☆ 嘉永四年(1851)
◯『藤岡屋日記 第四巻』p466(藤岡屋由蔵・嘉永四年記)
◇本朝振袖之始 素盞烏尊妖怪降伏之図
〝九月三日の配りニて、
本朝振袖の始 横絵壱枚
但し袋ニ、目吉の化物、蝋燭ニて累・与右衛門土橋之図
板元神田久右衛門町板摺彦兵衛、糶配りハ馬喰町三丁目徳三郎也、右板行ハ、去ル御やしきニて趣向
致し、今度株敷再興之事を工夫致し、画板行ニ致し彦兵衛へ遣し、売候様申ニ付、一向ニ訳も存ぜず
売出シ候よし、素戔鳴尊妖怪調伏之図、稲田姫神鏡を持、是より光明暉き妖怪驚き騒ぎ候処、右光り
ニ見へ候ものハ、売女屋・髪結床・絵双紙や・箱や・玉子や・其外さま/\数知れず、又株の定りし
ハ尊の前へ出、平伏致し、手判ヲ押居る処ぇ、戸(ママ)腐問屋・両替や・水鳥や、其外也。
右絵、初四枚宛ニ配り、三十六文売ニ致し候処ニ、評判夥敷相成、百文ニ売候やからも有之候由、
右風聞ニ付、九月七日定廻り同心、右絵双紙やニ釣し有之候を残らず取上ゲ歩行候よし、其後一向ニ
御沙汰も無之内ニ、重板(二板)出来ル也、右二軒は橋本町板摺ニ、浅草地内ならべ本やのよし、右重
板出て六枚ニ卸候よし。
株式がそろ/\極りそウさのふ(素戔鳴尊)も
不正のものはいなだひめ(稲田姫)也〟
「本朝振袖之始 素盞烏尊妖怪降伏之図」葛飾北輝画(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)
〈署名は「江戸川 北輝画」とある。構図は一勇斎国芳の「源頼光館土蜘蛛作妖怪図」と同じ。一見して判じ物と看取
ったに違い有るまい。天保の改革で解散を命じられた株仲間が再興されたのが、この年の嘉永四年。市中ではその判
じ物と受け取ったのである。考案者は町奉行管轄外の武家屋敷内の者とのこと。最初の小売値は36文、それが評判
になってからは100文で売るものまで現れた。町奉行の定廻り同心が絵草紙屋を廻って没収したとあるが、糴売り
(行商人)の方まで手が及びかねたものか、第二版も作られたという〉
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p206(飯島虚心著・明治二十六年刊)
〝北輝(ホクキ) 北斎門人〟
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(63/103コマ)
〝葛飾北輝【文化元~十四年 1804-1817】為一の門弟、其の伝詳ならず〟
◯『浮世絵師伝』p170(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝北輝
【生】 【歿】 【画系】北斎門人 【作画期】文化~文政
葛飾を称す、江戸川氏、初め寸法と号し、文政年中北輝と改む〟