Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ かつしかは 葛飾派(北斎派)浮世絵師名一覧
 ◯『画家大系図』(西村兼文編・嘉永年間以降未定稿・坂崎坦著『日本画論大観』所収)
    「宮川・勝川画系(北斎派)」  ◯『諸画家系普鑑及年代図形高評品』(吉田竹次郎編 東京 前羽商店 明治二十九年(1896)十二月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   (浮世絵之部)   〝北斎 葛飾為一    初名春朗、俵屋宗理、辰政、雷斗、北斎、画狂人、錦袋舎、戴斗、前北斎為一、画狂老人、卍、雷信、以    上数号アリ、コノ他、可侯(ママ)、群馬亭等アリ、印行ノ絵本アリ。宝暦ニ生レ嘉永二年没ス、年九十、墓    ハ浅草永住町誓教寺ニアリ     女子三人    長女ハ重信妻早世 二女ハ他ヘ嫁シ 三女重信後妻     二代目北斎戴斗 本所ノ産、亀屋ト号シ、吉原仲ノ町住     辰斎 柳々居  雷斗 柳川重信  雷洲 住青山  北馬 蹄斎   北春(ママ)昇亭〈北寿の誤植であろう〉     北岱 盈斎   北嵩 蘭亭    北雲 東南西  文雄 源流斎  北鵞  三田小三郞、卍楼     甘斎 市川   秀鵞 杉浦、柳亭 北泉 戴岳   北洲 大阪住  墨仙  月光亭、ナゴヤ      北渓 葵岡   春政 岳亭〟    〈二代目北斎以下が北斎の門人名。記事の最後が「北渓 葵岡  春政 岳亭」と一列になっている、これは北斎門人     「葵岡北渓」と北渓門人「春政 岳亭」という意味なのであろうが、はたしてこれは岳亭春政なのかそれとも春政と     岳亭の二人なのか分からない。岳亭が春信を称したことは知られるが、春政は未詳。また源流斎文雄や柳亭秀鵞の名     は初出か〉  ◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇葛飾派(上22/110コマ)   〝葛飾北斎は歌麿同時の人であるが、初め勝川春章の門に学び、後ち菱川師宣・俵屋宗理・北尾重政・及    び支那の山水画などに則り、西洋画法さへ参酌して、終に一家の画風を開き盛に健筆を揮つた。特に北    斎は浮世絵師中での長寿者で、九十歳の高齢に達し、且つ身体壮健で、終生筆硯に親んで居たから、各    種の作品が今猶存在して、大に珍重されて居る。門人には北渓・北馬・北寿・辰斎・柳川重信などが居    る〟   ◇葛飾北斎(下60/110コマ)   〝門人の重なるものは・柳川重信・蹄斎北馬・魚屋北渓・柳々居辰斎・盈斎北岱などで其の外門人五十人    もあるが、北斎の画風を慕ひ歌麿を加味して、菊川派をなしたものは英山で、英山門から出て北斎に傚    つたものは渓斎英泉である〟    葛飾-鳥文斎(細田)派系図(『浮世絵の諸派』上 所収)  ◯『本の覚』(三村竹清著「本道楽」・昭和十四・五(1939-40)年)   (『三村竹清集三』日本書誌学大系23-(3)・青裳堂・昭和57年刊)   ◇「浅草一覧図」   〝伊勢の津の入江町に、窪一斗といふ染物屋があつた。窪一斗といふ号は、北斎に就いて画の稽古をした    時に貰つたんださうだ、好事家でいろんなものを持つてゐた、今名古屋で骨董屋をしてゐる加藤文は其    孫にあたる(中略)    一斗の外に津藩士に葛飾一扇といふものが、北斎門人だ、常府であつたか、委しい伝は、津で分らぬ、    私はこの人の美人の扇面を持つてゐる。生川春明も北斎に教を受けたと自ら言つてゐたと草川主人に聞    いた事がある〟