☆ 天明八年(1788)
◯『洒落本大成』第十四巻(天明八年刊)
礫川亭永理画『青楼五雁金』署名「礫川亭ゑひりのふて」梅月堂梶人(梅暮里谷峨)作
☆ 寛政二年(1790)
◯『洒落本大成』第十五巻(寛政二年刊)
礫川亭永理画?『染抜五所紋』署名なし 礫川亭永理画? 梅月堂梶人(梅暮里谷峨)作
☆ 文化四年(1807)
◯「絵入狂歌本年表」(『狂歌書目集成』(文化四年刊)
礫川亭永艃画
『狂歌蓬莱集』二冊 武川永艃・後素亭空言画 玉光舎占正撰 和泉屋庄次郎外五名連記
☆ 文化六年(1809)
◯「艶本年表」「艶本資料データベース」(文化六年刊)
礫川亭永理画『図本婦美枕』色摺 大判組物 十二の内九枚
☆ 文化七年(1810)
◯「艶本年表」(〔白倉〕『絵入春画艶本目録』(文化七年)
礫川亭永理画
『図本婦美枕』大錦 十二枚組物 文化七年頃
(白倉注「漢文の序一丁と、付文二丁が付いている。第十一図に「永梨のはっつけやろうめ」と出てくるので、「永理画」と
見て間違いなかろう」)
☆ 文化十四年~十五年(1817~18)
◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)
「小石川 画家 本」〝永理 礫川 又一指ト改 丸田橋 宇田川五左エ門〟
☆ 没後資料
☆ 明治年間(1868~1911)
◯『古代浮世絵買入必携』p2(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)
〝礫川亭永理
本名〔空欄〕 号〔空欄〕 師匠の名〔空欄〕 年代 凡八九十年前
女絵髪の結ひ方 第八図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
絵の種類 並判、中判、小判
備考 落款を仮名にて(エひり)と一字の如く書きたるものあり〟
◯『浮世絵師便覧』p227(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝永理(リ)
礫川亭と号す、一に永艃、永春門人か、◯文化〟
◯『浮世絵師便覧』p203(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝一指(シ)
小石堂、又礫川堂と号す。◯享和〟
〈『【諸家人名】江戸方角分』の記事に拠って、この一指は永理と同人とみなした〉
◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(61/103コマ)
〝栄理【天明元年~八年 1781-1788】
栄之の門弟、其の伝詳ならず〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(61/103コマ)
〝礫川亭永理【文化元~十四年 1804-1817】
其の伝詳ならず〟
◯『此花』第一号(朝倉亀三著 此花社 大正元年(1912)十月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「礫川亭筆後の月見の図」(6/15コマ)
〝礫川亭の伝詳ならず、錦絵には多く「礫川亭ゑひり」と自著せり、又永理・永艃と署名せるものもあり、
礫川亭の号は江戸小石川に住せしに因みしもの歟、享和二年版「春の戯(たはれ)うた」文化二年版『糸
竹古今集』に武川亭永艃とあるは、恐くは礫川亭と同人なるべく、寛政文化頃の人なるべし。『浮世絵
師便覧』に永春門人かとあれど、其画風似るべくもあらず、一書に細田派又一指(江戸の人 小石堂又
礫川堂と号す)の門人かとあり、光信説に比すれば やゝ当を得たりといふべし〟
◯「集古会」第八十九回 大正元年(1912)九月(『集古会誌』壬子巻五 大正3年5月刊)
〝村田幸吉(出品者)礫川亭永理 浮画 日本橋魚市図 横一枚〟
☆ 昭和年間(1926~1987)
◯『浮世絵師伝』p21(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝永理
【生】 【歿】 【画系】栄之門人 【作画期】寛政~享和
藤原姓(印文にあり)、初め(寛政六年頃)栄里といひ、別号を鳥橋斎または鳲鳩斎といふ(共に肉筆
美人画に其例あり)、尋で勿用斎永犁とし、更に礫川亭永理と改む、落款を「礫川亭ヱひり」と假名書
にしたるものは、寛政末期以後享初年間の作なるが如し、頗る美人画を得意とせしが、特に其が栄里落
款の錦絵中「三ヶ津草嫁美人合」と題する江戸、京都、大阪の三美人を三圖に画きしもの、及び山東京
伝の肖像(口絵第四十九図參照)・宮本豊前太夫(二代目)の肖像等は、彼の傑作と認むべきものなり。
また永理落款のものにては「入れぼくろをする美人と若衆」(口絵第五十図参照)の一図最も優れたれ
ど、他に「御殿女中見立登城行列」(五枚続)の如き作例もあり、栄之門下に於ては特色ある一人と謂
ふべし〟
△『増訂浮世絵』p184(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝礫川亭永理
歌麿栄之などの影響をうけ、黄金時代の末に出たものに、礫川亭を名乗るものがある。永理は又は永艃
或は永犁と署名し、仮名のエひりを一字に花押のやうに書いたものもあるが、この画風の上から比較す
ると同一人でらう。遺作は肉筆画が往々あるが、同一の印章を用ひて居ることから見て、同じ人の色々
文字をかへたものと思はれる。版画と肉筆方面の筆の執れる作家である。歌麿や永之の風の影響を受け
て居る。エひりと落款のあるもので姿のすらりとしたものがある。また永艃と落款あるものに、見立琴
高仙人があるが、可なりの手腕家である。
なほ遊女に禿の図を写し、禿が袂の袖口から両手を出して組み合せてゐる所を巧に画き、遊女の相貌も
美しくよく写したものがある。それには礫川亭永艃がとあつて印には永犁とある。
永理の作例として、風流十二月芸者名取合を載せた。歌麿晩年の作風を以てしたもの、相当の画技をも
つてゐることが知られる〟
◯『今西コレクション名品展Ⅲ 肉筆浮世絵』熊本県立美術館 平成三年刊
39「遊女後姿図」双幅 紙本墨画 落款「礫川亭永理」方印二顆〔永〕〔犁〕
賛「かいどうやねむらであかせ仲の町 下渓二丁書〔印〕〔印〕」
解説〝永理は永犁・永艃・礫川亭・勿用斎と号し、のち一指とも号している天明・文化頃の画家で、
栄之系の画家とされる〟
40「人物坐像図」絹本著色 落款「礫川亭永犁」方印二顆〔永〕〔犁〕
〈永理と永犁は印字が一致している〉
41「頭巾美人図」絹本著色 落款「礫川亭栄犁」方印二顆〔勿用斎〕〔永犁〕
◯『浮世絵年表』p147(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「天明八年 戊申」(1788)
〝此年、礫川亭永艃の画ける『青楼五ッ雁金』出版〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
(永理名の作品)
作品数:2
画号他:永理・礫川亭・礫川亭永理
分 野:洒落本2
成立年:天明8年(1点)寛政2年(1点)
(永艃名の作品)
作品数:2
画号他:永艃・武川永艃
分 野:黄表紙1・狂歌1
成立年:文化1・4年(2点)
(一指名の作品)
作品数:1
画号他:小石堂一指
分 類:読本1
成立年:文化5年(1点)
(栄里名の作品はなし)
〈一指名の作品は蒿窓主人作・曲亭馬琴校訂『雙名伝』一点のみ〉