Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ほくえい しゅんばいさい 春梅斎 北英浮世絵師名一覧
〔 ? ~ 天保八年(1837)頃〕
(雪花斎北英〈ほくえい〉参照)
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」   「絵入根本」「絵入根本の世界」大阪市立図書館・第50回大阪資料・古典籍室1小展示資料  ☆ 天保五年(1834)    ◯「絵本年表」〔目録DB〕(天保五年刊)    春梅斎北英画    『絵本いろは仮名四谷怪談』前編 春梅斎北英画 鶴屋南北作 河内屋太助他板    『敵討浦朝霧』七冊 春江斎北英画 奈河晴助作 河内屋太助他板    ◯「絵入根本」   ◇絵入根本(天保五年刊)    春江斎北英画    『絵本いろは仮名四谷怪談』前編 春梅斎北英画 五巻(後編は6年5巻4冊)    『敵討浦朝霧』七冊 春江斎北英画 奈河晴助著    ◯「日本古典籍総合目録」〔目録DB〕(天保五年刊)   ◇滑稽本    春梅斎北英画『滑稽高野詣』八冊 春梅斎北英画 紀之遅道作 秋田屋源兵衛他板          (「蓬左文庫本」の書誌は、紀の遅道作「柳斎重春等画」とする)    ☆ 天保六年(1835)    ◯「絵本年表」〔目録DB〕(天保六年刊)    春梅斎北英画『◎礎花大樹』前後編十二冊 春梅斎北英画〈書名の読みは「メイショズエハナノコノシタ」〉    ◯「絵入根本」(天保六年刊)   ◇絵入根本    春江斎北英画    『絵本いろは仮名四谷怪談』後編 春梅斎北英画 五巻(前編は天保5年刊)      ◯『街能噂(ちまたのうわさ)』平亭銀鶏作 歌川貞広画 天保六年刊   (霞亭文庫 東京大学附属図書館)※半角カッコ(かな)は原文の読み仮名   〝〔万松〕大坂の錦絵も近年は強気(がうき)に能(よ)くなりやしたぜい。江戸と格別今では違わぬ絵が何    程(いくら)もござりヤスぜい。〔鶴人〕さやうさ、浮世絵師に名大人(めいたいじん)が出来やしたから、    結構でこざりヤス。〔千長〕大坂では何といふのが上手でござりヤスネ。〔鶴人〕似顔を能書やすのは    国貞の弟子の歌川貞升といふのがござりヤス、殊に成田屋の似顔は分て手に入つた物でござりヤス。又    長崎の人でありヤスが、柳斎重春といふのがしばらく大坂に居りヤスが、誠にきやうな画(ゑ)で何でも    出来ヤス、笑印(わじるし)などは心(しん)にせまる処をかきやす、其外にも春梅斎北英、菊川竹渓、天    満屋国広、数おほいことでござりヤス、今度銀鶏さんの「街のうわさ」の口画を書やした歌川貞広とい    ひやすのが、まだ廿ばかりでござりヤスが、強気なものでござりヤスぜい、実に後世(ママ)恐るべしだ、    今に彫刻(ほり)上つたら御覧(らふ)じやし。〔万松〕なるほど貞広といふのを聞きやした、慥(たしか)    布袋町に居る人でありやしょう。〔鶴人〕さやう/\能くごぞんじだ、其の人でござりヤス〟    〈江戸の平亭銀鶏が大坂滞在中に見聞したことがらを記事にしたもの。鶴人は江戸人、万松と千長は大坂人〉  ☆ 天保七年(1836)         ◯『馬琴書翰集成』④170 天保七年(1836)五月六日 小津桂窓宛(第四巻・書翰番号-45)   〝大坂中の芝居弐ノ替り狂言「八犬伝」の趣向・巧拙、あらましを御しらせ被下、忝奉存候。好ミ候人へ    も申聞、大ニ慰め候ひき。右番付・狂言本御めぐミ被下候御礼ハ、先便ニ得貴意候間、文略いたし候。    今の璃寛ハ嵐徳三郎主丞、綽号を目徳とやらんいふ役者ニて、十年許前、江戸へも参候ものニ候哉、今    の中村富十郎ハ、金蔵といひし、のしほの子ニ候哉、一向不通ニて、わかりかね候。先便黙老子より、    大坂書林敦賀屋九兵衛伴頭東七とやらん手紙、「八犬伝の狂言」、此もの、三日つゞけて三度見候よし、    誉詞の長文見せられ、致想像候キ。大入ニて外聞も宜く、大慶之事ニ御座候〟      <この芝居は正月興行の「花魁莟八総」。嵐璃寛の役者絵は、東京都立中央図書館の「貴重資料画像データベース」に、     北英画・天保七年で検索すると、犬塚信乃の役で見ることができる。同データベースには、関三十郎の犬川額蔵役は     あるが、中村富十郎はない>     〝大坂中の芝居三の替り狂言番付・狂言本御投恵被成下、遠方御厚情、忝奉存候。しば/\熟覧、大ニな    ぐさめ申候。伴作ハ関三本役ニ候処、鰕十郎替りをいたし、評判よく候ニ付、ゆづり候よし。右にしき    ゑ、二枚御めぐミ被下、是亦珍物、同好の友ニも見せ、大悦不少奉謝候〟    〈市川蝦十郎の犬塚伴作役とある。この大坂中座の狂言も正月に引き続き『花魁莟八総』か。この錦絵も春梅斎北英の     ものと思われるが、どうであろうか〉      ◯ 天保七年(1836)八月四日 小津桂窓宛(第四巻・書翰番号-51)④192   〝「八犬伝錦画」、致進上候御厚礼之御書面、致痛却候。うり出し、当分すりの間合不申くらゐの事のよ    し、板元西与申候。当今の人気、高料ハ不厭候て、とかく花美の品を好候事と被察候。泰平久しき故ニ、    良賤奢侈ニ走り候。和漢同一致の人気、ほむべき事との不覚候。大坂ニて「水滸伝の極細密錦画」出板    いたし、目を驚し候よし、黙老より被申越候。いかゞ、いまだ不被成御覧候哉。画工ハ北英とか申もの    ゝよしニ御座候。彫工・板ずりの名迄あらハし有之と申事ニ候へバ、よほど入念候品と察せられ候也〟    〈この「八犬伝錦画」とは六月二十二日送付した『曲亭翁精著八犬士随一』(歌川国芳画)である。また、大坂出版・     北英画「水滸伝の極細密錦画」とは、春梅斎北英画「戯場水滸伝百八人之内」であろう。江戸の役者絵を見慣れた高     松藩家老木村黙老の目をも驚かしたというから、極細密の水準にはかなり高いものがあると、馬琴も推測したのだろ     う。以下、この書翰は八月十四日の馬琴の古稀を祝う書画会の記事へと続くが、書画会記事は八月六日付殿村篠斎宛     書簡(第四巻・書翰番号-52)に従い、ここでは省略した〉      <参考までに言えば、北英画「戯場水滸伝百八人之内」は、独立行政法人日本芸術文化振興会の「文化デジタルライブ     ラリー」「収蔵資料・錦絵・ほくえい」の項目で見ることができる>    ☆ 天保八年(1837)    ◯「絵本年表」〔目録DB〕(天保八年刊)    春梅斎北英画『敵討義恋柵』二編 十冊 春梅斎北英画 五蝶亭貞広画 河内屋太助他板    ◯「絵入根本」(天保八年刊)   ◇絵入根本    春梅斎北英画『かたきうち義恋柵』前後編十冊 春梅斎北英・五蝶亭貞広画    ☆ 没後資料    ◯『葛飾北斎伝』p330(飯島半十郞(虚心)著・蓬枢閣・明治二十六年(1893)刊)   (葛飾北斎の門人)   〝北英 雪花楼と号す。大坂の人〟    ◯『浮世絵師便覧』p206(飯島虚心著・明治二十六年刊)   〝北英(ホクエイ) 北斎門人、大坂の人、雪花楼と号す〟  ◯『鑑定必携日本画人伝』巻之一【ホ】ノ部 北村佳逸編 細川清助 明治二十八年四月刊 京都版   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝北英 北洲ノ男ナリ、父ノ画風ヲ襲フ、天保中ノ人〟    ◯「集古会」第百七十一回 昭和四年三月(『集古』己巳第四号 昭和4年9月刊)   〝三浦おいろ(出品者)山に因める 角力絵    春梅斎北英富(ママ) 芝居「二代鑑」鬼ヶ嶽〟      ◯『浮世絵師伝』p169(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝北英    【生】  【歿】  【画系】北洲門人  【作画期】文政~天保    大阪の人、初め春江と号し、文政十二年の秋より春江斎北英と改む、別に春梅斎・雪花楼の号あり、常    に劇場の看板絵を描き、また役者絵及び読本の挿画など頗る多し。居所立売堀一丁目〟    △『増訂浮世絵』p200(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝春江斎北英    初め春江と号し、文政十二年に春江斎北英と改めた。北洲の門下である。天保五年に春梅斎北英を名乗    る。又雪花楼、雪華の号がある。その門弟が可なり多く、北洲の画系を盛んならしむるの力がある。而    して、その作は夥しく、浪花錦絵作家として特筆に値するものがある。文政天保年間の人〟
   「流光斎-松好斎系統図」    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:6点    画号他:春梅斎・春梅亭・春梅斎北英・春梅亭北英・春江斎北英    分 類:絵入根本4・役者絵1・滑稽本1    成立年:天保5・6・8年(5点)   (春江斎北英名の作品)    作品数:1    画号他:春江斎北英    分 類:絵入根本1    成立年:天保5年   (春梅斎北英名の作品)    作品数:5    画号他:春梅斎北英    分 類:絵入根本3・滑稽本1・役者絵1    成立年:天保5~6・8年(4点)    〈役者絵一点は成立年の記載がない「江戸錦絵帖」というもの〉      〈『浮世絵師便覧』には春梅斎の号がなく、また「日本古典籍総合目録」には『浮世絵師便覧』の言う雪花楼の号もな     いのであるが、井上和雄の『浮世絵師伝』に従って同人と見なした。六点のうち四点が絵入根本である〉