△『戯作者撰集』p96(石塚豊芥子編・天保~弘化年間成立)
〝自惚山人
横山町一丁目池田屋久三郎ト云、産業煙管屋也、後、見世ヲ廃し浅野幸右衛門、後ニ北水と号し、天門
歴学十日の内に師南すと云て、諸国遊行せし由、終ヲよくせざりしト、北斎翁ノ話也〟
〈『戯作者撰集』を抄写改題した『戯作者小伝』もほぼ同文(『燕石雑記』②40)〉
◯『浮世絵師便覧』p206(飯島虚心著・明治二十六年(1898)刊)
〝北水(ホクスイ) 葛飾を称す、北斎門人、自惚山人といふ戯作あり〟
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(63/103コマ)
〝葛飾北水【文化元~十四年 1804-1817】
通称池田屋久三郞、横山町一丁目に住みて、煙管屋を業となしゝが、後廃業して朝野右衛門と改名し、
為一の門に入りて画を学び、また自惚山人と号して、戯作をもなせり、晩年に天文暦学の指南すべしと
云ひて、諸国を遊行せしが、其の終る所を知らずといふ〟
◯『狂歌人名辞書』p22(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)
〝自惚山人、又黄山人、通称池田屋久三郎、東都横山町三丁目に住す、初め画を北斎に学びて葛飾北水と
号し又草双紙数部を著す、寛政頃の人〟
◯「日本小説作家人名辞書」p724(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)
〝黄山自惚(キザンウヌボレ)
通称は池田屋久三郎、又本名は浅野幸右衛門、自惚山人、黄山人、黄山自惚、自惚斎、自慢斎と号す。
画を葛飾北斎に学び葛飾北水と称す。江戸横山町三丁目に住む煙草商。「万歳之島台」(天明四年刊)
の作者〟
〈「日本古典籍総合目録」『万歳之嶋台』黄表紙・黄山自惚笑作・北尾政美画・天明四年刊〉
◯『浮世絵師伝』p180(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝北水
【生】 【歿】 【画系】北斎門人 【作画期】文政~天保
葛飾を称す、自惚山人と号し、戯作あり。初め池田屋久三郎と称し、横山町にて煙管業を営みしが、後
廃業して浅野右衛門といひ、晩年天文暦学の指南をなすとて諸国を遊暦せし侭其の終る所を知らず〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
(自惚山人名の作品)(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
作品数:2点
分 野:黄表紙1・絵本1
成立年:天明6年(1点)
(黄山自惚名の作品)
作品数:4点
分 類:黄表紙4
成立年:天明4年(1点)(天明年間合計3点)
〈黄表紙四点すべて画工は北尾政美が担当。天明四年(1784)刊『万歳之嶋台』の署名は「黄山自惚笑」〉
(朝野北水名の作品)
作品数:14点
分 類:天文11・和算2・暦1
成立年:文化9~11年(4点)
〈自惚山人にも浅野北水にも作画の作品はないようである〉