☆ 文政七年(1824)
◯ 肉筆「シカゴ ウエストンコレクション 肉筆浮世絵」
藤麿画「美人戯犬図」絹本
落款「文政甲申之初夏紫峰老人藤麿」印章「紫峯」「藤麿」
☆ 文政八年(1825)
◯『上野下野武蔵下総 当時諸家人名録』〔人名録〕②406(一徳斎峻沢編・文政八年刊)
〝紫峰 業和画唐画 号客山 酒泉堂 武本庄 内東藤麿〟
〈この武蔵国本庄住の内東藤麿、「紫峰」とあることから前年の「美人戯犬図」の「紫峰老人藤麿」と同人であるこ
とが分かる。当時は本庄にいたのである。但し下掲沢近嶺の随筆によると、「客山」は「蓉山」、また「内東」は
「内藤」となっている〉
☆ 文政十一年(1828)
◯『春夢独談』〔続大成〕⑧172(沢近嶺著・天保八年成稿)
〝ひとゝせ八月ばかり、むさしのくに本庄宿になんまかりける。(近嶺は同所の名主で国学者でもある
森田豊香と再会すべく本庄を訪れる。ところが、宿りしたこれも旧知の諸井弱泉によると、豊香は同
年一月に亡くなった由。そこで翌日、弱泉と共に墓参をして追悼歌を手向けた)かへさに、内藤蓉山
といへるゑだくみがりしばしいこふ。この蓉山といふ人、画はいと上手なりけるが、わきて今様の画
をたくみにて、江戸に名高かりし豊国、歌麿などにもをさ/\おとらず、このほどのうつせるなり也
とて、とらでゝ見せられける当世の佳人の画、まみつらつき、そのたゝずまひいとらうたうて、人と
はゞこたへもやするとおもふばかりにかいなしたりければ、おのれかくなん。
わすれてはこの子やたれとたをやめにとはんとすれば画にこそありけれ
さてくさ/\見もてゆくなかに、豊香翁の肖像をいろどり画きがるありて、さながらいけるが如く、
ふたゝびこの翁にあひ見るこゝちしければ、おのれいひけらく、肖像をうつせる画おのれあまた見侍
れど、かばかり似たるはなかりき。(中略。出来映えに感激した近嶺は内藤蓉山に自らの肖像画を依
頼する)さて廿日あまりへて、その画なりておくられぬ。すなはち四十歳の肖像なり。人々見てよく
近嶺がかたちに似たりといへり。おのれいとよろこびてその肖像の上に
小車のわだちの水にすむ魚も海にひれふるときなからめや
といふ、みづからの歌をかきてひめおきぬ。さて月日たつほどに、蓉山くるつとしの春ゆくりなく身
まかりけり。(中略)いよゝその画をたのしみて年月をおくりけるに、ことしの火のわざはひにあひ
て、つひにその画もほろびうせぬ。蓉山がいたつきひとゝきの間にむなしくなりぬるを、ほいなきこ
とよとおもふにもなほわすれがたくて〟
〈沢近嶺が本庄を訪問したのは、森田豊香が亡くなった年とあるから文政十一年のこと。墓参の帰りに当時本庄宿に
滞在していた内藤蓉山の許に休憩する(この内藤蓉山、上掲『上野下野武蔵下総 当時諸家人名録』の紫峰すなわ
ち内東藤麿と同人である)その折この蓉山画くところの豊香肖像画を見せられ、その出来映えにいたく感心する。
曰く「江戸に名高かりし豊国、歌麿などにもをさ/\おとらず」と。それでこの「ゑだくみ(絵匠)」の力量を見
込んで自分の肖像画を依頼する。二十日あまりを経て絵は完成、近嶺その喜びを歌に詠んで画中に認めた。その後、
その肖像画を折にふれて親しんできたが、それも天保七年の火災で灰燼に帰しあとかたもなくなった。さて、その
蓉山(藤麿)はというと、「くるつとしの春」に亡くなったとあるから、没年は文政十二年ということになろうか〉
☆ 没後資料
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1403(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
〝藤麿 当世美人絹小立
[署名]「藤麿画」[印章]「紫霞斎」(朱文方印)
(補)美人挿花図 絹彩立哥丸風 [署名]藤麿筆[印章]「刻字未詳」(白文方印)〟
◯『時代品展覧会出品目録』第一~六 京都版(大沢敬之編 村上勘兵衛 明治二十八年(1895)六~九月)
(時代品展覧会 3月25日~7月17日 御苑内博覧会館)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝「第四」徳川時代浮世画派(182/310コマ)
一 風俗雨乞小町 一幅 藤麿筆 上野光君蔵 東京市麹町〟
◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊)
「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇『浮世絵画集』第一輯(明治四十四年七月刊)
(絵師) (画題) (制作年代) (所蔵者)
〝紅霞斎藤麿 「二見浦図」 寛政頃 高嶺俊夫
紅霞斎藤麿 「芸妓図」 寛政頃 伯爵 松浦厚〟
◇『浮世絵画集』第三輯(大正二年(1913)五月刊)
〝紅霞斎藤麿 「婦女」 寛政享和頃 九鬼光子
紅霞斎藤麿 「洗馬」 寛政享和頃 政尾久子〟
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝藤麿 歌麿門人、喜多川氏、名は芳州、紫霞斎と号す、北斎壮年の画風に似たり〟
◯『浮世絵師伝』p165(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝藤麿
【生】 【歿】 【画系】歌麿門人 【作画期】享和~文化
紅霞斎、また芳州と号す、肉筆美人画あり〟