◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝寛志
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】宝暦
東燕斎と号す、肉筆風俗画あり〟
〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「寛志」は「カ」ではなく「ク」の項目にあげている〉
△『増訂浮世絵』p195(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝東燕斎寛志 東柳斎寛雪
肉筆画家で、版画を作らない。如何なる画系の人か明かでないが、この二人は画風相類し、密接なる関
係を有するものである。寛志の作に、室内の酒宴に打ち興してゐるのを、障子の外から、嫉妬の情を、
顔にあらはしながら、立つて見てゐる図があるが、頗る深刻な表現を以てしてゐる。宝暦頃の人であら
う。その画風から見て、京都大坂あたりの人でないかと思われる〟
◯『今西コレクション名品展Ⅲ 肉筆浮世絵』熊本県立美術館 平成三年刊
30「美人嗔焔図」紙本着色 落款「東燕斎寛志筆」
解説〝寛志は鳥山石燕の弟子といわれ、寛延から宝暦にかけての画家であるが、版画の作例は知られず、
肉筆画のみ残されている〟