遊女を画いたものなどは優れたものゝ例である〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔柳谷画版本〕
作品数:1点
画号他:柳谷
分 類:合巻1
成立年:文化6年
〈一点は『敵討雙児山』(竹塚東子作)〉