Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ りょうすい かつま 勝間 龍水浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』  ☆ 宝暦六年(1756)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(宝暦六年刊)    勝間龍水画    『わかな』一冊 英一蜂画 龍水図 須臾菴祇丞序 独菴買明跋    『発句帳』勝間龍水 英一蜂〈刊年・版元名なし〉    ☆ 宝暦七年(1757)    ◯『当世武野俗談』〔燕石〕④109(馬場文耕著・宝暦七年序)   〝勝間竜水    新和泉町に家主役をして、手習指南して、筆名は勝間竜水とて、御府内に名高き男あり、市川三升も渠    が門弟なり、此竜水今に存生なり、大にかはり者なり、金銀をむさぼる心更になく、極て貧窮なり(以    下、和泉町の長屋の雪隠の肥料代や手習子の出す反古の紙屑代を受け取らない等の挿話あり、省略)〟    ☆ 宝暦九年(1759)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(宝暦九年刊)    勝間龍水画『桑岡集』二巻 龍水画 砂丘画 嵩谷図 貞佐選 平砂校刊    ☆ 宝暦十二年(1762)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(宝暦十二年刊)    勝間龍水画『絵本海之幸』二巻 勝龍水画 石寿観秀国編 亀屋大兵衛板    ☆ 明和二年(1765)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(明和二年刊)    勝間龍水画『山幸』三巻 龍水画(勝間氏)俳耕林秀林編    ☆ 明和四年(1767)      ◯『活花百瓶図』二巻 千葉龍朴撰 東雲堂板(漆山又四郎著『絵本年表』より)    上巻 英一蜓・鄰枩・小松軒・寒葉斎・龍水・魚彦・柳文朝・英一川等画    下巻 保国・宮川春水・宋紫石等画    ☆ 明和七年(1770)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(明和七年刊)    勝間龍水画『興談浮世袋』五巻 龍水図 橘花街祇徳戯画 大坂屋平三郎他板     〈「日本古典籍総合目録」は青二斎能楽作、分類は滑稽本〉  ☆ 天保十五年(1844)  ◯『近世名家書画談』二編巻之三(雲烟子著・天保十五年刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇勝間龍水(19/32コマ)   〝勝間龍水の伝    龍水 名は定安 新泉と号す 業を池永道雲に受て また篆刻を余事とす 江戸新和泉町に居住して    父は町役を勤む 其後を継て傍ら幼童筆道指南を業とす また常に画事誹諧をもなせり 海の幸山の    幸と云画本なり また古章印譜二冊あり 寛延宝暦の間 府内(えど)に其名高し 又そのころ高名な    る俳優市川徳斎三升を初として 両三輩此門子なり 常に財をむさぼる心なくして 極て貧窮なれど    も 門弟余分も束脩(つけとどけ)あれば 必半を返すに至る また困窮なる者の子には筆墨など与へ    て買はしむることすくなし 又その支配する処大長屋にして 裏屋百軒余ありといへども 其役徳を    むさぼることさらになし 又手跡稽古の子供数多なれば 二階下共に紙屑おびただしきを 屑屋に与    へて 汝困窮の渡世 何ぞ屑を遣はすに 代物(だいもつ)に及ばんやとて 是又さらに受けず 万事    かくの如くなれば 衣類とても自由を得ず 金銭あること稀なり 或時四月初旬の頃 老母女房もろ    とも仏参しける留守なりしが 初松魚を売り来る声をきくや否や 持ちたる筆をも捨て そゞろによ    び入れて買ひ得しが 家内に代銭半ならではなかりければ せんすべなく 婦人等の信仰なす一向宗    の持仏堂に三ッ道具のきよらに錺りたるを取りいだし すぐに隣町なる仕廻物屋(しまひものや)の通    りかゝりたるを呼びて売り払ひ その銭もて鰹の価をつくのひ 近辺の朋友平沙・百庵・乾什・買明    などを招きて 大に酒宴をもふけ 数盃めぐりし処へ 家内の者帰りて大ひに驚き 三ッ道具のあら    ざるをうらみしかば 龍水云やう それが初松魚に変じたるこそ 南無不可思議光 その方どもゝ今    日仏参してありがたしと思ふ処即ち極楽 われも朋友と共に会してよろこびたのしむ処即ち如来なり    とて 少しもこゝろにかけず談笑自若たりしとぞ 又宝暦六年 杉森稲荷の幟を新に製し 書を乞わ    れけるに 龍水気分すぐれざることありて間に合はざれば 詮方なく其子息に属して書せけり 書お    はりて 父に問て名字を何と書き申すべきやといひければ 龍水答えて 堺町役者等おや方の名を請    けつぎて名乗るが時花物なり 又釣鐘の子を半鐘 々々の子を風鈴と云ふ 汝は龍水の子なれば 蛇    水となりとも書べしとて それより杉森の幟は蛇水が筆なりとて 諸人大ひに称美すと そのころの    物がたりなり    宝暦の昔と今日とは僅に八十年ばかりをへだつ 龍水が性質謙遜にして 和漢の文人を評せず 俳優    の言語 釣鐘の類に比況したること 又幟を書べき程の腕をもて 未だ別号を立てざるなど 古人の    淳厚かくの如し〟    ☆ 没後資料  ◯『古画備考』二十六「名画十四 自享保」中p1071(朝岡興禎編・嘉永四年三月廿八日起筆)   〝勝間龍水 名安定、号新泉、業を池永道雲に受て、又篆刻を余事とす、江戸和泉町に居住して、父は町    役を勤む、其後を継て、傍ら幼童筆道指南を業とす、又常に画事俳諧をもなせり、海の幸、山の幸とい    ふ画本あり、又古章印譜二冊あり、寛延宝暦の間、府内に其名高し、書画談二篇    ◯『浮世絵師便覧』p212(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝龍水(スイ)勝間氏、色摺の祖、◯明和、享保〟    〈「色摺の祖」とあるのは『海の幸』(絵画、俳諧・石寿観秀国編・勝間竜水画・宝暦十二序)を念頭においたもの〉      <『海の幸』は東北大学附属図書館「狩野文庫画像データベース」上に公開されている>    ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(27/103コマ)   〝勝間龍水【享保元~二十年 1716-1735】彩色摺の祖なりと云ひ伝ふ、其の伝詳ならず〟  ◯『浮世絵師伝』p220(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝龍水    【生】  【歿】  【画系】  【作画期】宝暦~明和    勝間氏、名は定安、其の居所和泉町にありしを以て新泉と号す、父の後を承けて町役を勤め、傍ら幼童    に書法を指南するを業とす、書は池永道雲に学び、篆刻をも能くし又俳諧に名あり、画系詳かならざれ    ども、彼が挿画せる宝暦十二年版の『海の幸』二冊を見るに、巧みに木版の長所を利用し、且つ雲母な    どを加へて彩色摺とせるは、其の技巧上に独創の才ありしを知るべし〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「宝暦六年 丙子」(1756) p110   〝此年勝間龍水と英一蜂の画に成れる『発句帳』ありといふ説あるも未だ見ず。    此年古面堂の『続百化鳥』出版。前編は前年にして漕川小舟の画作なり〟     ◇「宝暦九年 己卯」(1759) p114   〝十月、勝間龍水・高嵩谷等の画ける俳書『桑岡集』出版〟          ◇「宝暦一二年 壬午」(1762) p116   〝二月、勝間龍水の『絵本海之幸』出版〟     ◇「明和二年 乙酉」(1765) p120   〝正月、勝間龍水の『山幸』出版〟    ◯「日本古典籍総合目録」(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    作品数:8    画号他:松葉軒・竜水・勝間竜水    分 類:俳諧3・往来物3・絵画2・印章1・地誌1    成立年:寛延3年   (1点)        宝暦6・12年(3点)        明和2年   (1点)        寛政頃    (1点)    〈寛延三年(1750)の作品は『古章印譜』〉