◯「浮世絵師伝」〔古画〕三十一 中p1414(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
〝良恕
寒山図、立服紗紙、相伝為狸之画、添一巻之文章、其略云、江州相原郡今益田村士、益田伊左衛門、四
世之祖某、慶長中、其隣村長島、有村士長島九郎左衛門者、伊左衛門與之相善、時有一僧良恕者、年已
半白、毎来遊乎二氏、而為画且裱褙、及屏風歩障之工、以留宿者、或十日、或二十日、二氏亦不空受之、
報必以草鞋銭子、一日復来益田氏、而為工者如他日、工亦不日而畢、乃有至隣村長島氏之約以既巳出、
及期未来、乃使人邀之、両村間有大原、称上野、両村之人、必往来之路也、而所邀之人経之、則路傍見
古狸僧服臨貫負布嚢首、而此乃良恕耳、略、明和二年乙酉季東林義卿撰、
[印章]「刻字未詳」(朱文方印)寛文比ノ画風ナリ〟
〈狸が画いたとされる「寒山図」に添えられた文にこうあった。慶長年間の頃、江州相原郡に益田伊左衛門と長島九郎
左衛門という人がいた。二人は親しかった。時に、五十過ぎの良恕という僧侶が、いつも二氏の許に遊び、画いては
表装して、屏風や張り幕まで作っていた。逗留すること十日あるいは二十日。二氏もまたささやかな旅費でもってこ
れに報いていた。ある日、益田氏に来ていつもと同じように絵を画き、間もなく完成させた。そして隣村の長島氏に
行く約束があって、出発した。ところが時間になっても来ない。そこで人を使わして出迎えさせた。上野という両村
の間にある大原を経て行くと、路傍に布袋を背負った僧服の古狸が見えた。これがすなわち良恕であった〉
〈『古画備考』はなぜこの架空の良恕を「浮世絵師伝」の中に載せたか分からない〉