Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ほくうん とうなんさい 東南西 北雲浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕    〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』  ☆ 文化五年(1808)    ◯『柳亭種彦日記』p115 文化五年(1808)八月八日   〝北斎老人北雲会ふれにきたる〟    〈北斎門人、葛飾北雲。国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」によると、版本は文化十三年から文政九年にかけ     て、絵本が一点、読本六点である。署名はすべて東南西北雲。種彦作品の挿画担当はない。北斎は弟子のために画会     の宣伝もしたのであろうか〉     ☆ 文化十一年(1814)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十一年刊)    『北斎漫画』一編 東都画工葛飾北斎筆 半洲散人序 永楽屋東四郎板             尾陽名古屋校門人 北亭墨僊・東南西北雲    ☆ 文化十三年(1816)    ◯『三体画譜』(ARC古典籍ポータルデータベース画像)    序 「乙亥のとし霜月雪ふりたる朝、蜀山人書」〈乙亥は文化十二年〉    刊記「東都画工 北斎改葛飾戴斗 同校合門人 魚屋北渓 斗円楼北泉/       尾陽名古屋校合門人 月光亭墨僊 東南西北雲」    ☆ 文化十四年(1817)    ◯「読本年表」(文化十四年刊)    東南西北雲画    『復讐誉通箭』東南西北雲画 楠里亭其楽作 大文字屋与三兵衛他板 ①〈書誌による〉    『再開高台梅』東南西北雲画 栗杖亭鬼卵作 河内屋嘉助他板    ①〈書誌による〉    ☆ 文政二年(1819)    ◯「読本年表」(文政二年刊)    東南西北雲画『新編女水滸伝』「画工 尾陽 東南西北雲」好花堂野亭編 吉野屋仁兵衛板 ①    ☆ 文政七年(1824)    ◯「読本年表」(文政七年刊)    東南西北雲画『弥生佐久羅』「東南西北雲画」一渓翁野人作 伊丹屋善兵衛他板 ①      ☆ 文政八年(1825)    ◯「読本年表」(文政八年刊)    東南西北雲画    『五人振袖』 「画工 東南西北雲画」蜉蝣子作 大坂屋茂吉他板  ①    『根篠雪』見返「東南西北雲画」  文亭箕山著 河内屋茂兵衛他板 ①    ☆ 文政九年(1826)    ◯「読本年表」(文政九年刊)    東南西北雲画『会稽三浦誉』東南西北雲画 浜松氏助作 丸屋善兵衛他板 ①〈書誌による〉    ☆ 刊年不明    ◯『躾草娘庭訓』巻末広告(文化六年刊の後摺本)   〝北雲漫画初編  全一冊    北雲子ハその師北斎翁の骨肉をよく得て、風情(ふぜい)別(べち)に趣あるのみならず、久しく尾府    (びふ)にありて人情をよく察し、国々によりてその風姿(すがた)もまた違(たが)ふ事を考へしり    て、画(ゑ)に狂(きゃう)をふくみ、見るにあかずして、まなぶにやすき新工夫を心にもちて、京師    (みやこ)の風と東都(えど)の風の中間(あひだ)をうつし出られたり、かゝるこまやかなる味(あ    ぢハひ)ハ筆をとりてまなぶ者の上ならでハ心付がたく、只(ただ)与風(ふと)見る時ハ世間普通の    画臨本(えでほん)とのみ世の人の思ひ給ハんが惜しき事なれば、そのよしをもしるし、かつ此一冊に    ハ草花の類(るい)を数多く出され、花の形容(すがた)葉の理紋(すぢ)などくハしく分り易きやう    に画がかれたれば、誠に自在の筆力比類なきものなり〟    〈「久しく尾府にありて」とあるから長らく名古屋に住んでいたようである〉   ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③312(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
   「葛飾為一系譜」(北斎と号しての門人)   〝東南西 北雲【大工久五郎トアリ、スリ物、錦絵一二種アリ、 画本アリ】〟    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
   「葛飾北斎系譜」(北斎と号しての門人)   〝東南西 北雲 大工久五郎とあり 住(空白)すりもの錦画一二種あり画本あり〟    ◯『京摂戯作者考』〔続燕石〕①337(木村黙老著・成立年未詳)   (「浮世絵師」の項、〝東南西北雲〟の名前のみ、記事なし)    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   ◇「宮川氏系譜」の項 ⑪188
   「宮川長春系譜」〝(葛飾北斎門人)北雲〟(名前のみ)
  ◇「北雲」の項 ⑪219   〝東南西と号す。俗称久五郎、大工を業とす。狂歌摺物を画り。又錦絵はすくなく、わづか一二種あり。     北雲漢〈漫カ〉画 一冊 尾陽永楽屋板〟    ◯『葛飾北斎伝』p324(飯島半十郞(虚心)著・蓬枢閣・明治二十六年(1893)刊)   〝北雲 北雲は、東西南と号す。俗名久五郎【一に、文五郎】もと大工を業とす。北斎を慕ひ、画法を学    ぶ。『北雲漫画』を著はし、又『新編女水滸伝』を画く。北雲性淡泊にして、情厚し。北斎翁頗(スコブ    ルすこぶる)愛顧せしとぞ。嘗(カツテ)尾州名古屋に赴き、画く多し〟    〈「東西南」は「東南西」が正しい。虚心は次条『浮世絵師便覧』でも「東西南」としている〉    ◯『浮世絵師便覧』p206(飯島虚心著・明治二十六年刊)   〝北雲(ホクウン) 葛飾 ◯北斎門人、東西南と号す、俗称久五郎、大工を業とす、読本多し、北雲漫画あり、    ◯文化、文政〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』補遺(樋口文山編 赤志忠雅堂 明治二十七年(1894)一月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝葛飾北雲 東西南と号す 通称久五郎 読本の画亦北雲漫画あり 北斎門人〟  ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(55/103コマ)   〝東西南北雲【文化元~十四年 1804-1817】    通称久五郎、為一の門弟にて、大工を業とし、狂歌の摺物を多く画けり、板本には『北雲漫画』あり〟  ◯『浮世画人伝』p121(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
   「葛飾北斎系譜」〝北雲(北斎門人)東南四(ママ)〟    ◯『浮世絵師伝』p169(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝北雲    【生】  【歿】  【画系】北斎門人  【作画期】文化~文政    名古屋の人、葛飾を称す、俗称文(久とするは誤)五郎、東南西・戴賀等の号あり、大工を業とす、読    本の挿絵多し、『北雲漫画』あり〟    ◯『浮世絵年表』p200(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   「文政八年 乙酉」(1825)    〝此年、東南西北雲の画ける読本『復讐奇談五人振袖』出版〟    △『増訂浮世絵』p240(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝北雲    俗称久五郎又は文五郎と云ひ、東西南と号し、もとは大工職であつた。北斎に学んで深く愛顧されたり    といふ。肉筆画に見るべき遺作がある〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔東南西北雲画版本〕    作品数:7点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:葛飾北雲・東南西・東南西北雲    分 類:読本6・絵画1    成 立:文化14年  (1点)        文政2・7~9(4点)    〈東南西北雲署名の『北雲漫画』(成立年記載なし)以外は、すべて読本の作画である。なお「日本古典籍総合目録」     は統一著者名を葛飾北雲としている〉