Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ぶいち きた 喜多 武一浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
   ☆ 天保初年(1830~)    ◯『江戸現存名家一覧』〔人名録〕②309(天保初年刊)    〈当時現存の「画家」として名があがる〉    ☆ 天保三年(1832)    ◯『書画薈粋』初編〔人名録〕④492(畑銀雞編・天保三年九月刊)   〝画【名武一、字武一】八丁堀竹嶋町 喜多武一郎。江戸ノ人、武清ノ子、画ヲコノム、性酒ヲタシ(ナ)      ンデ侠気アリ、酔墨コトニ奇雅ニシテ都下ニ名アリ〟    ☆ 天保七年(1836)    ◯『【江戸現在】公益諸家人名録』初編〔人名録〕「キ部」②50(天保七年刊)   〝画 武一【名武一、字武一、可庵男】同居(喜多武清宅・八町掘竹島)喜多武一郎〟    ☆ 天保八年(1837)    ◯『馬琴書翰集成』④356 天保八年(1837)九月二十四日   (十月二十二日付、小津桂窓宛書翰(第四巻-書翰番号98))   〝(馬琴作の愛読者で三千石の旗本・石川左金吾(畳翠)より招待を受け、九月廿四日、来訪した時、そ    の席上にて)武清・武一父子合筆の画、寿星の上に蝙蝠あり。このきぬ地の画賛を、おなじ頭に乞れて、    席上狂歌      福禄をいく世かさねていやたかきくすしのかしら長いきの君    など申出候キ〟    〈喜多武清・武一父子の画く福禄寿に蝙蝠の図、この肉筆絹地に馬琴が狂歌の画賛を認めたのである〉    ☆ 嘉永二年(1849)    ◯『【現存雷名】江戸文人寿命付』初編〔人名録〕②331(嘉永二年刊)   〝喜多武一 画 兄(このかみ)の絵をつぎたるめでたさやこれぞ二代の画師のまれもの 極上々吉寿八百    五十年 北八丁堀〟    ☆ 嘉永三年(1850)    ◯『【江戸文人】芸園一覧』〔人名録〕②322(畑銀雞編・嘉永三年三月刊)   〝八町掘竹島 喜多武一〟    ☆ 安政元年(1854)    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「安政元年(十二月五日改元)甲寅」(1854) p233   〝五月、長谷川雪堤、喜多武一、山崎武陵、板橋貫雄等の挿画に成る『成田山名所図会』出版〟    〈「日本古典籍総合目録」は『成田名所図会』。早稲田大学の「古典籍総合データーベース」所蔵本をみると、署名は     「探斎武一筆」となっている〉    ☆ 安政四年(1857)    ◯『【安巳新撰】文苑人名録』「キ部」〔人名録〕③226(松靄道人編・安政四年刊)   〝画 江戸 八丁堀 喜多武一〟    ☆ 安政六年(1859)     ◯『書画薈粋』二編〔人名録〕④504(畑銀雞編・安政六年三月刊)   〝画【名武一、号探斎、又五清堂】八丁堀竹島町 喜多武一。江戸ノ人、武清翁ノ男若年ノコロ後藤光美    ノ門ニ入テ、彫刻ニ妙ヲ得タリ、後父ノ業ヲツギテ大和画ニ工ミナリ、性質柔和ニシテ朋友ト交ルコト    厚シ、故ニ家業日々盛ナリ〟    ☆ 万延元年(安政七年・1860)    ◯『安政文雅人名録』「不之部」〔人名録〕②163(安政七年二月刊)   〝画 武一【名武一、号探斎、五清堂、武清男】八丁堀竹島町 喜多武一〟    ☆ 文久元年(1861)     ◯『広益諸家人名録』三編「フ部」〔人名録〕②113(文久元年四月刊)   〝画 武一【名武一、号探斎、五清堂、武清男】八丁堀竹島町 喜多武一〟    ☆ 文久三年(1863)    ◯『文久文雅人名録』「不之部」〔人名録〕(文久三年刊)   〝画 武一【名武一、号探斎、又五清堂、武清男】八丁堀竹島町 喜多武一〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    収録なし