〈岳亭春信の没年に関しては、『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」や『浮世絵大事典』のように、明治まで存
命したという説と、下出『狂歌人名辞書』や『日本小説作家人名辞書』のように、嘉永初年の没とする説があった。こ
れについて『早稲田大学所蔵合巻収覧稿』(三十六)『七へん人』の補注は、野崎左文の「【二世】岳亭定岡 岡部氏、
明治二十年頃没、享年未詳」記事(『私の見た明治文壇』「明治初期に於ける戯作者」)と、次に示す序文をあげて
「初代と二代を区別する方が正しい」としている」本HPもそれに従った〉
「序文の先達径廷(オコガマシ)と。いなめど聞ぬ老婆心。出子(オモキ)天窓(アタマ)をもたげつゝ。先師の号を笠
に着て、おもひ立日を吉辰と。駅路の硯をうちならす。……
万延はじめの年卯月末の二日 東都忍川隠居岳亭春信述」
(『滑稽冨士詣』四編叙詞、本文は古典文庫に拠る)
『滑稽冨士詣』四編・岳亭春信序〈国立国会図書館デジタルコレクション〉
〈万延元年には二代目岳亭春信が出現している。また次のような資料も伝わる〉
◯『近世列伝躰小説史』下 水谷不倒著 春陽堂 明治三十年(1897)
「仮名垣魯文」野崎左文著
〝安政五年九月、長男熊太郎産る。此時二世岳亭定岡【下谷広小路の里長 岡部助左衛門】といふもの、
出産の祝ひにとて、火消壷へ金百匹【今の二十五銭】入れて贈りしに、物に頓着せね魯文も是には少し
く眉を顰め、此悴も長生はせまじと歎息せしが(云々)〟
〈これは野崎左文の魯文記事。安政五年には「二世岳亭」が存在したと見るべきである。ただ、明治まで存命したとい
う従来の見解もあるから、本HPは資料として万延以降のものも収録した〉
◯「新日本古典籍総合DB 画像」(国文学研究資料館)
◇絵画(安政六年刊)
「芋喰僧正魚説法」錦絵 二枚続 一恵斎芳幾戯画 岳亭春信二世戯文 仮名垣魯文狂歌
署名「作者卵割/二代の蘖 忍川市隠 岳亭春信戯誌」改印「未十二改」
〈改印の「未十二」は安政6年12月。署名の「卵割」「蘖(ひこばえ)」で、生まれたての作者、また芽生えたばかりの二代目
であることを示す〉
『芋喰僧正魚説法』(二代目岳亭春信戯文 安政六年十二月改)
◯「二代目岳亭の遺業」高木元著(『人文社会科学研究』13号 千葉大学大学院 2011.9.11)
〝小田島洋氏は従来の文学史や辞典類の言説において、初代岳亭と二代目岳亭ごが混同されていることを
指摘し、さらに初代の没年が安政三年以前で在ることを示す新資料を提示されている〟
〈小田島洋氏によると初代岳亭の没年は安政三年(1856)以前とされる。高木元氏は小田島氏の論文として『岳亭八島五
岳基礎的研究その三』(1980)・「岳亭の基礎的研究 ―岳亭活動年表―」(第六回国際浮世絵学会(2001年11月)の口頭
発表資料に別稿を添えた私家版)をあげる〉
※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
⑩〔中本型読本〕 :「中本型読本書目年表稿」 〔狂歌書目〕:『狂歌書目集成』
〔漆山年表〕 :『日本木版挿絵本年代順目録』
〔日文研・艶本〕:「艶本資料データベース」 〔白倉〕 :『絵入春画艶本目録』
☆ 文化四年(1807)
◯「読本年表」
岳亭五岳画『絵本胡蝶夢』五岳画 手塚兎月作 須原屋平助他板 ①〈画工名は「書目年表」に拠る〉
◯『洒落本大成』第二十四巻(文化四年刊)
五岳画『通客一盃記言』署名「五岳画賛」五岳山人作
〈この五岳は、没年との関係からすると、岳亭五岳ではないと思われるが、参考までに収録した〉
☆ 文化九年(1812)
◯「艶本年表」(文化九年刊)
岳亭定岡画
『膝磨毛』墨摺 中本 初代吾妻男一丁(九返舎一八)作 文化九年〔日文研・艶本〕
初編序「文化九稔 壬申陽春吉辰 吾妻男一丁」
初~五編・発端・六編~七編 十六冊 吾妻男一丁(初~三代)作 文化九年~嘉永四年刊〔白倉〕
〈国文学研究資料館〔目録DB〕初・二編は文政九年刊、七編は嘉永五年刊とする〉
☆ 文化十二年(1815)
◯「合巻年表」(文化十二年刊)
岳亭定岡画
『戻駕再合肩』 堀河多楼春信画・作 板元未詳(注:日本小説年表による)①
『春山姥花鉞』「堀川多楼春信画作」 泉市板 ①
☆ 文化十三年(1816)
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(文化十三刊)
岳亭春信画『狂歌六玉川』一冊 岳亭春信画 芬陀利花弇撰 版元不記載
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
◇狂歌(文化十三年刊)
岳亭定岡画『狂歌六玉川』一冊 岳亭春信画 芬陀利華庵(朱楽菅江)編
☆ 文化十四年(1817)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十四年刊)
岳亭定岡画『堀川初度狂歌集』二冊 岳亭等画 六樹園選
◯「合巻年表」(文化十四年刊)
岳亭春信画
『寄愛度金売吉事』「岳亭春信画画図」陽斎南山作 泉市板 ①
『七変人笑爾呉竹』「岳亭春信画」 陽斎南山作 河源板 ②①
『天人羽衣松』 「岳亭春信画」 陽斎南山作 河源板 ①〈陽斎南山は岳亭春信の戯作名〉
◯「日本古典籍総合目録」
◇合巻(文化十四年刊)
岳亭春信画
『七変人笑爾呉竹』岳亭春信画 陽斎南山(岳亭春信)作
『寄愛度金売吉事』岳亭春信画 陽斎南山(岳亭春信)作
『天人羽衣松』 岳亭春信画 陽斎南山(岳亭春信)作
☆ 文化十四~十五年(1817~18)
◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)
「青山 浮世画」〝春信 号岳亭 久保町 丸屋卯之吉〟
☆ 文化年間(1804~1817)
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(文化年間刊)
岳亭定岡画『四季狂歌集』一冊 岳亭風ノ画 鶴廼屋・聴風軒・泥田坊選 扇屋利助板〈大坂出版〉
☆ 文政二年(1819)
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(文政二年)
⑧「岳亭春信画」Ⅱ-16「恵方詣り」(藁苞から業平蜆を落としていく男二人の酔態)
「可楽即考」の戯文と「立川金馬」の狂歌賛〈蜆の大きさによって大小月を表す〉
☆ 文政三年(1820)
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(文政三年刊)
岳亭定岡画『山水奇観狂歌集』一冊 岳亭定岡画 福廼屋・三筆楼・鈍々亭等撰 大皷側板
◯「日本古典籍総合目録」(文政三年刊)
◇狂歌
岳亭定岡画『狂歌友の文庫』三巻 桃渓・定岡画 六樹園・三日坊編
☆ 文政四年(1821)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政四年刊)
岳亭春信画
『狂歌読本咏奇譚』三冊 岳亭春信 二世萩の屋外二名選 本町側蔵版
『新曲撰狂歌集』
初編 千春 北渓 英山 山川白酒画 春青斎画 素羅園写 勢砂筆 狂蝶子文丸画 清澄画 六樹園序
二編 信亮筆 北渓 塵外楼 一峨画 静斎 岳亭 三◎画 徳成画 雅楽◎堂 六樹園序
◯「絵入狂歌本年表」(文政四年刊)
岳亭定岡画
『狂歌昼夜行事集』二冊 岳亭画 北渓画 文々舎蟹子丸編 角丸屋甚助他板〔目録DB画像〕
序「午乃春 書肆耕文堂のあるじ誌」奥付「撰者 葛飾 文々舎蟹子丸 画者 八島 岳亭定岡」
〈文政年間の「午」は文政5年であるが、〔目録DB〕の書誌は文政4年刊とする〉
『狂歌詠咏奇譚』四冊 定岡画 二世荻廼屋撰 角丸屋甚助板〔狂歌書目〕
☆ 文政五年(1822)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政五年刊)
岳亭定岡画
『六樹園月次狂歌合』一冊 岳亭画 六樹園選
『狂歌三十六歌僊』 一冊 画図岳亭定岡 六樹園・西来居撰 反故堆主人蔵
『狂歌水滸伝』 一冊 岳亭八島定岡画図 塵外楼・江都園・福廼屋撰
『狂歌評判記』 一冊 岳亭筆 塵外楼清澄序
◯「絵入狂歌本年表」(文政五年刊)
岳亭定岡画〔狂歌書目〕
『壬午月並狂歌百題』一冊 北渓・岳亭他画 芍薬亭長根撰
『狂歌怪談百首』一冊 定岡画 二世萩廼屋編 角丸屋甚助板
『楚漢狂歌合』 一冊 定岡画 春廼屋撰 春廼屋成丈板〈〔目録DB〕は画工・刊年不記載〉
『狂歌評判記』 一冊 定岡画 塵外楼編 六樹園判 塵外楼清澄板<〈〔目録DB〕は画工名不記載〉
岳亭定岡画〔目録DB〕
『碓氷のいしふみ』 一冊 岳亭画 六樹園・浅江園撰
『狂歌三十六歌仙』 一冊「画図岳亭定岡」六樹園・西来居撰 反故堆主人蔵板
『狂歌水滸伝』 二冊 見返し「一百八員/肖像 岳亭八島定岡画図」
福廼屋・江都園・塵外楼編
◯『狂歌水滸伝』(ARC古典籍ポータルデータベース画像)
〝神歌堂、八島定岡
すゞしさの噂をすれば風の音木陰に秋の立きゝをして
画人岳亭初め春信といひ後定岡と改む。東都霞ヶ関の産にて青山にひとゝなる。今日本橋阪本市中に閑
居す。よく天文に通ず。又心たかく一たびハ義によつて死地に就く【伝出一書】。一たびハ孝によつて
雷下に伏す【同上】。或人是を賛して曰(く)
其孝靁不能◎ 其義鱷不能服 皇天昭昭 永錫景福〟〈◎は表示不能文字〉
〝芳埜真芳(姓大谷、名貞保、字微甫、俗称長次郎)
秋響亭槌丸、画人岳亭を無二の友とす〟
◯「日本古典籍総合目録」(文政五年刊)
◇狂歌
岳亭画『碓氷のいしふみ』岳亭画 六樹園・浅江園撰
☆ 文政六年(1823)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政六年刊)
岳亭定岡画『鹿島名所図会』二冊 岳亭八島定岡図 北条時鄰著
◯「絵入狂歌本年表」〔目録DB〕(文政六年刊)
岳亭定岡画『狂歌垣下集』一冊 定岡画 淮南堂・弥生庵編
◯「日本古典籍総合目録」(文政六年刊)
◇絵画
岳亭定岡画『一老画譜』一冊 岳亭定岡画 画仙堂蔵板
◯「艶本年表」〔白倉〕(文政六年刊)
岳亭春信画
『婦男愛添寝』色摺 半紙本 三冊「丘山亭筆」資米序 文政六年
(白倉注「絵柄に北斎の『絵本つひの雛形』『富久寿楚宇』との類似作が多い。とくに後れ毛の断ち切りという『雛
形』との類似は注目に値する」)
◯『滝沢家訪問往来人名録』下p113(曲亭馬琴記・文政六年一月)
〝同月(癸未・文政六年)同道初入来
八丁堀 未ノ夏より人形町田所町西例(ママ) 画工楽亭
酉(文政八)ノ年ヨリ小田原町内ぇ転宅のよし〟
〈この楽亭を岳亭の誤記とみて、とりあえず収録した。「同道」とあるのは前項にある〝癸未正月廿日入来 小船町廻
船問屋小林氏隠居舎弟 三枝屋勘次郎〟とある人か〉
◯『一老画譜』(文政六年八月、承淵光博序)
(国立国会図書館デジタルコレクション画像)
〝一老画譜者八島先生所筆也。八島先生者何人乎。平田氏之遺子也。文以雷四方、画以鳴宇内矣。蓋以文
与画、使衆人為悦目感肺者、皆如斯画譜焉。開之則如自入山林双幽人矣。其體亳不襲古人書、一家機軸、
而有為嚆矢(以下略)〟
☆ 文政七年(1824)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政七年刊)
岳亭定岡画
『列仙列女画像集』狂歌 上巻 岳亭定岡画 下巻 拱斎北渓画 四方歌垣序 宿屋飯盛跋
『狂歌奇人伝』
初編 定岡画歟 東都八島定岡著 六樹園序 大阪屋茂吉板
二編 定岡画歟 東都八島定岡著 源朝臣光博撰(同上)
三編 定岡画歟 東都八島定岡著 六樹園序 (同上)
◯「読本年表」(文政七年刊)
岳亭画『白壁草紙』「画師 岳亭定岡」東里山人作 中村屋幸蔵他板 ⑩①
◯「日本古典籍総合目録」(文政七年刊)
◇狂歌
岳亭定岡画
『狂歌現在奇人譚』三編六冊 八島定岡著 大阪屋茂吉板
『水魚大会狂歌合』一冊 岳亭定岡画 六樹園・芍薬亭撰
◯『狂歌現在奇人譚』後編(文政七年閏八月、源光博序)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)
〝先生八島氏、姓菅原、名定岡、字鳳卿、岳亭其号也、又号神歌堂一老、平田氏之遺子、而産東武霞関、
其母為側室時、閫内妒毒酷、仍避身於西郊青山里知音方、後携先生嫁邑之八島氏、遂長其地、先生天資
好画、六歳始解後素意、七歳学書及剱、斯歳秋患湿眼、薬餌亡功、引延躐年曁八年、十有五之春、遇一
良医之金篦、再得視天日、爾来双親禁一切費眼力之事、頗似懲羮吹虀、其重護亦甚、十有九歳、養父嬰
不遂疾、在褥三年、継其母亦臥同疾七年、昼汲々生産 夜侍枕席扶病 得◎暇就燈下、聊閲諸書而已、
遭斯困厄家資殆蕩盡、百術為之所妨、不果其志、双親千秋之後、随其嗜好、終以画為業也云、而近来都
下所謂狂歌者行多與其徒唱和、斯著狂歌奇人譚、抑先生、其幼也窘眼疾、其長也遭双親疾苦、一日无開
口笑、日習為性、終嫌一切佚遊戯楽之事、耳不喜鄭聲淫曲、口不甘烟酒肥濃、唯画及著作以為任、無他
嗜好、是亦宜為一奇人乎。◎謹作伝以換序〟
〈八歳時明を失うも十五歳にして治癒。八島氏の養父母を介護すること七年、辛苦の末、画を以て業と為す。◎は不明文字〉
☆ 文政八年(1825)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政八年刊)
岳亭定岡画『吉原形四季細見』一冊 画工八島貞岡 岳亭筆 花笠連蔵版
◯「読本年表」〔中本型読本〕(文政八年刊)
岳亭画『忠孝水水川』前編 岳亭定岡画・作
◯「人情本年表」(『人情本事典』)(文政八年刊)
岳亭定岡画『忠孝水水川』初編 岳亭定岡画・作
◯「双六年表」〔本HP・Top〕
「新版狂歌江戸花見双六」「岳亭画」春農屋作 鶴屋喜右衛門「文政八乙酉歳正月吉日発」
◯「日本古典籍総合目録」(文政八年刊)
◇狂歌名鑑
岳亭画『狂歌作者一覧』八島岳亭画 葛飾文々舎編
◯『街談文々集要』p383(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)
(「文化十二年(1815)」記事「河鹿之種類」)
(「河鹿」の考証。後年の文政年間刊『河鹿考』を引く。さらに、文政八年、常葉居主人なる人、多摩川
で捕獲した「かじか」の写生図あり。その図に関して)
〝かじかは魚なりと云、虫なりと云、鳴と云、鳴かずと云、とり/\争ひあれば、五岳画工に見せ写させ
置ぬ。文政八酉の七月、野の舎の主千引。
(模写の落款)五岳老人画、豊(一字未詳)写〟
〈「かじか」の写生は文政八年七月。写生させた「野の写の主千引」は国学者の大石千引。写生した「五岳画工」は岳
亭五岳(岳亭定岡)か〉
☆ 文政九年(1826)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政九年刊)
岳亭定岡画『略画職人尽』狂歌一冊 岳亭先生の画 岳亭定岡序 かつしかの蟹魚跋 詞花堂蔵板
◯「艶本年表」〔目録DB〕(文政九年刊)
岳亭定岡画『浮世閨中/膝磨毛』初・二編 定岡画? 吾妻男一丁(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)
☆ 文政十年(1827)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政十年刊)
岳亭定岡画『紫草』二冊 岳亭画 東武岳亭定岡編 蓬葛堂の主人序
◯「絵入狂歌本年表」〔目録DB〕(文政十年刊)
岳亭定岡画『狂歌千人一首』一冊 画者八島岳亭 葛飾文々舎撰 葛飾連
◯「日本古典籍総合目録」(文政十年刊)
◇人情本
岳亭画・作
『忠義小伊曾物語』前編 青斎夏山画 岳亭定岡作
『忠孝水水川』 二編 岳亭定岡画・作
◇滑稽本(文政十年刊)
岳亭主人作
『滑稽鈍痴奇論』三巻 一筆斎英寿画 岳亭主人戯編 文政10年
◇随筆(文政十年序)
岳亭定岡画『むらさき草』上下「岳亭」画・岳亭定岡編 蓬蒿堂主人序
序〝于茲青紅楼主人が編る小冊子あり、或ひともち来つて予が一言を乞ふ〟
〈「青紅楼主人」は岳亭定岡の別号と思われる〉
◯「文政十年丁亥日記」①67 文政十年三月十三日(『馬琴日記』第一巻)
〝画工岳亭来ル。予、対面。近日上京のよしニて、扇面五本染筆たのまれ、燈下ニ認、遣之。且、去年中
被頼候嶋の勘十郎の伝、認置候分、遣之〟
〈岳亭は岳亭春信(後定岡)。『原色浮世絵大百科事典』第二巻は岳亭の上京を文政一年~三年(1818~20)および天保
二年~三年(1831~32)とするが、文政十年(1827)の上京もあったことになる。出発は三月二十一日であった。八島五
岳(岳亭)編『百家琦行伝』(天保六年自序)所収の「嶋の勘十郎」の伝記は馬琴の原稿に拠ったのである〉
◯「文政十年丁亥日記」①72 文政十年三月廿一日(『馬琴日記』第一巻)
〝画工岳亭来ル。上京、今日只今より発足のよし。過日約束之たんざく十五枚、認くれ候様、被申之。即
座に染筆。奇応丸包一、為餞別、遣之。早々帰去〟
☆ 文政十一年(1828)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政十一年刊)
岳亭定岡画
『狂歌百人千首』二冊 岳亭 久太楼ひめまろ序
『猿著聞集』 五巻 岳亭画 八島定岡著 花屋久次郎他板
◯『猿著聞集』〔大成Ⅱ〕⑳403(岳亭定岡著・文政十一年刊)
(自序)
〝政亥如月 岳亭八島定岡自叙 任斎谷詠書〟
〝灯光半点在窓下 黯々机頭無一書 書籍非無灯非無 樗材加復欠三餘 岳亭題〟
〈「政亥」は文政十年。「解題」〝八島定岡 本姓は平井氏、後八島斧吉と云った。通称は丸屋斧吉、画号を春信、狂
名を堀川太郎、又堀河多楼、別に定岡、陽亭、陽亭南山、岳亭丘山、多聞亭とも称した。初め青山久保町に住し、後
大伝馬町に移居、天保年間には大阪中の島に移住したという。狂歌は窓村武、六樹園等に学び、画は堤秋栄、魚屋北
渓、葛飾北斎等に学んだ〟とある〉
◯ 大坂滞在
(『俊傑神稲水滸伝』初編 文政十一年序。同十二年刊)
〝大野木塩屋の二人の書屋 吾旅舎に訪来りて ひとつの小説ふみをえらむべきよしを乞(ふ) おのれ東
都をいでゝより二とせまりのなが旅にして 今は只古郷に帰らんことのみ思ふをりなれば ひたすらに
いなむといへども 又さらにゆるさず(以下略)〟
〈文政10年3月江戸を出発、以来岳亭は大坂の宿舎に滞在していた。そこに大坂の版元・大野木(秋田屋宝文堂)と塩屋
(明倫堂)が読本の執筆を求めて尋ねてきた。おそらく着任間もなくのことであったろう。それに応じてなったのが
この『俊傑神稲水滸伝』。この序自体に年月の記載がないが、この前にある漢文の序には「文政戊子年冬至日」(文
政11年11月16日)とあるから、この序もその頃のものだろう〉
☆ 文政十二年(1829)
◯「読本年表」(文政十二年刊)
岳亭定岡画『俊傑神稲水滸伝』初編「岳亭定岡画作」秋田屋市兵衛他板 ①
岳亭丘山作『本朝悪狐伝』前編 英斎国景画 岳亭丘山作 河内屋長兵衛板 ⑩①
◯「日本古典籍総合目録」(文政十二年刊)
◇狂歌
岳亭定岡画『狂歌五十鈴川』一冊 岳鼎画 橘庵・戯坊・聴風風撰 扇屋利助
◯『馬琴書翰集成』⑥257 文政十二年四月二十九日 馬琴宛・渡辺崋山(第一巻・書翰番号-来38)
〝拝読、如示、喧寒不定之候、審文御使、常勝奉欣聴候。然バ、被仰下候通、去月祝融氏之難、知人多延
焼仕候。私も武清方へ参、桑名侯邸ノ裏ニて蹻、危難将死三度、まことにこり果申候。扨復、北渓事御
尋被下、如仰、職匠町と申所にて、先日の回禄には幸のがれ申候。且かねて吹挙相願候ニ付、高著繍像
被仰付候半との御事にて、自私も聞御受可仕段、拝諾仕候。今日にも罷越、此段申述候ハヾ、定而雀躍
可仕候。早々当人にも御礼に罷越、拝眉御礼可申と奉存候。何も御報迄、如此御座候
拝復
四月廿九日
尚々、御丁寧之御端書、厚謝仕候
曲亭先生〟
〈「去月祝融之難」「先日の回禄」はともに三月二十三日の大火をさす。武清は絵師喜多武清。北渓が馬琴の挿画に起
用されたのは『近世説美少年録』の二輯。初輯は歌川国貞である。「定而雀躍可仕候」北渓にとっても馬琴の読本に
挿絵をとることは名誉のことなのであろう。ただ、馬琴作・北渓画の作品はこの『近世説美少年録』二輯のみ。弘化
二年(1845)の続編・三輯以降は再び豊国三代(国貞)になる〉
☆ 文政十三年(1830)
◯「日本古典籍総合目録」(文政十三年刊)
◇狂歌
岳亭画
『夷曲月次草』紅園・岸岱・松峯・岳亭等画 壺中庵梅干丸撰
『狂歌歳時記』岳鼎画 鶴廼屋・泥田坊・聴風軒編
◯『馬琴書翰集成』①259 文政十三年正月二十八日 殿村篠斎宛(第一巻・書翰番号-56)
〝(馬琴「八犬伝」に続いて「九牛伝」を作品化するよう板元より懇望される。あまり気乗りのしない企
画であったが承知した。ところが)去年岳亭と申画工の作ニて、尼子九牛士の事出来、それを又後の楚
満人、春水と改名いたし候ゑせ作者添削いたし、丁子や平兵衛、并ニかし本や共より合、ほり立候よし。
依之、拙作の『九牛伝』ハ、岳亭・春水へゆづりくれ候様、『八犬伝』の板元、旧冬申候。素よ
り得意ならぬ著述の事故、即座に任其意、此方ハやめ可申候と返答ニ及び候〟
〈「尼子九牛士」に関する岳亭の作とは『俊傑神稲水滸伝』(岳亭定岡画作・文政12年刊)の巻末広告にある「尼子九牛
士伝 六冊 岳亭定岡作 渓斎英泉画」とあるのがそれか。また為永春水の作で丁字屋平兵衛が企画した「九牛伝」
とは『尼子九牛/七国士伝』(柳川重信画・天保四年刊)と思われる。『尼子九牛伝』は未確認〉
☆ 文政年間(1818~1829)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政年間刊)
岳亭定岡画『楚漢狂歌合』一冊 定岡画 六樹園序 春の屋蔵板
◯「絵入狂歌本年表」(文政年間刊)
岳亭定岡画〔狂歌書目〕
『狂歌吉原形四季細見』一冊 定岡画 六樹園・芍薬亭他撰 菅原連
〈文政八年の刊本と書型・体裁・外観が同一だが、挿画が異なる。前書は墨絵で本書は淡彩。選者・板元も異なる〉
『狂歌名数画像集』一冊 岳亭画 文々舎編 菅原連〔目録DB画像〕
『堀川初度狂歌集』二冊 定岡画 六樹園編 五側社中
『狂歌新撰調度集』二冊 定岡画 六樹園編 五側社中
『狂歌画賛集』二冊 定岡・北渓画 鈍々亭編 太鼓側
『狂歌略画式』二冊 定岡画 西来居編 瓢箪連
岳亭定岡画〔目録DB〕
『狂歌見ぬ世の友』二冊 八島岳亭画 芍薬亭等編
『狂歌百人一首』 一冊 定岡画 文々舎編 葛飾連 ※(注)
『金石狂歌集』四冊 岳亭画 六樹園撰(画像あり)
『狂歌歓娯集』一冊 定岡画 六樹園等詠
(注)見返し「狂歌極彩色百人一首 撰者 文々舎 筆者 至清堂 画者 岳亭 催主 葛飾連」
(早稲田大学古典籍総合データベース画像)
◯「百人一首年表」(本HP・Top)(文政年間刊)
岳亭定岡画・詠『狂歌百人一首』色摺肖像・挿絵〔跡見221 異種〕
見返し「画者 葛飾戴斗/岳亭丘山 筆者 栞廼門広好 催主 葛飾連」
「狂歌 極彩色百人一首 撰者 文々舎」
〝履をさへいれなといひし畑の瓜とりておほくのあしにかへぬ 神歌堂定岡
邪魔になるしゝおひ小屋もかたつけて稲をかり出す小田の出来秋 神歌堂〟
◯『狂歌百人一首』色摺肖像・挿絵〔跡見221 異種〕
見返し「画者 葛飾戴斗/岳亭丘山 筆者 栞廼門広好 催主 葛飾連」
「狂歌 極彩色百人一首 撰者 文々舎」
履をさへいれなといひし畑の瓜とりておほくのあしにかへぬ 神歌堂定岡
邪魔になるしゝおひ小屋もかたつけて稲をかり出す小田の出来秋 神歌堂
〈刊年の明記はないが文政年間のものと推定される。この戴斗は二代目か〉
◯『狂歌画賛集』挿絵〔跡見221〕
表紙「葵岡北渓画 鈍々亭撰」
菊花図 落款「北斎改 為一筆〔不明〕印」〈印はひらがなを組み合わせたもの〉
〈〔跡見〕本は刊記なく『狂歌百人一首』と合冊〉
『狂歌画賛集』(書誌のみ)北渓・定岡画 鈍々亭編 文政年間刊〔目録DB〕
注記「狂歌書目集成による」
〈〔跡見〕と〔目録DB〕とは同本と思われるが、画工名や刊年に異同あり、なお未確定〉
☆ 天保元年(文政十三年・1830)
◯「読本年表」(天保元年刊)
岳亭定岡画
『俊傑神稲水滸伝』二編「岳亭定岡画・作」秋田屋市兵衛他板 ① 大坂〈刊年は①の書誌による〉
『総猨僭語』 三篇「岳亭丘山画」 白頭子柳魚作 大坂屋茂吉他板 ①
『半月夜話』 「画者 岳亭丘山」白頭子柳魚作 河内屋藤兵衛他板 ①
岳亭丘山著
『水滸太平記』初編「渓斎英泉画」岳亭丘山作 中村屋幸蔵他板 ①
◯「絵入狂歌本年表」(天保元年刊)
岳亭定岡画〔目録DB〕
『狂歌金太郎百首』二冊 岳亭・岳鼎画 鶴廼屋編 大阪扇屋利助板(画像あり)
『狂歌歳時記』 四冊 岳鼎画 鶴廼屋等編 大阪扇屋利助板
岳亭定岡画〔狂歌書目〕
『夷曲月次草』 一冊 紅園(孔寅)・岸岱・松峯・岳亭等画 壺中庵撰 扇屋利助板
『猿蟹物語』 一冊 定岡画 六々園 大阪扇屋利助板
◯「日本古典籍総合目録」(文政十三年刊)
◇読本
岳亭作『本朝悪狐伝』後編 英斎国景画 丘亭丘山作 河内屋長兵衛他板 ①
◯『馬琴書翰集成』①259 文政十三年正月二十八日 殿村篠斎宛(第一巻・書翰番号-56)
〝(馬琴「八犬伝」に続いて「九牛伝」を作品化するよう板元より懇望される。あまり気乗りのしない企
画であったが承知した。ところが)去年岳亭と申画工の作ニて、尼子九牛士の事出来、それを又後の楚
満人、春水と改名いたし候ゑせ作者添削いたし、丁子や平兵衛、并ニかし本や共より合、ほり立候よし。
依之、拙作の『九牛伝』ハ、岳亭・春水へゆづりくれ候様、『八犬伝』の板元、旧冬申候。素よ
り得意ならぬ著述の事故、即座に任其意、此方ハやめ可申候と返答ニ及び候〟
〈『大内興隆十杉伝』に関する記事〉
◯ 大坂滞在
(『水滸伝太平記』初編 序)
〝于時文政御庚寅秋八月 浪花本町寓居寒亭之 倚孤窓採筆 岳亭丘山誌〟
〈庚寅は文政13年(天保元年)〉
☆ 天保二年(1831)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保二年刊)
岳亭定岡画
『今様三十六仙歌集』狂歌 一冊 岳亭又岳鼎 秋水園序
『狂歌日本風土記』 二冊 岳亭歟 隺廼屋乎佐丸・北窓梅好撰
◯「読本年表」
岳亭丘山訳『通俗西遊記』五編 岳亭丘山訳 挿絵なし ①
◯「絵入狂歌本年表」(天保二年刊)
岳亭定岡画〔狂歌書目〕
『狂歌略画三十六歌仙』一冊 岳亭丘山画 唐樹園南陀羅編 備前霊亀連
〈〔狂歌書目〕の刊年は天保元年だが、〔目録DB〕の二年刊に従った〉
『今様三十六仙歌集』一冊 岳亭岳山画 月廼屋・秋水園編 大阪扇屋利助板
『狂歌日本風土記』 一冊 定岡画 鶴廼屋乎佐丸・北窓梅好編 大阪扇屋利助板
『狂歌歳時記』 二冊 定岡画 鶴廼屋撰 大阪扇屋利助板
岳亭定岡画〔目録DB〕
『狂歌宮木杣』 一冊 紅園・定岡・玉園・梅園等画 杣廼屋栞編 大阪千里亭版
◯ 大坂滞在
(『通俗西遊記』五編 序)
〝于時天保二歳正月旦 浪花之客舎寒灯下誌之 東武 岳亭丘山〟
☆ 天保三年(1832)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保三年刊)
岳亭定岡画『狂歌阿淡百人一首』一冊 岳亭定岡画 六樹園老師撰 旭桜園蔵板
◯「絵入狂歌本年表」(天保三年刊)
岳亭定岡画〔狂歌書目〕
『狂歌阿淡百人一首』一巻 岳亭定岡画 六樹園飯盛編 徳島旭桜園板
「浪花水魚連一会」 一枚 定岡画 神歌堂等撰 大阪五岳連
岳亭定岡画〔目録DB〕
『一字題画集』 二冊 東武岳亭画 鶴廼屋乎佐丸・花廼舎春之編
◯「日本古典籍総合目録」(天保三年刊)
◇人情本
岳亭定岡作『忠義小伊曾物語』後編 青斎夏山画 岳亭定岡作
◯ 大坂滞在
(『忠義小伊曾物語』後編 序)
〝于時天保辰の春 在阪 岳亭丘山誌〟
☆ 天保四年(1833)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保四年刊)
岳亭定岡画
『狂歌宇比摩奈備(俳諧和歌四阿集)』一冊 神歌堂定岡画并選
『俳諧和歌水魚集』三冊 岳亭画 高井五常選
◯「読本年表」(天保四年刊)
岳亭丘山作
『淀屋形金雞新話』岳亭丘山作 ①〈書誌による〉
『絵本西遊全伝』三編 岳亭丘山訳 葛飾北斎画
◯「絵入狂歌本年表」(天保四年刊)
岳亭定岡画
『俳諧和歌水魚集』三冊 岳亭定岡画 花笑林等撰〔目録DB〕
『俳諧和歌四阿集』一冊 神歌堂画・編 天保四自序 在阪神歌堂板〔狂歌書目〕
『栄花の夢』一冊 岳鼎八島 月廼屋・神歌堂(岳亭) 編〔目録DB画像〕
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③314(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
〝岳亭春信
俗称 斧吉 江戸青山ノ人【狂歌ヲヨクス、窓村竹ノ門人也、堀川太郎春信ト云リ】
八島定岡ト云
北渓の門人となり、狂歌摺物、草双紙、読本等を画けり〟
☆ 天保五年(1834)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保五年刊)
岳亭定岡画
『天保山俳諧句集』黄園五岳画〈〔目録DB〕は天保7年刊〉
『天保山勝景一覧』一帖 五岳(岳亭)西村与八板
△『近世物之本江戸作者部類』p114(曲亭馬琴著・天保五年成立)
(「洒落本并中本作者部」)
〝岳亭丘山
原是小禄の御家人也といふ。退糧したるなるべけれども、なほ帯刀す。画工にて戯作をかねたり。この
作者の中本数種の印行のものありといへども一箇も記臆せず。世に聞えたるものなければ也。文政の初
の比より人形町の表店に借宅し門に標札を掲げてありしが、京浪華のかたに遊歴すとて、両三年他郷に
あり。近ごろ江戸へかへりしといふ。そが中本の書名は知れるものに問ふて、追録すべし〟
☆ 天保六年(1835)
◯「絵本年表」(天保六年刊)
岳亭定岡画
『百家琦行伝』五冊 八島五岳輯並画 岳亭五岳序 文栄堂板〔漆山年表〕
『山水画帖』 一冊 岳亭春信画 春露散人序〔目録DB〕
◯「合巻年表」(天保六年刊)
岳亭定岡画『飾磨掲布染』岳亭荘吾編 見返し「五岳〔八島〕」序「在浪華 岳亭五岳述」①
〈天保5・6年頃、大坂滞在中の様子〉
◯「読本年表」〔目録DB〕(天保六年刊)
岳亭画『俊傑神稲水滸伝』三編 八島五景画・岳亭定岡作
〈飯島虚心著『浮世絵師便覧』は、五景を岳亭定岡の男とする〉
◯「日本古典籍総合目録」(天保六年刊)
◇絵画
岳亭画『山水画帖』岳亭画
◯「日本古典籍総合目録」(天保八年以前刊)
◇狂歌
岳亭画『江戸名物百題狂歌集』一冊 岳亭画 文々舎蟹子丸撰
〈刊年未詳。撰者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
☆ 天保九年(1838)
◯『平安人物志』「画」〔人名録〕①148(弄翰子編・天保九年五月)
〝八島定岡【号五岳、又丘山、木屋町三条北】八嶋岳亭〟
☆ 天保十年(1839)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保十年刊)
岳亭五岳画『貞経』一冊 八島五岳述並画 耕価堂板
☆ 天保十一年(1840)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保十一年刊)
岳亭定岡画『画本柳樽』初編 一冊 八島五岳戯墨 黄園序 浪速五岳楼社中蔵板
☆ 天保十二年(1841)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天保十二年刊)
岳亭定岡画
『懐旧小倉百人一首』一冊 岳亭画 惺々園輯 岳亭跋
『教訓幼今川』 一冊 五岳写 八島先生撰
『俳諧画譜』初編 一冊 八島五岳筆 黄園五岳序 塩屋喜兵衛板
〈〔目録DB〕によると初版本は天保八年刊〉
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(天保十二年刊)
岳亭定岡画『懐旧小倉百首』一冊 八島五岳画 好々亭等撰 大阪塩屋長兵衛板
☆ 天保十四年(1843)癸卯
◯「読本年表」
岳亭定岡画『仙家月』「八島五岳作」「岳亭五岳編」秋田屋市兵衛他板 ①
☆ 天保年間(1830~1843)
◯「絵入狂歌本年表」(天保年間刊)
岳亭定岡画〔狂歌書目〕
『狂歌註解百人一首』一冊 定岡画 神哥堂定岡撰 大阪
『狂言哥仙画像集』一冊 定岡画 蝙蝠軒・神哥堂撰 大阪五岳連
『諸国名産狂歌集』一冊 定岡画 鶴廼屋梅好撰 大阪
『狂歌新五百題集』一冊 定岡画 大江堂・秋水園撰 大阪
『五側納会狂歌集』一冊 岳亭・嘉祥画 梅の屋・窓の屋等撰 大阪
『きしの初春』一冊 定岡画 神哥堂(岳亭)撰 大阪五岳連
『栄華の夢』 二冊 定岡画 月廼屋・神哥堂電 大坂五岳連
『良材集』 一冊 楽亭風 雲井園梅信・文泉舎唐丸編 大阪千里亭版
岳亭定岡画〔目録DB〕
『浪速水魚連珠集』一冊 花笑林画 神哥堂(岳亭定岡)・神竜国撰 大阪◎総連
◯「双六年表」〔本HP・Top〕
「新板狂歌江戸花見双六」堀川春信 大黒屋平吉 天保頃 ⑪
〈文政八年の鶴屋板との関係不明〉
☆ 天保末年頃(1840~)
△『戯作者撰集』p268(石塚豊芥子編・天保末頃~弘化初年成立、後、嘉永期まで加筆)
〝岳亭丘山 大伝馬町住居 初に青山辺ニ在しと云
俗称を斧吉といへり。今浪花ニ登りて帰らず、原戯名を堀川太郎春信といへり、中頃岳亭定岡と呼ぶ、
狂歌を窓村武に学ぶ、画ハ茅場町なる堤秋栄に学び、中頃北渓の門ニ入り、又北斎為一ニ従ふ、著述
狂歌畸人伝、水滸太平記 英泉 忠孝氷(ママ)水川【三自画イトウ/文政八】〟
◯『戯作者小伝』〔燕石〕②51(岩本活東子編・安政三年成立)
〝岳亭丘山 通称を斧吉といへり、もと戯名を堀川太郎春信といひ、中頃岳亭定岡といふ、狂歌を窓の村
竹に学び、画を堤秋栄【住茅場町】に学ぶ、後北渓の門に入り、又北斎に随従す。初め青山辺に居て、
後大伝馬町に住し、今浪花に在り、(以下、作品名あり、略)〟
〈この「今」は『戯作者小伝』の原本『戯作者撰集』にもあるから、天保年間のことか。『原色浮世絵大百科事典』
第二巻(大修館版)は「岳亭」で引く。岳亭五岳・八島岳亭とも称する〉
☆ 弘化元年(天保十五年・1844)
◯「往来物年表」(本HP・Top)
楽亭定岡画『幼孝経』八島老人(岳亭定岡)著 大坂 河内屋茂兵衛他 天保十五年刊(書誌のみ)〔国書DB〕
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
(( )は割註)
〝岳亭春信 八島氏
俗称 斧吉 号 定園 岡ノアヤアリカ 江戸青山の人
北渓の門人也。狂歌摺物、草双紙、読本等を画り。狂歌をよくし、窓ノ村竹の門人也。堀川太郎春信と
云り(南伝馬町天王祭の時、街の大あんどうを度々画きしを見たり)〟
☆ 弘化二年(1845)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(弘化二年刊)
岳亭定岡画『狂歌新五百題』二冊 画図東武在浪速岳亭丘山 大江堂・秋水園撰 井筒屋利助他板
◯「絵入狂歌本年表」〔目録DB〕(弘化二年刊)
岳亭定岡画『狂歌新五百題』三冊 岳亭定岡画 大江堂梅臣・秋水園落霞編 豊住幾之助版
☆ 弘化三年(1846)
◯『今治土産福寿草』福の巻(八島五岳画・撰・弘化四年刊)
〝弘化三とせのはるのすゑよりいよの国今治といへるところにゆきてあそひける〟
「岳亭丘山研究はしがき」(基礎史料紹介)佐々木孝文記
☆ 弘化四年刊(1847)
◯『今治土産福寿草』(康志賢著「初代との関係を通してみる二代目岳亭小攷」)
福の巻 八島五岳選・自画 奥付「今治土産福寿草残編継出 岳翁編/弘化四丁未春新彫」
寿の巻 黄花園五岳著・自画 奥付「今治土産福寿草残編継出 岳翁編」
「初代との関係を通してみる二代目岳亭小攷」
☆ 嘉永五年(1852)
◯「日本古典籍総合目録」(嘉永五年刊)
◇咄本
岳亭定岡画『茶番今様風流』二編 春信・国重画 玉塵園雪住作
☆ 嘉永年間(1848~1853)
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(嘉永年間刊)
岳亭定岡画『四季の遊』一冊 岳亭画 通用亭・散木子等編 文極堂
☆ 安政元年(嘉永七年・1854)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安政元年刊)
岳亭定岡画『狂歌百人一首』一冊 岳亭画? 六緑園天春編
◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(安政元年刊)
岳亭定岡画『誹諧歌五十人一首』初編 岳亭風 浅裏庵広好等撰
☆ 安政三年(1856)
◯「日本古典籍総合目録」(安政三年刊)
◇滑稽本
岳亭定岡作『滑稽鈍癡奇論』岳亭山人作 一筆斎英寿画 文政10年
☆ 安政五年(1858)<これ以降の岳亭は二代目>
◯『近世列伝躰小説史』下 水谷不倒著 春陽堂 明治三十年(1897)
「仮名垣魯文」野崎左文著
〝安政五年九月、長男熊太郎産る。此時二世岳亭定岡【下谷広小路の里長 岡部助左衛門】といふもの、
出産の祝ひにとて、火消壷へ金百匹【今の二十五銭】入れて贈りしに、物に頓着せね魯文も是には少し
く眉を顰め、此悴も長生はせまじと歎息せしが(云々)〟
〈これは野崎左文の魯文記事。安政五年には「二世岳亭」が存在したと見るべきである〉
☆ 安政六年(1859)
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(安政六年)
②「岳亭梁左画」(「入歯」の扇子に大太刀を佩く高下駄男の大道芸)2-12/30
「魯文賛」「歳旦」〈着物の描線に大小の月 岳亭梁左は二代目岳亭〉
☆ 安政年間(1854~1859)
◯「日本古典籍総合目録」(安政年間刊)
◇狂歌
岳亭画『歌の友ふね』岳亭・歌川国貞二代画 曽根松古編
☆ 成立年未詳
◯『零砕雑筆』〔続大成〕④232(中根香亭著・成立年未詳)
〝五岳の今様
淋しき庵の冬ごもり、味噌する音もおもしろし。あるじは客にはたらかせ、峰の白雪置き炬燵
五岳は詩も画も善くして、世間に儘あれど、斯かるたぐひのものはいとめづらし〟
☆ 刊年未詳
◯「日本古典籍総合目録」(刊年未詳)
◇絵本・絵画
岳亭定岡画『岳亭板下』三冊? 岳亭定岡画
◇草双紙
岳亭梁左画『天竺徳兵衛一代話』一冊 岳亭梁左作 吉田屋板
◇遊戯
岳亭定岡画『狂歌江戸花見双六』八島定岡画 春農屋成丈二世編
◯「絵入狂歌本年表」(刊年未詳)
岳亭定岡画〔目録DB〕
『諸国名産狂歌集』一冊 署名「岳亭」鶴廼屋大人撰 扇子屋利助他板(画像あり)
『狂歌あしかなへ』一冊 署名「東都 岳亭筆」
『狂歌早引節用集』岳亭定岡画 福廼屋編
『狂歌百人一首抄』岳亭五岳
『狂歌のおこり』 岳亭定岡著(注記:狂歌作法後編)
『狂歌佐々那美』 岳亭・北雅等画 便々館湖静編
『狂歌卯の巻』 一帖 署名「岳鼎」紀毒也編 (画像あり)
『節用狂歌集』 一冊 岳亭・草泉画 六樹園・芍薬亭撰
『狂歌節用集』 一冊 岳亭定岡・英泉画 六樹園等編
『五撰春興集』 一冊 岳亭画 玉光舎占正撰
『狂歌調度集』 一冊 丘山画 石川雅望編
『菅原狂歌集』 一冊 署名「岳亭」(画像あり)
岳亭定岡画〔狂歌書目〕
『津国遊覧狂歌集』一冊 岳亭風の画 鶴の屋梅好撰 大阪
『狂歌玄武集』 一冊 岳亭風の画 芍薬亭・至清堂撰 江戸武隅庵板
◯「百人一首年表」(本HP・Top)
岳亭画『ゑ入 尊円百人一首』肖像 小島岳亭画 小川玉水亭書 版元・刊年未詳〔目録DB 書誌のみ〕
〈〔跡見491〕に画像はあるが、当方の見落としか画工と筆耕の名は見当たらない〉
☆ 安政五年(1858)
◯『近世列伝躰小説史』下(水谷不倒著 春陽堂 明治三十年(1897)刊)
「仮名垣魯文」野崎左文著
〝安政五年九月、長男熊太郎産る。此時二世岳亭定岡【下谷広小路の里長 岡部助左衛門】といふもの、
出産の祝ひにとて、火消壷へ金百匹【今の二十五銭】入れて贈りしに、物に頓着せね魯文も是には少し
く眉を顰め、此悴も長生はせまじと歎息せしが(云々)〟
〈里長は名主。下掲『狂歌人名辞書』はこれを引いたか。安政五年には二代目岳亭になっていたのである。したがって
安政六年以降の書誌等はすべて二代目と見て差し支えない。ただしばらくは消去せず収録しておく〉
☆ 安政六年(1859)未
◯「新日本古典籍総合DB 画像」(安政六年刊)
◇絵画
「芋喰僧正魚説法」錦絵 二枚続 一恵斎芳幾戯画 岳亭春信二世戯文 仮名垣魯文狂歌
署名「作者卵割/二代の蘖 忍川市隠 岳亭春信戯誌」改印「未十二改」
〈「卵割」「蘖(ひこばえ)」で、生まれたての作者、また芽生えたばかりの二代目であることを示す〉
『芋喰僧正魚説法』(二代岳亭春信 安政六年十二月改)
☆ 万延元年(1860)
◯『滑稽冨士詣』四篇上(歌川芳虎画・仮名垣魯文作・岳亭春信序)
〝序文の先達径廷(オコガマシ)と。いなめど聞ぬ老婆心。出子(オモキ)天窓(アタマ)をもたげつゝ。先師の号を笠に
着て、おもひ立日を吉辰(キチニチ)と。駅路の硯をうちならす(中略)
万延はじめの年卯月末の二日 東都忍川隠居岳亭春信述〟
〈「先師の号を笠に着て」とあるところから、この岳亭は二代目である〉
☆ 文久元年(万延二年・1861)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文久元年刊)
岳亭春信作『万国奇談袋』一冊 一梅斎芳春画 岳亭春信作 吉田屋文三郎板
序「東都忍川市隠岳亭春信」
◯「日本古典籍総合目録」(文久元年刊)
◇合巻
岳亭春信作・編
『桜荘子后日物語』二編 歌川国綱画 岳亭春信作
『栗毛弥次馬』 二編 歌川芳幾画 十返舎一九原稿 岳亭春信編 品川屋朝次郎板
『横浜久里毛』 六巻 一恵斎芳幾画 岳亭春信作
◇滑稽本(文久元年刊)
岳亭春信作
『江戸久居計』二巻 歌川芳幾画 岳亭春信作
◇外国風俗(文久元年刊)
岳亭春信著
『万国奇談袋』一冊 一梅斎芳春画 岳亭春信著 吉田屋文三郎板
☆ 元治元年(文久四年・1864)
◯『義勇八犬傳』読本 岳亭定岡作(ネット上資料「義勇八犬傳 解題・翻刻」高木元)
初編「子初春・春信改/岳亭定岡」「文亭鈔録 一松齋工筆」表紙「國周画」
二編 口絵「春峩自画」
〈高木元氏はこの岳亭を二代目とする。2編は10ウ以下を欠く〉
☆ 慶応二年(1866)
◯「日本古典籍総合目録」(慶応二年以前刊)
◇往来物
岳亭定岡注
『百姓往来絵抄』一冊 禿箒子 八島五岳注(成立年:慶応二以前刊)
☆ 慶応三年(1867)
◯「読本年表」〔目録DB〕(慶応三年刊)
岳亭画『繪本太閤記』初編 岳亭画 岳亭定岡作
◯ 番付名不明(慶応三~四年刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)
〝著家
為永春水 〈二代目〉
梅亭金鵞
鶴亭秀賀
岳亭定岡
万亭応賀
笠亭仙果
仮名垣魯文
柳亭種彦〟〈三代目〉
〈岳亭は万延元年から二代目になっているので、この番付の岳亭も二代目と考えられるが、このようなメンバーと肩を
ならべるような実績が、二代目にあるのだろうかという疑問がないでもない。2015/10/27記〉
☆ 没後資料
☆ 明治元年(慶応四年・1868)
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪220(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
〝八島氏、称斧吉、定岡と号す。江戸青山の産なり。狂歌摺物草双紙読本等画けり。狂歌をよくし、窓の
村竹の門人にて堀川太郎春信と云り。〔割註 南伝馬町天王祭りの時街の大あんどんを度々かきたり〕〟
◯『日本美術画家人名詳伝』上p210(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)
〝江戸ノ狂歌師ナリ、斧吉ト称ス、又定剛八嶋ト号ス、狂歌ヲ窓廼叢竹ニ学ビ、画ヲ堤秋栄、葛飾北斎等
ニ学ブ、又小説ヲ善クシテ戯著アリ〟
◯『古代浮世絵買入必携』p8(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)
〝岳亭春信
本名 斧吉 号 定岡 師匠の名 北渓 年代 凡七八十年前
女絵髪の結ひ方 第十二図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
絵の種類 並判、小判、摺物、絵本、肉筆
備考 摺物尤も多し〟
◯『浮世絵師便覧』p205(飯島虚心著・明治二十六年刊)
〝春信(ハルノブ) 葛飾、◯岳亭と号す、八島氏、北渓門人、◯文政〟
◯『葛飾北斎伝』p318(飯島半十郞(虚心)著・蓬枢閣・明治二十六年(1893)刊)
※〈 〉は本HPの注記
〝〈魚屋北渓〉門人に、岳亭春信あり。八島氏、俗称斧吉。定岡居と号す。江戸の人青山に住す。狂歌摺
物草双紙読本の類を画く多し。狂歌を嗜み、名を堀川太郎春信といふ。窓の村竹の門人なり。『狂歌奇
人伝』を著はす。男を五景といひ、父に継ぎて画く〟
通称谷城季三太、重信の門弟にて、初号重山、馬琴が『侠客伝』二編五巻の末二枚は、師の重信画き終
らずして、病の重りし為めい、重山続きてこれを画けり、又『藤袴』といふ絵本を画けりとぞ。志賀理
斎の男なり〟
◯『浮世絵備考』梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(71/103コマ)
〝岳亭定岡【文政元~十二年 1818-1829】
八島氏、名は春信、通称斧吉、神歌堂と号す、霞ヶ関に生れて青山に人となり、後ち大伝馬町、日本橋
阪本町等に移り、また浪花に往きて住みぬ、画を堤秋栄に学び、後に北渓を師とし、更に為一にも従ひ
ぬ、狂歌を窓の村竹に学び、戯名を堀川太郎春信といふ、別に丘山と号して、自画作の板本を多く出せ
りとぞ
(本伝は『狂歌水滸伝』『浮世絵類考』等に拠る)〟
◯『浮世画人伝』p121(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
「葛飾北斎系譜」〝春信 北渓門人定岡〟
◯「集古会」第六十六回 明治四十一年(1908)一月(『集古会誌』戊申巻二 明治41年10月刊)
〝村田幸吉(出品者)岳亭春信撰 狂歌花見双六〟
◯「集古会」第七十二回 明治四十二年(1909)三月(『集古会誌』己酉巻三 明治42年9月刊)
〝林若樹(出品者)岳亭五岳板下 大円新語大丸騒動の記 一冊〟〈〔国書DB〕未収録〉
◯「集古会」第七十三回 明治四十二年(1909)五月(『集古会誌』己酉巻四 明治43年6月刊)
〝林若樹(出品者)岳亭画 富士図 六樹園・芍薬亭等賛 一幅〟
☆ 大正以降(1912~)
◯「集古会」第百二十七回 大正九年三月(1920)(『集古』庚申第二号 大正9年4月刊)
〝狂歌百人一首 戴斗・定岡画 文々舎蟹子丸撰 上編一冊
同抄 岳亭定岡稿本 一冊〟
◯『狂歌人名辞書』(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)
◇「岳亭定岡」p85
〝岳亭定岡(初代)、本姓平井氏、後ち八島斧吉、画名を春信、狂歌の号を堀川太郎と云ひ、別に神歌堂、
岳鼎、陽亭、丘山、五岳、梁左等の数号あり、初め画を北渓に、狂歌を六樹園に学び、東都坂本町に住
せしが、天保年間大坂及び京都に住して読本及狂歌集を著す、嘉永の始め頃同地に歿すといふ〟
◇「岳亭丘山」p54
〝岳亭丘山、神歌堂定岡の別号、狂歌集挿画の落款に多く此号を用ふ。(初代定岡を看よ)〟
◯「日本小説作家人名辞書」(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)
◇「岳亭丘山」p718
〝岳亭丘山
本姓は平井氏、後八島斧吉と云ふ。通称は丸屋斧吉、画号を春信、狂名を堀川太郎、或は堀河多楼と云
ひ、別に定岡、陽亭、陽斎南山。丘亭丘山、多聞亭等の号がある。始め青山久保町に住し、のち大伝馬
町に移居す。狂歌を六樹園に学び、画を堤秋栄に習ひ、又魚屋北渓の門に入り、更に葛飾北斎に従ひ、
著作をも兼ねた。天保年間大阪中の島に移住し、嘉永初年歿。「本朝悪狐伝」(天保元年(1830)刊)
「淀屋形金鶏新話」(天保四年(1833)刊)の作者〟
◇「岳亭定岡」p718
〝岳亭定岡
岳亭丘山を見よ。「神稲水滸伝」(文政十一年刊)の作者〟
◇「堀川多楼春信」p830
〝堀川多楼春信
一世岳亭定岡の狂名及び雅号。岳亭丘山を見よ。「春山姥花鉞」(文化十二年(1815)刊)の作者〟
◇「陽斎南山」p841
〝陽斎南山
岳亭丘山を見よ。「天人羽衣松」(文化十四年(1817)刊)の作者〟
◇「陽亭南山」p841
〝陽斎南山
岳亭丘山を見よ。「寄愛度金売吉事」(文化十四年(1817)刊)の作者〟
◇「八島定岡」p841
〝八島定岡
岳亭丘山を見よ。「猿著聞集」(文政十一年(1828)刊)の作者〟
◯『浮世絵師伝』p28(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝岳亭
【生】 【歿】 【画系】初め堤秋栄、後ち北渓門人 【作画期】文化~天保
菅原姓、八島氏、通称丸屋斧吉、幕府の士平田某の庶子なりしが、母故ありて八島某に嫁するや共に其
家に養はる、初名を春信といひ、後ち定岡と改む、字は鳳卿、岳亭(また岳鼎)と号す、別に五岳・丘
山・一老・南山・陽亭・陽斎・黄園・神歌堂・神岳堂・堀川多楼等の諸號あり、晩年には梁左とも称す、
初め画を堤秋栄に学び、後ち北渓の門人となる、また狂歌を窓の村竹及び六樹園に学びたり。
彼は青山緑ケ岡の養家(八島氏)に成長せし後、大伝馬町・人形町・日本橋坂本町等に転居し、文政の
末より天保四五年頃に亘りて京阪地方に住みしが、再び江戸に帰りて余生を送りき、其の性質敦厚にし
て孝心特に深かりしと云ふ。夙に著作に志を懐き、文化十二年版の『春山媼花鉞』(自画作合巻本)を
初めとして、『狂歌奇人譚』・『猿著聞集』・『俊傑神稲水滸伝』其他合巻本及び読本数種あり、版画
の作も亦恐らく文化十二三年頃より始めしならむが、文政初年以後は、盛んに狂歌の摺物を画き、傍ら
狂歌本に挿画せしもの甚だ尠からず、就中、色紙判の摺物に金銀の彩色を施せしものなど、其の技巧を
認むべきものあり、又彼が在阪記念とも称すべき天保五年版の『浪速名所 天保山勝景一覧』(落款五
岳)は殊に出色の作たり。彼が挿画せし狂歌本中、二三著名のものを挙ぐれば左の如し。
◯狂歌水滸傳(文政五年版)
◯山水奇観狂歌集(文政六年版、後ち狂歌を削除して『一老画譜』と改題す)
◯狂歌奇人譚(文政七年版) ◯略画職人尽(同九年版)
◯狂歌略画三十六歌仙(天保元年版) ◯今樣三十六歌仙(同二年版)
彼の歿時年齢は未詳なれど、凡そ幕末の頃まで生存し、相当の高齢を保ちしことは推定され得るなり。
(本項は星野日子四郎氏の研究を参考す)〟
◯『浮世絵師伝』p71(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝五岳 八島岳亭の一号。(岳亭の項参照)〟
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
◇「文政四年 辛巳」(1821)p196
〝此年、北渓・英山・沖一峨・岳亭・千春等の画ける『新曲撰狂歌集』出版〟
◇「文政五年 壬午」(1822)p197
〝此年、岳亭定岡の画ける『狂歌三十六歌仙』『狂歌水滸伝』『狂歌評判記』出版〟
◇「文政六年 癸未」(1823)p198
〝八月、八島一老の『一老画譜』出版。
九月、八島岳亭の画ける『鹿島名所図会』出版〟
◇「文政七年 甲申」(1824)p199
〝五月、岳亭の画ける『狂歌奇人譚』出版〟
◇「文政八年 乙酉」(1825)p200
〝冬、八島岳亭の挿画に成れる『狂歌吉原形四季細見』出版〟
◇「文政九年 丙戌」(1826)p202
〝正月、岳亭の画ける『略画職人尽』出版〟
◇「文政一〇年 丁亥」(1827)p203
〝正月、岳亭の画ける『紫草』出版〟
◇「文政一一年 戊子」(1828)p205
〝此年、岳亭定岡の画作読本『俊傑神稲水滸伝』初編出版せり〟
◇「天保元年(十二月十日改元)庚寅」(1830)p208
〝六月、岳鼎の画ける『猿蟹ものがたり』出版〟
◇「天保五年 甲午」(1834)p213
〝此年、岳亭定岡、黄園五岳と改名(蓋し確定し難し)し、其作画を大阪の書肆より出版せり。『天保山
勝景一覧』といへる錦絵風のもの一帖なり〟
△『増訂浮世絵』p241(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝岳亭
魚屋北渓の門人で、初め堤秋栄に学ぶ。氏は菅原。平田氏の妾腹の子であつたが、母は本妻の嫉妬を避
けるために幼き彼れを伴ひて八島氏に嫁したる故、その家の養子となりて、八島氏を名乗つた。名は初
め春信と云つたが、後に定岡と改めた。字を鳳卿と云ふ。岳亭又は岳鼎とも称し、別に五岳、丘山、一
老、南山、陽亭、陽斎、黄園、神歌堂、神丘堂等の号もある。絵本の挿絵や摺物を多く画いたが、自著
の読本もあり、彼の有名なる支那の小説「西遊記」を邦訳して世に公にしたのは此の五岳である。夙く
から丹青の技に好尚を有つてゐたが、養父母共に久しく病褥に在り、家貧にして志を果し得ず、両親の
亡後に至り、初めて画を以て業をするを得たのである。彼れの版画「天保山勝景一覧」は、大坂川口に
天保山の築かれた際、際物風に作られたものではあるが、風景画としてなか/\観るべき伎倆を示して
ゐる。明治二年以後に、八十歳以上で没したことが推考されるのみで、伝記は明らかでない〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔岳亭画版本〕
作品数:116点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
画号他:八島・一老・黄園・岳鼎・丘亭山人・丘山・五岳・春信・神歌堂・南山・堀川多楼・陽斎・
八しま翁・岳亭・八島五岳・堀川多楼春信・陽斎南山・八島定岡・定岡・八島春信・丘亭
岳山・岳亭丘山・岳亭春信・東部岳亭・岳亭五岳・神哥堂・八島岳亭・黄園八島翁五岳・
黄園五岳・堀川春信・八島老人
分 類:狂歌53・合巻12・読本11・絵画6・往来物5・滑稽本2・人情本2・俳諧2・
雑俳2・絵本2・遊戯(双六)1・教訓(実語教)1・名鑑1・咄本1・艶本1・雑記1・
風俗1・随筆1・伝記1
成立年:文化12~14年(6点)
文政3~13年 (31点)(文政年間合計39)
天保1~7・10・12・14年(18点)(天保年間合計31点)
弘化2年 (2点)
嘉永5年 (1点)(嘉永年間合計2点)
安政3年 (2点)
文久1年 (5点)
慶応2年以前 (1点)
〔丘山名の作品〕
作品数:10点
画号他:岳亭丘山・丘山
分 類:読本7・狂歌3
成立年:文政12~13年(2点)天保1~2・4・6年(6点)弘化2年(1点)
〈文久元年以降の作品は二代目岳亭春信として除外する。2013/10/01追記〉