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☆ けいさい くわがた 鍬形 蕙斎浮世絵師名一覧
〔明和1年(1764) ~ 文政7年(1827)3月22日・61歳〕
(北尾政美〈まさよし〉参照)
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」  ☆ 享和三年(1803)    ◯『細推物理』〔南畝〕⑧386(享和三年八月十四日明記)  〝(南畝の)南隣の中川氏の約におもむく。鍬形紹真来りて、略画をゑがく。中川修理太夫殿の臣何がし、    郡山の臣何がしなど相客なり〟    〈いわゆる席画のようである。何を画いたか記述なし。また南畝が画賛を行ったかどうかも記述がない〉    ☆ 享和年間(1801~1804)    ◯『増訂武江年表』2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享和年間記事」)   〝北尾蕙斎略画式と号し、浮世絵の略画を工夫せし彩色摺の粉本数篇を梓行する〟    〈「国書基本DB」には『略画式』寛政七年刊、『鳥獣略画式』同九年刊、『山水略画式』同十二年刊とあり)    ☆ 文化元年(1804)    ◯『画巻詞書』〔南畝〕②510(文化一年三月上旬明記)   (『游戯三昧』所収。次項巻子本『職人尽絵詞』の南畝詞書の原稿。全集は全文を掲載する)  〝鍬形紹真蕙斎画也〟  〝文化ときこゆる年のはじめやよひの比 杏花園詞書〟    ◯『職人尽絵詞』〔南畝〕②520(文化一年三月上旬明記)   〈松平定信の依頼。鍬形蕙斎画、杏花園詞書。『画巻詞書』とほぼ同文。全集は写真と翻刻を掲載する〉  ◯『近世奇跡考』〔大成Ⅱ〕(山東京伝著・文化元年刊)   ◇「六尺袖」の項 ⑥270    〝六尺袖図    貞享四年印本女用訓蒙図彙に此図あり。すきうつしにしてここにあらはす。貞享の頃の婦女のさまを見    るにたれり 蕙斎蔵本〟    〈「国書基本DB」は『女用訓蒙図彙』を吉田半兵衛画とする〉     ◇「元祖団十郎伝并肖像」の項 ⑥333   〝元祖団十郎似顔面形盃    (表は白塗りで朱の隈取りと金箔の玉眼入りの木彫り面。裏は黒塗りとの説明あり。面の模写あり)    これはやんことなき方のをさめ玉ふものとて、友人蕙斎主人たづさへ来て見せしむ。面打のつくりたる    ものと見えて(一字未詳)殊勝の古物也〟    ☆ 文化三年(1806)      ◯『馬琴書翰集成』文化三年(1806)正月二十三日 馬琴宛・北尾蕙斎(第六巻・書翰番号-来7)⑥219    (貼紙)   〝「北尾蕙斎【越後家の画師。浜町ヘツツイ河岸住。文化三年来簡】」〟    〈書簡内容は知人の紹介状〉    ☆ 文化年中前半(1804~)     ◯『反古籠』〔続燕石〕②172(万象亭(森島中良)著、文化年中前半)   (「橘守国」の項)   〝或豪家に芥子園画賦全帙を蔵む、其比は只一部なりし故、帳中の秘とせしが、守国其家へ親しかりけれ ば、請て数頁を模写したるを、古葛籠、京都の何れやらんの街の乾溝に捨有しを、改め見れば、守国が 蔵書印こと/\く印て有ける故、早速呼び出し、引渡されし、と鍬形蕙斎語りき〟    ☆ 文化九年(1812)    ◯「書簡 122」〔南畝〕⑲266(文化九年十一月十六日付)   〝深川正覚寺橋より南、海福寺前にこいや伊兵衛と申候烟草屋有之候。蕉門杉風子孫にて、夥敷芭蕉、其    角、杉風、支考、許六等之書画所持、平日に人に見せ候事無之、漸当時こいや之旧主より申込、先日致    一見候処、中々短日には見つくされ不申候。いづれも真跡驚目申候。午前より薄暮迄二十四幅見申候。    又々来春日永之節を約し申候。蕙斎、武清など参候て少々図を写し申候。巻物等も数多、杉風隅田川紀    行一巻写取申候。朝湖之朝顔之画に翁之色紙などは誠に奇々妙々〟    〈杉風の子孫、鯉屋伊兵衛の所蔵する蕉門の書画を見る機会は多くはなかったようだ。書簡の主大田南畝と鍬形蕙斎と     喜多武清は、漸く願いが叶って一見したのである。見残したものも多く、来春の再来を約束したというのであるが、     叶ったのであろうか。南畝の記事は見あたらない。「朝湖」は英一蝶〉    ☆ 文化十年(1813)    ◯「絵本年表」(文化十年刊)    鍬形蕙斎画〔漆山年表〕    『草花略画式』一冊 蕙斎筆 平由豆流序 須原屋市兵衛板    『魚貝略画式』一冊 蕙斎筆 福貞藤兵衛板(享和二年刊、再刻改題ナルベシ)    『絵本孝経』 二冊 東都蕙斎先生画 西村源六他板〈〔目録DB〕の書名は『孝経絵抄』〉    鍬形蕙斎画〔目録DB〕    『蕙斎絵手本』一冊 鍬形蕙斎    『女訓孝経』 一冊 鍬形蕙斎 田尻梅翁 片野東四郎他板    ☆ 文化十一年(1814)     ◯「絵本年表」〔目録DB〕(文化十一年刊)    鍬形蕙斎画『心機一掃』三冊 蕙斎筆 蜀山人序    ◯「序跋等拾遺」〔南畝〕⑱559(文化十一年十月七日明記)    〈鍬形蕙斎画『心機一払』に南畝の序。〝文化甲戌仲冬陽月甲子 蜀山人〟とあり。序文に曰く〝一たび筆を下して心     のごとくならざる事なきもの、今蕙斎をすてヽたそや〟と。南畝は蕙斎の画業を高く評価している。この絵本は同年     の文化十一年に刊行された。なお『国書総目録・著者別索引』には『心機一掃』とあり〉    ◯『六々集』〔南畝〕②210(文化十一年十月七日記)    〈前項の『心機一払』と同文。ただ書名が違うようで〝画意筆先序〟とあり。最初の書名は『画意筆先』だったか。こ     の序に日付書名はない〉    ◯『六々集』〔南畝〕②217(文化十一年十一月下旬詠)  〝蕙斎のゑがけるお徳、子の日の松を引所  おたふくのをのが名におふ福引にひくや子の日の松のすり小木〟  〝同じく女三の宮のかたちにて猫をひいてたてり  思ひきや女三の宮の猫背中頬たかくして鼻ひくしとは〟  〝同じく蝙蝠をまねく所     鳥にあらず鼠にあらずおふく女のまねくに来る蝙蝠の福〟    ☆ 文化十二年(1815)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十二年刊)    鍬形蕙斎画『手習百人一首』一冊 蕙斎筆 躬弦著    ◯『六々集』〔南畝〕②223(文化十二年一月詠)  〝紹真のかける小松に松露のゑに  ひろへどもつきぬ千秋万歳のちはこの玉や松露なるらん〟    ◯『【江戸当時】諸家人名録』初編「久」〔人名録〕部 ②10(扇面亭編・文化十二年九月刊)   〝画家 蕙斎【名(空白)字紹真】於玉ヶ池 鍬形蕙斎〟    ☆ 文化十三年(1816)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十三年刊)    鍬形蕙斎画『俳家奇人談』三冊 蕙斎紹真臨写 蓬廬青々山人 鶴屋喜右衛門他板    ◯『丙子掌記』〔南畝〕⑨615(文化十三年十月下旬記)    〈南畝、市川米菴の「丙子秋日拙静写蘭蕙賛」を書写。欄外注に〝【五山致地氏蕙斎蘭蕙図請予賛、賛曰、蓬蒿満廬     隠士不除 蘭蕙当門 何人不除】〟とあり。この菊池五山持参の蘭蕙図の絵師〝地氏蕙斎〟が鍬形蕙斎か、未詳。ま     た、欄外注も南畝の筆と推定されるが、これも未詳。とりあえずあげておいた〉    ☆ 文化十五年(1818)    ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)   (「神田」合い印「画家」)   〝蕙斎  字紹真  於玉池  鍬形蕙斎〟    ☆ 文政五年(1822)     ◯「絵本年表」   ◇絵本(文化五年刊)    鍬形蕙斎画    『人物略画』一冊 鍬形蕙斎画〔目録DB〕    『諺画苑』 一冊 蕙斎筆〔紹眞〕印「江戸神田弁慶橋岩本町 鍬形氏蔵板」〔漆山年表〕    『蕙斎略画』一冊 鍬形蕙斎画(注記「諺画苑の後刷」)〔目録DB〕    ◯『あやめ草』〔南畝〕②100(文政五年二月下旬詠)  〝いせ伝のもとより、蕙斎が画がける料理通のさし画の賛をこふ  蝶や夢鶯いかヾ八百善が料理通にてみたやうなかほ〟    〈『料理通』は八百善著、文政五年の刊行。「いせ伝(伊勢伝)」は文化十一年頃から南畝と交遊頻りで、南畝の資料で     は新橋住の書画所蔵家とあり〉    ☆ 文政七年(1824)    ◯『増訂武江年表』2p73(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「文政七年」)   〝三月二十一日、画人鍬形恵斎卒す(名紹真、北尾重政が門人にして、始めは北尾政美といへり。一枚絵    草紙のるゐ多く画けり。略画式をあらはして世に行はれ、又京の黄華山が「花洛一覧図」にならひて、    江戸一覧の図を工夫し梓に上せ、神田の社へも江戸図の類をさゝげたり。其の男を赤子といふ。筠庭云    ふ、蕙斎はもと竈河岸畳屋の子也。薙髪して紹真と改名、越後侯の絵師と成る。於玉ヶ池に住す〟    〈黄華山の「花洛一覧図」は文化五年刊。また『東京掃苔録』は〝文政七年三月二十二日歿。年六十四〟とする〉    ☆ 刊年未詳    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(刊年未詳)    鍬形蕙斎画    『蕙斎麁画』     初編 鍬形蕙斎画 永楽屋東四郎板     二編 鍬形蕙斎画 梅亭華渓筆 榛園秋津序 永楽屋東四郎板     三編 鍬形蕙斎画 渓斎筆 天保十年旦月 琴台老人東条耕序 永楽屋東四郎板     四編 鍬形蕙斎画 籟庵源輝筆 江戸花笠外史序 永楽屋東四郎板    ☆ 没後資料    △『近世物之本江戸作者部類』p65(曲亭馬琴著・天保五年成立)   (「赤本作者部・川関楼琴川」の項)   〝文化四年丁卯の春より北尾蕙斎の紹介にて、しば/\曲亭許(ガリのルビ)来訪して自作の臭草紙を印形せ    られんことを請ひしかば、馬琴則山城屋藤右衛門【馬喰町の書賈】に託してその戯作(二作品名あり省    略)を印形せられたり〟    〈『近世物之本江戸作者部類』(p42)に川関楼琴川は小倉侯家臣・川関庄助とあり。『戯作者撰集』は馬琴門人と     するが、『近世物之本江戸作者部類』で馬琴自身は否定している〉    ◯『古今墨跡鑒定便覧』「画家之部」〔人名録〕④238(川喜多真一郎編・安政二年春刊)   〝鍬形蕙斎【名ハ紹真、江戸ノ人、山水花鳥ヲ能クス、時ニ称誉ス】〔印章〕「紹真」〟    ☆ 明治以降(1868~)    ◯『睡余操瓢』⑦附録「随筆雑記の写本叢書(七)」〔新燕石〕p6(明治三年頃・斎藤月岑書留)   〝久保氏蔵河漏製図     抱一上人御讃、鍬形蕙斎画    新蕎麦の給仕はかへる乙鳥かな  屠竜題〟  ◯『扶桑画人伝』巻之四 古筆了仲編 阪昌員・明治十七年八月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝蕙斎    鍬形氏、初名ハ政美、後チ紹真・蕙斎・杉皐ト号ス、通称三四郎ト云フ、江戸ノ人。文晁ニ画法ヲ学ン    デ山水人物花鳥ヲ能ス。殊ニ名所真景ノ図ヲ写スニモ工ミナリ。文政七年三月没ス。明治十六年迄テ六    十年〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』下p304(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)   〝鍬形蕙斎    江戸ノ人ナリ、初メ名ハ政美後紹真ト改ム、蕙斎ハ其ノ号、又タ杉皐ト号ス、通称三四郎、画ヲ谷文晁    ニ学ビテ、山水人物花鳥細画ト略画トヲ能クス、殊ニ佳区勝景ヲ写スニ工ミナリ、文政七年歿ス(人名    辞書)〟    ◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊)   「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇『浮世絵画集』第一輯(明治四十四年七月刊)   (絵師)   (画題)   (制作年代) (所蔵者)   〝鍬形蕙斎  「近世職人尽」 文化頃    東京帝室博物館〟   ◇『浮世絵画集』第二輯(明治四十五年(1912)五月刊)   〝鍬形蕙斎  「職人尽」   文化頃    東京帝室博物館〟  ◯『浮世絵師伝』p64(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝蕙斎 北尾政美の別号〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   (蕙斎名の作品)    作品数:31点    画号他:鍬形・蕙斎・蕙心斎・鍬形蕙斎・北尾蕙斎・蕙斎紹真・北尾蕙斎政美・北尾蕙心斎政美・          鍬形蕙斎紹真    分 野:絵画(略画・画譜等)18・絵本3・俳諧3・教訓4・絵巻1・伝記1・武具1    成立年:天明5年     (1点)        寛政6~9・12年(6点)        享和1~2年   (4点)        文化5・10~11・13年(9点)        天保10年序   (1点)   (紹真名の作品)    作品数:7点    画号他:紹真・鍬形紹真・蕙斎紹真・鍬形蕙斎紹真    分 類:絵巻1・絵画1・風俗1・武具1・俳諧1・伝記1・狂歌1    成立年:享和1年序 (1点)        文化13年 (1点)        文政1序・8年(2点)
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