☆ 文政元年(1818)
◯「国書データベース」(文政元年刊)
『五体千字文大全』山本平吉板
奥付「文政元戊寅開版 永花百人一首文十抄 絵抄入 菱川師信筆」
〈『永花百人一首文十抄』の文政版は未確認。訂正再刻版である天保14年本の画像には署名が見当たらない〉
☆ 文政二年(1819)
◯『増補和漢書画一覧』(聚文堂主人編 聚文堂版 文政二年刊)
(早稲田大学図書館「古典藉総合データベース」)
〝師信(モロノフ)
一(ニ)師直ニ作ル、菱川氏、長兵衛ト称ス。仕女或ハ春宮ノ図ヲ画クニ名ヲ得。世菱川流ト称シテ一家
トス。京師ノ人〟
◯『画乗要略』(白井華陽著・天保三年(1832)刊・『日本画論大観』巻二所収)
〝菱川師信、通称ハ長兵衛、善ク邦俗美人ヲ写ス、艶態柔情一見シテ能ク人心ヲ動ス〟
◯『浮世絵』第十五号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年(1916)八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「偽の菱川氏」宮武外骨(18/26)
〝菱川師信
『画乗要略』に「菱川師信、通称は長兵衛、善く邦俗の美人を写す、艶態柔情一見して能く人心を動か
す」とあるのは、師宣吉兵衛の誤記であらうと思ふが、文政元年発行の『五体千字文大全』奥付の広告
に「永花百人一首、絵抄入、菱川師信筆」とあり 又『好古事彙』に「菱川師信」の印章が出て居り、
先年京都で開いた大和絵展覧会にも同名の肉筆画が出て居た、いづれもナマ物識の誤記や贋作らしい〟
〈『永花百人一首』は上掲文政元年の項参照。『好古事彙』は未確認〉
◯『浮世絵師伝』p200(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝師信
【生】 【歿】 【画系】菱川派 【作画期】元禄
菱川氏、師宣風の肉筆美人画あり。落款の一例に「日本絵菱川師信図」とし、印文に「師信」とせり
(口絵第四図參照)。其他にも美人画数図あり。而して『画乗要略』を見るに「菱川師信通称ハ長兵衛
善ク邦俗美人ヲ写ス、艶態柔清一見シテ能ク人心ヲ動カス」とあり。まことに其の技拙からざるより察
すれば、或は師宣の直門にして、師の画系を嗣ぎし者なるやも知るべからず。尚ほ後考を俟つべし〟
△『増訂浮世絵』p187(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝師信
師宣と別人で、年代は下るが、宝暦以後には下らない時代のものである。絵も中々巧である。肉筆画に
遺作があるが、決して後人が戯に落款したのでなく、真面目にかいたものである。師宣の音をかりて師
信と称したものがあつたと見るべきである。桑原羊次郎氏の浮世絵師人名辞書には、菱川氏とあり、松
野親信に似たるものありとあれど、余の見たるものは、親信とも違ふものである。松木善右衛門氏の蔵
品に遊女と禿を写したものがある。それには蜀山人の賛がある。「けいせいのまこともうそも有磯海は
まの真砂の客のかず/\」よき絵にて俗に京のもろのぶと呼ばるゝものといふ〟
〈井上氏の師信と藤懸氏の師信は時代に違いがあり、同人ではない〉
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:5点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致しない)
画号他:菱川師信
分 類:艶本2・絵画1・往来物1
成立年:天和年間(1点)元禄13年(1点)(元禄年間合計2)
〈作画年代から云えば、この「日本古典籍総合目録」の師信は井上氏の師信と対応している〉