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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ はりつ おがわ 小川 破笠
浮世絵師名一覧
〔寛文3年(1663) ~ 延享4年(1747)6月3日・85歳〕
別称
笠翁 子蝉 卯観子 夢中庵
小川観、金弥、平助 ☆ 享保十八年(1733) ◯『増訂武江年表』1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) (享保十八年刊『江戸名物鹿子』より、同時代の名物) 〝塩瀬饅頭、本町色紙豆腐、味噌屋元結、本郷麹室、歌比丘尼鬢簓、油町紅絵、白木呉服、本町益田目薬 五霊香、
破笠
塗物、清水夏大根種、勧化僧、赤坂左たばこ、浅草茶筌、芝三官飴、横山町花蓙織、弥左 衛門町薄雪せんべい、浅草簑市、こん/\妨、吉原朝日のみだ、さん茶女郎、目黒飴、駒込富士団扇、 麹町助惣やき、てうし蝶、髭重兵衛が飴、赤坂鍔、長坂元結、松井源左衛門居合、佃島藤、吉原太神楽、 麹町獣、湯島唐人祭のねりもの、浅草柳屋挽伍倍子、両国の幾世餅〟 ◯『江戸名物鹿子』下(豊嶋治左衞門外撰 享保十八年(1733)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝破笠 工みてや蜂を芳野ゝ花うるし 静堂松雨 (炮烙頭巾の破笠像 青◎画) ☆ 延享四年(1747) ◯『増訂武江年表』1p150(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) (延享四年・1747) 〝六月三日、俳人小川破立卒す(八十余歳。名宗有、平助と称す。俳諧并びに画をよくし、又塗物其の外 もろ/\の細工に名あり。桶町に住せり〟
☆ 没後資料
◯『武江披砂 巻三』〔南畝〕⑰499(寛政二年頃記) 〝麹町天神 社内の扉に青螺にて作りたる飾象有。工人破笠なり。妙はなはだし。近頃火災に焼失〟
〈これは小川破笠の絵でなく螺鈿細工。なお『武江披砂』とは南畝の未刊の江戸地誌〉
◯『山東京伝書簡集』(竹垣柳塘宛・享和三年(1803)五月) (『近世の学芸』所収 肥田晧三記・三古会編・八木書店・昭和51年刊) 〝菱川絵巻物 御貸被遊、難有ずいぶん大切に致し拝借仕候、僕蔵浮世又兵衛美人之図一幅、おりう絵一 幅、
破笠
なぞ/\の絵一幅、右御使へ御渡し申上候、ゆる/\御一看可被遊候〟
〈柳塘公子は竹垣庄蔵、幕臣で文化五年(1808)の『武鑑』には「御普請方」とある。山東京伝は菱川の絵巻物を借りた返 礼として、自ら所蔵する小川破笠の「なぞ/\の絵」をお見せしたいというのである。すべて掛軸の由だが図様は分か らない〉
◯『近世奇跡考』〔大成Ⅱ〕⑥316(山東京伝著・文化元年(1804)刊) (「榎本其角の伝」の項) 〝貞享の頃、蘭雪〔割註、此時服部彦兵衛〕破笠〔割註、此時小川平助ト云〕等、其角と同居せしよし 〔破笠自記〕および古栢莚日記〔老のたのしみ〕写本等に見ゆ〟 ◯『凌雨漫録』⑧〔大成Ⅲ〕148(著者未詳・文化文政期成立) (「榎本其角」の項) 〝貞享の頃、嵐雪 服部彦兵衛、破立 小川平助、等同居せしよし〟
〈山東京伝の『近世奇跡考』(文化元年刊)「榎本其角の伝」に同記事。京伝の考証をそのまま引用したのであろう〉
◯『近世逸人画史』(無帛散人(岡田老樗軒)著・文政七年(1824)以前成稿・『日本画論大観』中) 〝
破笠
小川氏、名は観、宇は尚行、卯観子と号し、又夢中庵と号す、東都の人、俳譜をよくし、又絵事 をよくす、其法土佐より出づ、芭蕉翁の肖像をうつす、著色花烏最精緻なり、又漆器を作る、世に破笠 細工と称ふ、其製最古雅愛すべし〟 ◯『俳林小傳』「波部」〔人名録〕③497(中村光久編・嘉永五年(1852)刊) 〝破笠【小川氏、称平助、福田風琴子ノ聟、宗宇門人、延享四年丁卯八十七歳】〟 ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪182(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立) (「英氏系譜」の項) 〝(英一蝶門人)破笠 【小川氏、名尚行、号印観子、夢中菴、笠翁、俳名宗宇、称平助、延享四年六月三日卒ス】〟 ☆ 明治以降(1868~) ☆ 明治十三年(1881) ◯『観古美術会出品目録』第1-9号(竜池会編 有隣堂 明治14年刊) (観古美術会(第一回)4月1日~5月30日 上野公園)
(
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇第一号(明治十三年三月序)
小川破笠
其角嵐雪破笠三人合炬燵之図 小川破笠自画賛 一幅(出品者)浅越隆 彩色大黒之像 小川破笠筆 一幅(出品者)浅越隆 刀之縁頭鍔鞘 古◎蒔絵 小川破笠作 (出品者)大川通久〟 ◇第二号(明治十三年四月序)
小川破笠
屏風 小川破笠作交張形ニ擬スルモノ 一隻(出品者)北岡文兵衛 屏風 笠翁筆 一隻(出品者)松沢千歳門〟 ◇第四号(明治十三年四月序)
小川破笠
額 鳥兜ニ太鼓 笠翁作 一面(出品者)新村七蔵 犬張子 楽焼 破笠作 一個(出品者)山本五郎 ◇第七号(明治十三年五月序)
小川破笠
印籠 破笠作 一個(出品者)新◎啓次 ◇第九号(明治十三年五月序)
小川破笠
乙御前之図 破笠筆 一幅(出品者)博物局蔵 ☆ 明治十四年(1881) ◯『第二回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治14年刊) (第二回 観古美術会 5月1日~6月30日 浅草海禅寺)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇第一号(明治十四年五月序) 〝
小川破笠
笠翁 印笥 (出品者)知即庵〟 ◯『新撰書画一覧』(伴源平編 赤志忠雅堂 明治十四年五月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝小川破笠 名ハ宗宇、通称平助、笠翁ト号ス、芭蕉翁門人俳諧ヲ善クス〟 ☆ 明治十五年(1882) ◯『第三回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治15年4月序) (第三回 観古美術会 4月1日~5月31日 浅草本願寺)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇第一号(明治十五年四月) 〝
小川破笠
三平二満図 一幅(田沢静雲献品) ☆ 明治十七年(1884) ◯『第五回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治17年刊) (第五回 観古美術会 11月1日~11月21日 日比谷門内神宮教院)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇第一号(明治十七年十一月序) 〝
小川破笠
美人図 一幅(出品者)神田孝平〟 ☆ 明治十九年(1886) ◯『第七回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治19年刊) (第七回 観古美術会 5月1日~5月31日 築地本願寺)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇第三号(明治十九年五月序) 〝
小川破笠
唐墨香合 一個(出品者)森島修太郎〟 ☆ 明治二十一年(1888) ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪(広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年一月刊)
(東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)
※( )はグループを代表する絵師
〝雅俗遊戯錯雑序位混淆 (岩佐又兵衛)
小川破笠
友禅山人 浮世又平 雛屋立甫 俵屋宗理 耳鳥斎 英一蝶 鳥山名(ママ)燕 縫箔師珉江 ☆ 明治二十二年(1889) ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪(吉川重俊編集・出版 明治二十二年二月刊)
(東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)
※( )はグループの左右筆頭
〝風流俳人之部 (芭蕉菴青桃)/
小川笠翁
/(森川許六) ☆ 明治二十四年(1891) ◯『近世画史』巻四(細川潤次郎著・出版 明治二十四年六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(原文は返り点のみの漢文。書き下し文は本HPのもの。(文字)は本HPの読みや意味)
〝
小川笠翁
一に破笠と号す、名観、字尚行、一に宗宇と名づく。又卯観子、夢中庵等の号有り。平助と 称す。伊勢の人なり。江都に流寓し、俳歌を善くして、松尾芭蕉の門人と為る。又巧みに漆器を造る。 鉛錫牙角及び瓷製諸物を以て漆上に嵌(は)む。暎帯趣(おもむき)を成す。世人称して笠翁細工と為す。 蓋(けだ)し此より前、未だ嘗て此の種の工芸有らざるなり。画を土佐氏に学び、設色花鳥を善くす。並 びに人物を工む。延享四年六月歿、年八十余〟 ☆ 明治二十三年(1890) ◯『明治廿三年美術展覧会出品目録』3-5号(松井忠兵衛・志村政則編 明治23年4-6月刊) (日本美術協会美術展覧会 3月25日~5月31日 日本美術協会)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝
小川破笠
美人梳髪図 印籠 一個(出品者)秋山恕郷〟 ☆ 明治二十五年(1892) ◯『日本美術画家人名詳伝』上p137(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年刊) 〝小川笠翁 名ハ宗、字ハ平助ト称ス、笠翁ハ其ノ号、又破笠、卯観子ノ号アリ、芭蕉翁門人ニシテ、俳諧ヲ善クス 性又タ画ヲ好ミ、狩野風ヲ慕ヒテ彩色ヲ工ミニス、其技他ニ異ナリテ一家ヲナス、又漆器ヲ巧ニシテ、 意外ノ趣ヲ施ス、笠翁細工ト称シテ、世人之レヲ重ンズ、延享四年六月三日歿ス、時ニ年八十四(俳林 小伝)〟 ☆ 明治二十六年(1893) ◯『浮世絵師便覧』p204(飯島虚心著・明治二十六年刊) 〝破笠(ハリツ) 一蝶門人、小川氏、名は尚行、卯観子と号す、夢中庵、笠翁、俳名宗宇、俗称平助、延享 四年死〟 ☆ 明治二十七年(1894) ◯『名人忌辰録』上巻p16(関根只誠著・明治二十七年刊) 〝小川破笠 笠翁 名観、号夢中庵、又卯観子、通称平助。俳名宗宇、江戸桶町に住す、後津軽侯に仕ふ。延享四年六月三 日歿す、歳八十七。画は一蝶の門にて一蝉と云ふ〟 ☆ 明治二十八年(1895) ◯『時代品展覧会出品目録』第一~六 京都版(大沢敬之編 村上勘兵衛 明治二十八年六~九月) (時代品展覧会 3月25日~7月17日 御苑内博覧会館)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝「第一」明治大家ノ製作品(50/310コマ) 一 衝立 表 破笠 裏 友汀筆 稲垣藤兵衛君蔵 京都市上京区〟 〝「第二」徳川時代(88/310コマ) 一 童子焙手図 一幅 小川破立筆 広岡伊兵衛君蔵 京都市上京区〟 〝「第五」徳川時代浮世絵画派之部(244/310コマ) 一 夏ノ夜美人図 一幅 小川破笠筆 岡村嘉一郎君蔵 京都市上京区〟 ☆ 明治三十二年(1899) ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
51/218コマ 〝小川笠翁 名は宗宇 通称平助といふ 又破立 卯観子等の号あり 狩野風の画を能くし 自(おのづか)ら一格あ りて 常工と同じからず 最も趣きあり 傍ら漆器の製作に妙を得たり 世(よ)之を笠立細工と称して 甚だ珍重す 又芭蕉翁の門に入りて 俳諧に巧みなり 延享四年六月三日没す 八十四(扶桑画人伝 俳林小伝)〟 ◯『浮世画人伝』p21(関根黙庵著・明治三十二年五月刊) 〝小川破笠(ルビおがわはりつ) 小川破笠は江戸の人にて、名を観(クワン)と呼び、夢中菴また卯観子(ウクワンシ)と号し、通称平助、俳名を 宗宇と云ひき。美人の図の浮世絵を多く描きしが、専門とする処は、蒔絵なりき。印章に尚行の文字あ るは、実名か画号か詳ならず、後年、津軽侯に仕へしが、延享四年六月三日、病に臥して遠行せり。時 に歳八十七、親しき友は、一蝶其角嵐雪などにて、最も磊落なる一奇人なりきと。其奇人なりし事は、 其角嵐雪と醉倒(スヰフ)したる自画讃にても知られたり〟 ◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊) 「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇『浮世絵画集』第二輯(明治四十五年(1912)五月刊) (絵師) (画題) (制作年代) (所蔵者) 〝小川笠翁 「男舞」 享保十五年 高嶺俊夫〟 ☆ 大正年間(1912~1925) ◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(上70/110コマ) 〝小川破笠 名は観、号は夢中庵、卯観子などいうた。専門は蒔絵であるけれども、浮世美人画もかいた。江戸の人 で後ち津軽侯へ仕へた人である。『名人忌辰録』には一蝶の門人で一蝉といふたとあるが、『浮世画人 伝』には一蝶、其角、嵐雪などとは親しい友達であるとかいてある。兎に角画風は一蝶と違ふやうだ。 普通伝記書には延享四年六月三日八十七歳で没したことゝなつて居るが、『浮世絵師略伝』には享年八 十四とある〟 ◯『罹災美術品目録』(大正十二年九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)
(国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)
小川破笠画
(◇は所蔵者)
◇新田純孝「関羽読左伝図」葛烏石賛・「象硯筥」大形楕円形 見返獅子紐印に如意 ◇松沢孫八「大黒天像」絹本着色 巾八寸三分 立二尺二寸一分 ◇堀越福三郞(市川三升)「時鳥の尺八」 ◇鹿島清平 象置物香炉 長一尺五寸 袋戸桐地象嵌 荘周 蝶 二枚 高二尺三寸 巾三尺五寸と二尺 紫檀縁 ◇三森準一 陶製芭蕉翁像 高約五寸 朱檀厨子入 ☆ 昭和以降(1926~) ◯『狂歌人名辞書』p174(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊) 〝小川破笠、名は観、夢中庵、又、卯観子と号す、通称平助、東都の蒔絵師にして美人画を能くし、又、 一蝶、其角等と交はり俳道に遊ぶ、延享四年六月三日歿す〟 ◯『浮世絵師伝』p149(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝破笠 【生】寛文三年 【歿】延享四年(1747)六月三日-八十五 【画系】一蝶門人 【作画期】享保 小川氏、名は観、字は尚行、俗称初め金弥、後ち平助と改む、笠翁・子蝉・卯観子・夢中庵等の数号あ り、又別に英一蝉とも云へり。伊勢より江戸に移住し、後ち津軽候に仕ふ。晩年に至るまで作画を止め ず、よく細密なる肉筆人物画を描けり。彼れ夙に俳道に志し、芭蕉の門人となりて、俳号を宗有また宗 字といふ、其他、髹漆の技に長じ、世に笠翁細工と称する独特の漆器を創製したりき。墓所、芝西久保 天徳寺〟 ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊) ◇「享保一五年 庚戌」(1730)P84 〝二月、小川破笠と英一蜂の挿画に成れる元祖市川団十郎追善の書『父の恩』二巻出版。本書彩色摺にし て珍しきものなり。世に彩色摺の絵本の嚆矢は延享三年の大岡春卜の摹になれる『明朝紫硯』なりなど といふ説あれば、該説を破するに好料材といふべし〟 ◇「延享四年 丁卯」(1747)P98 〝六月三日、小川破笠歿す。行年八十五歳。(破笠は絵を英一蝶に学び、俳諧を芭蕉・其角等に学び、多 芸多能の人にして蒔絵を善くし破笠細工の名を得、旅行家にして旅に歿せるものゝ如く、通称は平助、 俳名を宗宇といひ、卯観子・夢中菴等の号あり)〟 ◯「集古会」第二百十回 昭和十二年三月
(『集古』丁丑第三号 昭和12年5月刊)
〝相見香雨(出品者)小川破笠画 牛乗天神 一幅 淡彩紙本 款に「夢中庵破笠翁拝画」〟 △『増訂浮世絵』p83(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝小川破笠 破笠は江戸の人で名を観といひ、夢中庵並に卯観子と号し、通称は平助、俳名宗宇といひ、蒔絵が専門 で、所謂破笠細工に名声を得た。兼ねて絵を善くした。後年津軽侯に仕へたが、延享四年六月三日に八 十五で没した。一蝶、其角、嵐雪などは親友で磊落な奇人であつたといふ。。造作の一例では、寛保元 辛酉南呂卯観子笠翁行年七十九歳と落款のある一人立の美人が、黒地に竹に菊の模様の着物を着た図が ある。やゝ懐月堂にも似て、専門の浮世絵師を凌ぐ手腕をもつて居る。 なほ破笠に就いて、一言すべきは、破笠は版画に於いては、浮世絵専門の版画家よりも、一歩進んで、 色摺版画に先鞭を着けたことである。即ち市川団十郎が享保十五年に出版した父の恩といふ書に、破笠 が色摺版画を作つてゐることである。当時は浮世絵師の版画家でも、未だ色摺版画を作つてゐない。然 るに非専門作家の破笠は、専門家を凌いで、逸早く色摺版画を作つたのである。破笠は支那の工芸に通 じてゐたので、支那の色摺版画から学んだのであらう。革新的な事業、新らしい芸術の如き、往々非専 門家の手によつてその基礎をうち立てることがあるが、色摺版画に於ける破笠の如きは正にその例であ る〟