※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』
☆ 寛政六年(1794)
◯「読本年表」(寛政六年刊)
奥文鳴画『源平盛衰記図会』「奥文鳴貞章」西村中和画 秋里籬島作 ①〈刊年は書誌による〉
☆ 寛政九年(1797)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(寛政九年刊)
奧村文鳴画『東海道名所図会』六巻 秋里籬島編 小林新兵衛他板
浪速竹原春泉斎画・江戸蕙斎政美・法橋艸偃・石田友汀写・下河辺維恵写・法橋中和
金門画史狩野縫殿助藤原永俊・原在正写・小斎素絢・訥言・栢友徳画・駿陽張安画
洛東大雅堂餘夙夜。円山主水・木応受・月渓写・文鳴・画所預土佐守光貞
泉州池田之士幣垣図・駿府鬼卯写・光安画・駿府陶山平知白写・蘇英林・東渓
伊予権守専顕・高若拙・蒲生踊魚
☆ 寛政十一年(1799)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(寛政十一年刊)
奥文鳴画
『都林泉名所図会』五巻 法橋佐久間草偃 法橋西村中和 奥文鳴源貞章 秋里籬島著 吉野屋為八他板
☆ 文化六年(1809)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化六年刊)
奧村文鳴画『孝悌喩草』二冊 文鳴 児島頤斎著 娑々岐摠四郎板
〈〔目録DB〕は書名を『喩草』とし「明和序・文化六刊」画工名は不記載〉
☆ 文化十一年(1814)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十一年刊)
『京城画苑』一帖 吉田新兵衛板
素絢・原在明・豊彦・江漢司馬・芦洲・法橋正胤・応受・景文・松堂・白瑛・岸卓堂・
孝敬・南岳・玉◯・文鳴・琦鳳・壺仙・珉和・竹堂・古秀。月峯・応瑞・呉春
☆ 没後資料
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
〝奥村文鳴 名 万禩 京師人 応挙に学ぶ 高手也〟
◯『古画備考』三十上「近世二」中p1257(朝岡興禎編・嘉永四年四月二日起筆)
〝奥文鳴 字萬キ(衣偏+冀)、平安人、受業於応挙、謹守其法、精密細工、有師風、嘗写源氏譚図、賦
色美麗、布置有来歴【画乗要略】
赤松氏、名貞章、字叔凞、号栖霞【名字録】
能書ナリシガ、惜哉早ク没セリ【天保二八、田中氏話】
(補)[署名]「文鳴」〟
◯『古今墨跡鑒定便覧』「画家之部」〔人名録〕④231(川喜多真一郎編・安政二年春刊)
〝奥文鳴【字ハ万キ、平安ノ人、応挙ニ画ヲ学ンデ能ク其法ヲ守レリ】
〔署名〕「文鳴」
〔印章〕「文鳴」・「貞章之印」
◯『本朝古今新増書画便覧』「フ之部」〔人名録〕④346(河津山白原他編・文化十五年原刻、文久二年増補)
〝文鳴【奥氏、字ハ万キ、号ハ(空欄)京師人、画ヲ応挙ニ学ビ、能ク其法ヲ守ル】〟
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪234(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
〝奥村文鳴 名は万キ(示+冀)、京師の人、画を応挙に学ぶ〟
〝浮世画師にあらねども、(中略)名所図会の指画ある故に爰に録す〟
☆ 明治以降
◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝文鳴 奥氏、名ハ貞章、字ハ万キ(示+冀)、陸沉斎文鳴ト号ス、通称順蔵ト云フ、京師ノ人ナリ。応挙
ニ学ンデ能ク其画法ヲ守レリ〟
◯『日本美術画家人名詳伝』上p125(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)
〝奧文鳴
名ハ貞章、字ハ萬キ(示+冀)、文鳴ハ其号、陸沉斎ト号ス、通称順蔵、京師ノ人、円山応挙ニ学ビテ、
其ノ画法ヲ得タリ(画乗要略)〟
◯『浮世絵師便覧』p226(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝文鳴(メイ) 京師の人、奥村氏、応挙の門人、名所図会、◯文化〟
◯『狂歌人名辞書』p193(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)
〝奥文鳴、名は貞承、字は万禧、通称順蔵、京都の画家、応挙門下十哲の一人なり、文化十年十月廿三日
歿す〟
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
◇「寛政九年 丁巳」(1797)p161
〝十一月、北尾政美・竹原春泉斎・其他浮世絵師にあらぬ、石田友汀・西村中和・原在正・山口素絢・田
中訥言・円山応挙・同応受・月渓・奥文鳴・土佐光貞・佐久間艸偃・下河辺維恵・狩野永俊・
大雅堂余夙夜の挿画に成れる『東海道名所図会』出版〟
〈大雅堂余夙夜は二世大雅堂・青木夙夜〉
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔奥文鳴画版本〕
作品数:2点
画号他:貞章・奥貞章・奥文鳴
分 類:読本1・地誌1
成立年:寛政6・11年(2点)
『源平盛衰記図会』読本・秋里籬島作・西村中和、奥貞章画 寛政六年 (1794)刊
『都林泉名勝図会』地誌・秋里籬島作・西村中和、佐久間草偃、奥文鳴画 寛政十一年(1799)刊