⑮「絵本年表」:『日本木版挿絵本年代順目録』漆山又四郎著(日本書誌学大系34『絵本年表』全六巻所収)
☆ 天和元年(延宝九年・1681)
◯「絵本年表」(天和元年刊)
蒔絵師源三郎画『日蓮大聖人御伝記』大本十一冊 画工不明(蒔絵師源三郎風)中村五兵衛板
◯「国書データベース」(天和元年刊)
◇伝記
画工未詳『日蓮大聖人御伝記』延宝9序(刊年未詳画像)
☆ 貞享元年(天和四年・1684)
◯「絵本年表」(貞享元年刊)
蒔絵師源三郎画『古今俳諧女哥仙』大本一冊「蒔絵師源三郎画」序西鶴 河内屋市右衛門板
☆ 貞享二年(1685)
◯『改訂日本小説書目年表』(貞享二年刊)
◇浮世草子
蒔絵師源三郎画『好色二代男(諸艶大鑑)』井原西鶴作
☆ 貞享三年(1686)
◯「絵本年表」(貞享三年刊)
蒔絵師源三郎画『本朝列仙伝』半紙本四冊 蒔絵師源三郎画 大坂池田屋岡田三郎右衛門板
◯「国書データベース」(貞享三年刊)
◇伝記
画工未詳『本朝列仙伝』田中玄順編 岡田三郎右衛門板「貞享三歳中冬」(画像)
◯『改訂日本小説書目年表』(貞享三年刊)
◇浮世草子
蒔絵師源三郎画
『西鶴諸国はなし』井原西鶴著
『近代艶隠者』 井原西鶴著
☆ 元禄三年(1690)
◯「絵本年表」(元禄三年刊)
蒔絵師源三郎画
『人倫訓蒙図彙』半紙本七巻 蒔絵師源三郎画 平楽寺板
但し一二ノ巻は吉田半兵衛風ノ画也
「天童按、住吉具慶の洛中洛外の絵巻を見るに、源三郎は具慶の門人か左なくも具慶を私淑せる者
なるべし。又署名なきも西鶴の好色一代男、二代男、諸国咄、近代艶隠者(欠字)版の撰集抄等
は源三郎の画なる事疑無し」
☆ 元禄五年(1691)
◯「絵本年表」(元禄五年刊)
◇絵本
蒔絵師源三郎画『小謡(観世流百番)』半紙本一巻 画工不明 源三郎風 鱗形屋孫兵衛板
☆ 元禄七年(1694)
◯「浮世草子年表」(元禄七年刊)
蒔絵師源三郎画
『都花橘』蒔絵師源三郎風画 油屋宇右衛門板 元禄七刊 ①〈天理大学本の書誌による〉
☆ 正徳五年(1715)
◯「絵本年表」(正徳五年刊)
◇絵本
蒔絵師源三郎画『西鶴女歌仙』「蒔絵師源三郎図」伊丹屋新七
「本書原版ハ俳諧女歌仙ト題シ貞享元年版ナリ」
☆ 没後資料
◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年十月記・文政元年六月写)
(本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)
蒔絵師源三郎
元禄三年刻本、人倫訓蒙図彙に、此名あり。西鶴が作の読本さし絵、名をあらわさずといへども、多く
は此人の絵なり。
◯『燕石雑志』⑲491(飯台簑笠翁(曲亭馬琴)著・文化七年刊)
(「田之怪」の項、「吹革」の考証。「鋳掛師」「煎餅師」の図を引く)
〝人倫訓蒙図彙 【全七巻元禄三年庚午七月発行作者詳ならず 画は蒔絵師源三郎といふものゝ筆なり書
肆平楽寺梓】〟
◯『けんどん争ひ』〔新燕石〕②78(山崎美成編・文政七~八年論争)
(「けんどん」の名義に関する曲亭馬琴と山崎美成の論争。馬琴、『人倫訓蒙図彙』を引き考証する)
〝元禄中の風俗、諸商売の図画を書集めたるものなれども、こは京師にて撰述せし俗書にて、蒔絵師源三
郎とかいふものの筆に成れるものなれば、江戸の事は謬伝る事多かり〟
〈この論争、両者が絶交するという激しいものであった〉
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③289(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
〝蒔絵師源三郎【元禄ノ頃ノ人】
俗称(空白)、居(空白)、号(空白)、
醒世翁曰、元禄三年の刻本に此名あり、西鶴が作の読本さしゑ、名をあらはさずといへども、多くは此
人の画なり【以上追考】
人倫訓蒙図彙【源三郎画】〟
〈「醒世翁」とは『浮世絵類考追考』著者山東京伝、「元禄三年の刻本」とは『人倫訓蒙図彙』のこと〉
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
〝蒔絵師源三郎 元禄ノ人 居 号
醒世翁曰元禄五年の刻本に此名あり。西鶴が作の読本さしゑ名をあらはさずといへども多くは此人の画
なり 以上追考
人倫訓蒙図彙 六冊 源三郎画
猫金画斧 五冊 此人歟〟
〈『無名翁随筆』(渓斎英泉著。別名『続浮世絵類考』)と同文の上『猫金画斧』を増補する。但し「国書基本DB」
には同書が見あたらない。なお『人倫訓蒙図彙』は元禄三年刊。五年としたのは斎藤月岑の錯誤。京伝の「類考追
考」も英泉の『無名翁随筆』も元禄三年としている〉
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」p中1376(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
〝蒔絵師源三郎 元禄三年刻本、人倫訓蒙図彙に此名あり、西鶴が作の読本のさし画に、名をあらはすと
いへども、多くは此人の絵なり 浮世画類考
燕石襍志(頭注に〝燕石雑志衍〟とあり)
人倫訓蒙図彙全七巻、元禄三年庚午七月発行、画は蒔絵師源三郎筆、書肆は平楽寿梓
(「鋳掛師」と「煎餅師」の挿絵あり)〟
〈『燕石雑志』は滝沢解(曲亭馬琴)著の随筆。文化八年(1811)刊〉
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪199(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
〝蒔絵師源三郎
醒世翁曰、元禄五年の刻本に此名あり。西鶴が作の読本の指画に、名はあらはさずといへども、多くは
此人の画なり。
人倫訓蒙図彙 猫金画斧 五冊 此人歟〟
◯『浮世絵師便覧』p225(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝源三郎(ゲンザブロウ) 奈良の人、蒔絵師、元禄三年板、人倫訓蒙図彙を画く〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(22/103コマ)
〝蒔絵師源三郎【元禄元~十六年 1688-1703】
奈良の人、元禄三年の板『人倫訓蒙図彙』にこの名ありと云ふ、井原西鶴が著作の浮世草子の挿絵は、
名をあらはに署せずと雖も、多くは此の人の筆なりと云ふ〟
◯『浮世絵師伝』66p(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝源三郎
【生】 【歿】
【画系】 【作画期】元禄
奈良の人、蒔絵師なり、元禄三年七月版『人倫訓蒙図彙』(版元、京都村上平楽寺)七册の内、巻三以
下(巻一及び巻二は別人の筆)の五册を画けり、蓋し、巻三の終りに「蒔絵師源三郎筆」とあるを以て、
彼が名を知らるれども、其が画風は頗る稚気を帯び、画系の如きは全く不明なり。また元禄八年版(舎
衣軒作)の『好色十二人男』五册も彼の挿画なりと云ふ〟
◯『古版絵入本展覧会瞥見記』(三村竹清著「東京堂月報」19-14・昭和七年(1932)十一月)
(『三村竹清集三』日本書誌学大系23-(3)・青裳堂・昭和57年刊)
◇「蒔絵師源三郎」
〝『人倫訓蒙図彙』七冊、元禄三庚午載七月吉旦、書林平楽寺開板、世間にては、此の本の巻の三の末に、
蒔絵師源三郎の名あれば、其の画く所として伝へ居るに、此の書は元摺と覚しきに、却て其名無し、水
谷不倒氏の話に、別摺と覚しき大本を見たることありしかど、それにも名は無かりし由。よのつねのし
わざは名のあるものを削りて摺ることこそあれ、蒔絵師源三郎も、当時は今ほどに珍重されはすまじき
に、あとより名を刻り入るゝとは、をかしなことなり〟
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
◇「天和二年 壬戌」(1682)p45
〝正月、浮世草子の鼻祖と目せらるゝ井原西鶴の傑作『好色一代男』八冊出版。挿画は蒔絵師源三郎なり。
後年の江戸版は蓋し師宣の挿画なり〟
◇「貞享元年(二月二十一日改元)甲子」(1684)p47
〝十月、蒔絵師源三郎の画にて『俳諧女歌仙』出版。又源三郎の傑作、西鶴の『好色二代女』も今年の出
版なり〟
◇「貞享三年 丙寅」(1686) p48
〝此年吉田半兵衛の絵入本にて西鶴作の『好色一代女』『好色五人女』『好色三代男』等あり。又西鶴作
にて、蒔絵師源三郎の絵入本『近代艶隠者』も此年の出版なり〟
◇「貞享四年 丁卯」(1687)p49
〝此年蒔絵師源三郎の挿画にて『撰集抄』出版せり〟
◇「元禄三年 庚午」(1690)p51
〝七月、蒔絵師源三郎・吉田半兵衛等の筆に成れる『人倫訓蒙図会』七冊出版〟
△『増訂浮世絵』p69(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝蒔絵師源三郎
奈良の人といふことで、元禄三年版の人倫訓蒙図絵を画いて有名である。西鶴の浮世草紙の多くは、こ
の人の筆であらうといはれて居る〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:1点
画号他:薪絵師源三郎
分 類:事典1
成立年:元禄3年
〈『人倫訓蒙図彙』一点のみ〉