別称(『浮世絵師伝』より) 景昇斎(けいしょうさい)
☆ 明治四年(1871)
◯「双六年表」〔本HP・Top〕(明治四年刊)
「初春書始寿語六」「豊国・一景・国周・梅堂国政・国貞?」山中北郎 明治四年十一月 ②
◯「百人一首年表」(本HP・Top)(明治四年刊)
昇斎一景画「小倉百人一首」(壱~四)〔跡見1347〕
「一景筆」蔦屋吉蔵板 明治四年十二月 改印「未十二改」
<十月 曲馬(フランス人スリエ)招魂社境内>
◯「見世物興行年表」「スリエ曲馬二」(ブログ)(国立国会図書館デジタルコレクション)
昇斎一景画「於招魂社佛国人曲馬興行之全図」錦絵三枚続 署名「昇斎一景画」蔦屋吉蔵板
☆ 明治五年(1872)
◯『東京名勝三十六戯撰』錦絵 昇斎一景 万屋孫兵衛板(国立国会図書館デジタルコレクション)
☆ 明治前期
◯「【当時一品】名誉博覧会」明治前期刊(『美術番付集成』瀬木慎一著・異文出版・平成12年刊)
〝牛肉鍋の立食 おそれいります
画 昇斎一景・相川貞水・桂文蝶・竹本喜笑軒・中村荒次郎〟
〈この番付の刊年は明治七年と推定される。根拠は下掲本HP「浮世絵事典」の「浮世絵師番付」参照のこと〉
浮世絵師番付「☆明治前期」参照
☆ 明治十七年(1884)
◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治十七年刊)
昇斎一景画『教訓善悪鏡』昇斎一景 蔦吉板(11月)
(補記「木版多色刷りの錦絵を折本様に綴じ合わせ、表紙を施したもの」)
☆ 没後資料
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898))六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(85/103コマ)
〝昇斎一景【明治元年~三十年 1868-1898】錦絵を多く画けり〟
◯「集古会」第百三十七回 大正十一年五月(『集古』壬戌第四号 大正11年8月刊)
〝三村清三郞(出品者)昇斎一景 築地明石橋 一枚〟
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝一景 昇斎と号す、錦絵あり、明治頃〟
◯『浮世絵師伝』p5(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝一景
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】明治
昇斎と号す、初め景昇斎と云へり。東都名所四十八景(明治四年版)の題紙所刻、山々亭有人の文に曰
く「抑この昇斎ぬしは彼応挙の画風を慕ひ、在昔京師に遊歴して、蘆雪の微細なる豊彦の寂たる呉春の
風韻ある墨跡に意をとゞめ、切磋琢磨なすに年あり。莫遮ゆゑ有て画術を廃し、久しく台麓時雨が岡に
世を避けしが、這度書房の請に任せ景色に図をなすこと四十有八」云々と、其の風景画に於ては稍三代
広重に似たる所あり、又風俗画には滑稽味を帯びたるもの甚だ多し、彼が四條派の画風を独修せしこと
は、其が作品の上にも自づから現はれたり。明治五年版『東京名勝三十六戯撰』其他明治初期の風俗画
及び風景画数多あり〟
◯「集古会」第百九十二回 昭和八年九月(『集古』癸酉第五号 昭和8年11月刊)
〝浅田澱橋(出品者)一景画 高輪鉄道蒸気車 三枚続一組〟
◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p86(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)
〝一景(いつけい)
昇斎、始めは景昇斎とも号す。滑稽味を帯び明治風俗画に描く。本名は不明。生年、没年も知らず。初
代広重の弟子、広景の後名ともいわれており、早くより師門の出て京都に奔り、四条派の画風を習った
らしい。その作画期は明治十年頃に止まっている〟