◯『好色本目録』柳亭種彦著(『新群書類従』巻七・p157)
〝男色の染衣 四冊 貞享四年の印本
江戸松月堂不角作 鳥居彦兵衛画
島津数馬といふ少年主の(数字欠)を殺したりと、無実の罪に陥り、鈴ケ森にて罪せられし事を書たり、
作振り大に趣きあり、当時の街説なるべし。
〔補註〕葩雪曰、『杏花園書目』には、之をいの部に収め、単に『色の染衣』となして男の字を冠し居
らず〟
〈大久保葩雪の補注に言う、『杏花園書目』は、岩波書店の『大田南畝全集』第十九巻では『杏園稗史目録』を言い、
「読本部」「い」の項目に〝色の染衣 四巻 貞享四丁卯年、作者松月堂不角〟とある。(p473)また、同十九巻所
収の「識語集」、『色の染衣』の項目には〝蜀山按、貞享四年丁卯歳也。大和絵師庄兵衛者鳥居庄兵衛清信也。蓋書
林削貞享四字及大和絵師以下字而作新板也。今以異本訂正。蜀山人〟の識語がある。(p725)この大田南畝の識語のあ
る『色の染衣』は現在、京都大学図書館の所蔵となっているが、その奥書をみると、「丁卯歳仲秋下旬 作者松月堂
不角」としかない、その代わり赤字で「貞享四」と「大和絵師庄兵衛画」「日本橋南三丁目式部小路 近江屋(以下
数字判読出来ず)」とが加筆されている。おそらく南畝が入手した時点でこの加筆はあったものと思われる。南畝は
その加筆「大和絵師庄兵衛」を「鳥居庄兵衛清信」としたのある。これが『男色の染衣』の画工、鳥居彦兵衛を鳥居
庄兵衛清信と同人視する拠り所となったのであろう。もっとも柳亭種彦自身は鳥居彦兵衛画とするのみで、清信との
関係に対する言及はない。国文学研究資料館「日本古典籍総合目録」の統一書名は『男姿色の染衣』となっている〉
『色の染衣』(京都大学電子図書館・貴重資料画像)
◯『浮世絵年表』p49(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「貞享四年 丁卯」(1687)
〝此年鳥居彦兵衛、松月堂不角の作なる浮世草子『男色花の染衣』に画く〟