Top
浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ ほうぼう しゅうり 蜂房 秋艃
浮世絵師名一覧
〔 ~ 文政10年(1827)1月没・42歳?〕
(秋艃〈しゅうり〉参照)
※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」
☆ 刊年未詳(寛政~文化)
◯「絵暦年表」
(本HP・Top)(年)
③
「蜂房秋艃画」
(鉢に福寿草 女絵)1-9/23 「緑竹亭改 五兵亭淇水」狂歌賛
〈大小表示不明〉
☆ 享和二年(1802) ◯『狂歌萩古枝』〔江戸狂歌・第六巻〕浅草庵市人編・享和二年刊 (桑楊庵頭光七回忌(享和二年四月十二日)追善集) 〝呑すとも酒は一升すふにへるのこるものにや我としのかず 日くらし蜂房〟 ☆ 文化六年(1809) ◯『玉川砂利』〔南畝〕(文化六年、大田南畝、多摩川巡視中の日記) ◇文化六年正月十二日記 ⑨291 〝蜂房が画をみて、口とくよみしうた 芸者文をよむ 六郷漁翁 一二度の客に無心は白粉の面の皮のあつ板の帯 通人道をあゆむ 感応の一の富札両袖にあまれといのる客のふところ 傾城文をかく 色客のもえたつほどの胸の火を一筆しめし参らせ候〟
〈六郷漁翁は南畝の狂歌名〉
◇文化六年正月中旬記 ⑨292 〝蜂房が画賛 六郷漁翁 遊女 割床のふたつ枕に三重の帯まはり女郎はとけ/\とねず 繻子の帯島縮緬のたてぬきにむすびこめたる恋もする哉〟 ◇文化六年三月中旬記 ⑨328 〝峯村の里正蔵之助は酒を嗜みて、一日のうちに二合ほどづゝ度々にのむ。朝より夕まで酒気のたゆる事 なし。官吏をむかへて、お早う御出などゝいふさまなれたり。しかれども、その真率なるゆへに、官吏 の怒にあふ事なし。我戯れに酒仙と名付て、蜂房をして肖像を画かしむ〟
〈「峯村の里正蔵之助」は峯村の名主・長久保蔵之助〉
☆ 文化七年(1810) ◯『千紅万紫』〔南畝〕②235(文化七年四月詠) 〝浅草並木巴屋にて蜂房の画会あり さしてゆくはちはみつ蜂みつ巴むらがれあそぶ蜂房の会〟 〈『あやめ草』①72に同詠あり〉 ◯『一簾春雨』〔南畝〕⑩505(文化七年四月の蜂房の画会用に配られたチラシと思われる) 〝 蜂房絵会のちらし 絵の事は素人を後にし、黒人を前にすとかいへれど、同じ硯の海に摺り流す墨田川の辺、高殿の名も巴 かきたる筆の軸とりて、諸人の心ゆくばかり絵かき花むすびの戯も、いつしか並木の青葉にかはる卯月 のころ、四方の人/\来りつどひて給はんことをねぎたいまつるになん〟 ◯『紅梅集』〔南畝〕②383(文政三年正月十日詠) 〝 むつき十日、蜂房みづから鉢植えの桜さかりなるをもて来て贈りければ 蜂房の鉢植にせし山ざくら二三十日早さきのはな〟
〈上掲大田南畝の記事によれば、文化六年三月、蜂房は峯村の名主宅に南畝と同席しているし、翌七年の画会には引き 札まで書き与えている。両者の関係はごく親密である。やはり蜂房秋艃は大田南畝の次姉が嫁いだ吉見佐吉の本家、 吉見家四代目の八太郎と同人と見てよいのだろう。したがって絵は本業でない。絵柄は芸者・通人・遊女、どうやら 浮世絵師が画くものと同じものを得意としたようである〉
◯「読本年表」
(文化七年刊)
蜂房秋艃画
『梅か枝物語』「蜂房秋艃写」六樹園飯盛作 蔦屋重三郎板 ① ☆ 文化八年(1811)
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(文化八年刊)
蜂房秋艃画
『自讃狂歌集』初編 柳々居辰斎 俊満 素羅◎瓢天馬 広昌画 北渓画 抱亭五清画 額輔写 北寿画 蹄斎北馬画 蜂房秋艃画 菅川亭画 宿屋飯盛撰
◯「絵入狂歌本年表」
〔目録DB〕(文化八年刊)
蜂房秋艃画
『瀬川仙女追善集』一冊 遠桜山人(蜀山人)序・四方歌垣跋
〔目録DB画像〕
(菊図) 豊国・鳥居清長・栄之・辰斎・北馬・秋艃・曻亭北寿・五清・春亭・春英・北斎等画 (追善詠)三馬・飯盛・馬琴・京伝・京山・焉馬等
〈〔目録DB〕は成立年を文化七年とするが、三代目瀬川菊之丞は文化七年十二月五日没、この追善集は一周忌のも のである。すると刊年は文化八年ではなかろうか〉
☆ 文化十年(1813) ◯『狂歌関東百題集』〔江戸狂歌・第八巻〕鈍々亭和樽編・文化十年序 挿絵署名「秋艃画」「蜂房秋艃画」
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕
◇絵本
(文化十年刊)
辰光画
『狂歌関東百題集』二冊 芍薬亭長根編 竹窓亭蔵板 画工 辰斎老人画・柳斎画・十返舎一九画・卓嵩画・辰光画・文鼎画・辰潮画・三馬画 辰一・蜂房秋艃画・均郷・京伝筆・北嵩毫・北馬・辰暁画・北寿画・尚左堂 ☆ 文化十四・五年(1817・18) ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立) 「小川町 狂歌師・浮世画」〝秋艃 山形 号柳花園 豆腐屋敷 吉見八太郎〟
〈秋艃は蜂房秋艃か。吉見八太郎は南畝の次姉が嫁いだ吉見佐吉の本家の四代目。玉林晴朗の『蜀山人の研究』(p699 ・p704)によると、寛政七年(1795)当時十歳で文政十年(1827)正月十六日没の由。すると享年は四十二歳か。また蜂 房の号はあるいは八太郎を踏まえたか。2018/04/26記〉
◯「絵本年表」
〔漆山年表〕(文政元年刊)
秋艃画
『以代美満寿』一冊 立川談洲楼焉馬序 大和画元祖図鳥居清元図 五渡亭国貞画 武清筆 法橋玉山 春亭画 夸斎
秋艃筆
かつしか戴一筆 清信筆一円斎国丸縮写 国安画 豊国画
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p234(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝秋艃(リ) 十返舎一九作の草紙に此名あり、艃の字詳ならず、一説に一九が仮の名ならんと、◯文化〟 ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(56/103コマ)
〝秋艃【文化元~十四年 1804-1817】 其の伝詳ならず、草双紙の挿絵を画かり、一説に十返舎一九が仮の名とするは非なり。また蜂房とも号 す〟 ◯『狂歌人名辞書』p97(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊) 〝蜂房巣秋艃、通称吉見八太郎、東都の人、画を蹄斎北馬に学び、狂歌は便々館に就き、戯号を柳花苑山 形といふ、琵琶連判者、紀定丸の親戚なりと〟 ◯『浮世絵師伝』p79(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝秋艃 【生】 【歿】 【画系】北馬門人 【作画期】文化~天保 吉見氏、
蜂房
(画姓か)、蹄斎、また蹄亭と号す、文化七年版『梅ヶ枝物語』及び文政元年版『以代美 満寿』に挿画せり、又摺物及び肉筆美人画あり〟 ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊) ◇「文化一〇年 癸酉」(1813) p184 〝五月、辰斎・一九・柳斎・辰湖・京伝・三馬・北嵩・北馬・北寿・俊満・辰光・辰一・辰暁・秋艃の挿 画に成れる『狂歌関東百題集』出版〟
◯「日本古典籍総合目録」
(国文学研究資料館)
作品数:1点 画号他:蜂房秋艃 分 類:読本1 成立年:文化7年
〈六樹園飯盛作『梅か枝物語』の作画一点のみ〉