☆ 弘化二年(1845)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(弘化三年刊)
葛飾北為画『菊のすがたみ』上巻 白山人北為画図 万亭応賀序
☆ 慶応二年(1866)
◯「百人一首年表」(本HP・Top)(慶応二年刊)
葛飾北為画『延寿古状揃絵抄』(内題『延寿古状揃大成』) 挿絵〔目録DB〕
巻末「白山人北為図」玉養堂(若林喜兵衛)他 見返し 慶応二年再刻
扉 改印「村」〈改印は「村田」、名主一印時代は天保14年~弘化4年の間、初版の刊年であろう〉
☆ 明治二十六年(1893)
◯『葛飾北斎伝』p331(飯島半十郞(虚心)著・蓬枢閣・明治二十六年刊)
〝葛飾北為 江戸の人。白山人と号す。今深川辺に住す〟
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p206(飯島虚心著・明治二十六年刊)
〝北為(ホクヰ) 北斎門人、白山人と号す、◯天保〟
◯『浮世絵備考』梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(69/103コマ)
〝葛飾北為【文政元~十二年 1818-1829】白山人と号す、為一の門弟〟
◯『浮世絵師伝』p169(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝北爲
【生】 【歿】 【画系】北斎門人 【作画期】天保~明治
葛飾を称す、深尾氏、別号を白山人といへり、弘化三年版「絵本柳樽」五編は彼の画く所なり。明治二
十六年頃東京深川辺に住す〟
◯『浮世絵年表』p225(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「弘化三年 丙午」(1846)
〝前々年より流行物なる染井の菊の造り物の為に前よりの企てにて白山人北為といへる絵師『菊のすがた
み』と画きて出版せり〟
△『増訂浮世絵』p241(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝葛飾北為 江戸の人。深尾氏。白山人と号す〟
◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p91(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)
〝北為(ほくい)
葛飾を称す。深尾氏、別号を白山人という。北斎の門人で、その作画期は天保より、明治十年代に及ぶ〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔葛飾北為画版本〕
作品数:3点
画号他:白山人・白山人北為・葛飾北為
分 類:往来物2
成立年:弘化3
〈三点のうち二点は刊年記載のない往来物、もう一点は弘化三年(1846)の刊行だが、分類記載のない万亭応賀作『菊
のすがたみ』〉