◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1375(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
〝菱川師平 伝系未詳
[署名]「日本絵菱川師平」[印章]「菱川」(朱文方郭内円印)〟
◯『扶桑名画伝』写本 堀直格著 嘉永七年(1854)序
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇菱川師平([30]巻十之四 雑家 62/109コマ)
〝師平
姓詳ならず 菱川氏 名は師平 師宣の子といへる説もあれど さだかならず 其画蹟 伊達家の画工
菊田伊洲といへるもの携へ来りて 予に見せしことあり 画後に菱川師平とあり 其筆風よく師宣の画
法を得たれど及ばさること遠し 師宣の男といへるによれば 正徳頃の人なるべし
按ふにこの人師宣の子といへれど諾ひがたし 師宣系図【浮世絵類考追考に載す】に嫡男師房二男師
永と見えて師平なし もしは(ママ)この二人の内の初名なりけんもしらねど 恐らくは門人の内なるべ
し〟
◯『古代浮世絵買入必携』p19(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)
〝菱川師平
本名〔空欄〕 号〔空欄〕 師匠の名〔空欄〕 年代 凡二百年前後
女絵髪の結ひ方 第三図(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
絵の種類 肉筆
備考 〔空欄〕〟
◯『浮世絵師便覧』p238(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝師平(ヒラ) 菱川氏、自師宣の一子と称す、されど菱川系図に此名なし、蓋門人ならん、◯元禄〟
◯『読売新聞』明治30年(1897)1月23日記事)
(小林文七主催「浮世絵歴史展覧会」1月18日-2月10日)
〝浮世絵歴史展覧会(三)巨浪生の記事
師平の「醒酔図」と師政の「痴鐘鬼図」の滑稽を交へたるは可笑し〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(21/103コマ)
〝菱川師平【元禄元~十六年 1688-1703】自ら師宣の男と称すれど、蓋し門弟ならむと云ふ〟
◯『菱川師宣画譜』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十二年七月(1909)刊)
(『浮世絵鑑』第一巻所収・国立国会図書館デジタルコレクション)
△は他書の引用文 〔~〕は引用元
菱川師平(38/50コマ)
〝△扶桑名画伝 雑家十ノ四に此名あり 其伝を記す曰く
姓詳ならず 菱川氏 名は師平 師宣の子といへる説もあれど さだかならず 其画蹟伊達家の画
工菊田伊洲といへるもの携へ来りて 予に見せしことあり 画後に菱川師平とあり 其筆風よく師
宣の画法を得たれど及ばさること遠し 師宣の男といへるによれば 正徳頃の人なるべし
按ずるに 此人師宣の子といへれど諾ひがたし 師宣系図に嫡男師房二男師永と見えて師平なし
もし此二人のうちの初名なりけんもしらねど 恐らくは門人の内なるべし
と記せり 委くは尚考ふべし〔浮世絵師系伝〕〟
〈『扶桑名画伝』写本 堀直格著 嘉永七年(1854)序。『浮世絵師系伝』は未詳〉
◯『浮世絵師伝』p200(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝師平
【生】 【歿】 【画系】師宣門人か 【作画期】元禄
菱川氏、自から師宣の一子と称す、然れども菱川系図には門人と肩書せり〟
菱川派系譜
◯『増訂浮世絵』p32(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝菱川師平
師平図之と署名し、下に菱川の白字角印を押したものがある。この印は正方形でなくて少し平たくなつ
てゐる。二階建の家を写し、下では酒を酌み、二階には一人の女が下を眺めてゐる。この構図は面白く、
師平の作としえも出色のものである。更に師平の大作としては、武内金平氏所蔵の六曲屏風風俗図があ
る。師平の力量を見るに足るものである〟