◯『浮世絵』第弐拾二(22)号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正六年(1917)三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「浮世絵漫録(四)」桑原羊次郎(14/24コマ)
〝「蕉亭春信の事」
鈴木春信の筆意にて、蕉亭と落款し印文春信としたる絹本着色の幅物を度々見たることあり。これと殆
ど同筆と見るべきものにて、鈴木春重と落款せるものあり、何れも人物は春信風なるが、背景は明画の
如き心地するものなり、春信自身が和漢の画を学びし事は勿論なるべければ、明画の趣きありたりとて
驚くべきにはあらざれど、別に鈴木春信と落款し、鼎式印に春信の文字あるものを見たる事あり、此は
池田清助氏が海外へ持出されたるものにして、此蕉亭とは大いに筆意異なりて、稍古僕なるものなり。
落款は鈴木春信と楷書なり、此春信と蕉亭春信と同人なるか別人なるかゞ大問題なり。予は初めは同人
と思ひ居たりしが、司馬江漢が春信の名を継ぎて、版行絵の下絵を描きしといふを疑ひ無しと見ば、江
漢が春信と署名したる肉筆のあるべきをも疑ふべき余地無し。唯だ不思議なるは、此司馬江漢と見ゆる
春信は、落款には必ず蕉亭とありて、印文二個、一は春信とし一は蕉亭としたる事なり。司馬江漢に蕉
亭の別号ありし事が判らば、此問題は解決せんが、寡聞なる予輩は未だ其確証を得ざるなり〟
〝「蕉亭春信と鈴木春重」
蕉亭と落款せしものと、鈴木春重と落款せるものを対比すれば、到底別人とは思はれざる程に酷似せり、
川又常行と常正は極めて相似たるにより、同人の筆に早中晩の区別あるものならんと思はるゝ程なれど、
具さに両者を対比すれば、面貌色彩等に多少の差異あるを認め得るなり、然るに此蕉亭と春重は、容易
に判断し難き故に、予は之を同人として可ならんと思考す。又今記憶に残らざれど、春重の印章には慥
か蕉亭の二字ありし様にも思はるれば、同人説の必ずしも根拠無きにはあらざる也。但し予は此肉筆物
を所持せざれば、若し果して、蕉亭春信と鈴木春重とが同人にて、且つ江漢其人なりとせば、更に鈴木
春信存命中は、門人としての江漢は鈴木春重と落款し、春信の没後には蕉亭春信と名乗りしにはあらざ
るか、との仮想も生ずる也。而して版行絵に麗々しく「鈴木春信」と署名せしは、商略上世人をして、
真に鈴木春信の製作品として取扱はしめんが為ならざりしか、又肉筆には、全然鈴木春信と署名するこ
とを憚りて蕉亭と号し、印章に春信を用ひしものにあらざるか、是亦予が例の憶測に過ぎざる也〟