Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ えいじゅ けいさい 景斎(一筆庵)英寿浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕(英斎泉寿参照)
 ※〔漆山年表〕;『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」  ☆ 文政十年(1827)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(文政十年刊)    景斎英寿画『滑稽鈍痴奇論』三巻 一筆斎英寿画 岳亭主人戯編    ☆ 弘化二年(1845)    ◯「咄本年表」〔目録DB〕   ◇咄本(弘化二年刊)    景斎英寿画『笑ます落こち話』一筆庵英寿自作・自画    ☆ 弘化三年(1846)    ◯「咄本年表」〔目録DB〕   ◇咄本(弘化三年刊)    景斎英寿画『ゆかひらきはなし』一筆庵英寿自作・自画    ☆ 嘉永五年(1852)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇咄本(嘉永五年刊)    景斎英寿画『甘口ばなし』一筆庵英寿画 松琴亭伝舎作    ☆ 安政三年(1856)    ◯『近世列伝躰小説史』下(水谷不倒著 春陽堂 明治三十年)   (国立国会図書館デジタルコレクション)    「仮名垣魯文」野崎左文著    〝此年(安政三年)「安政見聞誌」三冊を出版す。二世一筆庵英寿と魯文二人の合著なりしが、公儀の許可    を得ずして出版せし科にて、版元と英寿とは手錠となりしも魯文は署名せざりし為めに、其罪を免がれ    たり、刑満ちて後ち英寿来り、見聞誌はお前が九分まで筆を取り、私はホンの手助けを為せし迄なるに、    名を署せしばかりで此災難に遭ひたりとて愚痴をこぼし、夫にかこつけて屡々無心に来りたれど、固よ    り常には一朱の蓄へもなき魯文なれば、是にはほと/\困じ果てタリとぞ〟(299/322コマ)    〈この野崎左文の「仮名垣魯文」伝が下掲『筆禍史』の引用元〉  ◯『筆禍史』「安政見聞誌」(安政三年・1856)p160(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝安政の江戸大地震記たる『安政見聞誌』は、仮名垣魯文と二世一筆庵こと英寿との合著なりしに、其筋    の許可を受けずして出版せしといふ科によりて絶版を命ぜられしなりと云ふ、尚著作の署名者英寿と版    元とは共に手鎖の刑に処せられたり、魯文は主として筆を執りしも、見聞誌に実際筆を執りしは貴公な    り、我は唯手助けせしに過ぎざるに、運悪くも署名せしため災難に逢ひたり、刑余の身とて誰も相手に    なしくれずとて、是を種に屡々無心に来りしは魯文も当時貧窮の身とて困じ果てたりと『仮名反故』に    記せり〟
   『安政風聞集』 金屯道人(仮名垣魯文)編     (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)      〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」の統一書名は『安政風聞集』で、安政三年の序・翌四年の刊行とする。     宮武外骨の「安政見聞誌」は別書名『安政風聞誌』の誤記か。なお、挿画の画工については「日本古典籍総合目録」     には記載がないが、漆山天童の『浮世絵年表』(書名『安政見聞録』)は、一梅斎芳晴・梅の本鴬斎の挿画としてい     る。ところで、国芳・芳綱・国周・英寿画の『安政見聞誌』もあるので、併せてあげておく〉
   『安政見聞誌』 一勇斎国芳・一登斎芳綱・一鴬斎国周・一筆庵英寿画    (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(安政三年刊)    景斎英寿画    『滑稽鈍痴奇論』三巻 一筆斎英寿画 岳亭主人戯編 文政10年   ◇歌謡(安政三年刊)    一筆庵英寿作    『五十三次都々逸節用集』一筆庵英寿・さく丸等    ☆ 安政年間(1854~1859)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(安政年間刊)    一筆斎英寿画『安政見聞誌』三冊 一勇斎国芳 一筆斎英寿画 一鴬斎国周画 一登斎芳綱    ☆ 慶応元年(元治二年・1865)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇咄本(慶応元年刊)      景斎英寿画『扇ひらき噺の新作』英寿画 百花堂作    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)   ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪185(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
   「菊川英山系譜」〝(英泉門人)英寿 俗称伊三郎、号英斎、浪花ニ住ス。錦絵読本多シ〟    ☆ 没後資料    ◯『浮世絵師便覧』p229(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝英寿(ジュ)    英泉門人、英斎と号す、一筆庵と号す、酒井氏、俗称伊三郎、錦画絵本多し、◯天保〟       ◇一筆庵英寿の項 p706   〝一筆庵英寿    通称は酒井伊三郎、英斎、景斎と号す、渓斎英泉の門人、元大阪の人、江戸に出て浮世画家となり英寿    と称した。後師の号を継ぎ一筆庵と云ふ。文久年間(1861~1864)歿。「笑ます落こち話」(弘化二    年(1845)刊)及び「九里伊賀越」(嘉永三年(1850)刊)の作者〟    〈「日本古典籍総合目録」『笑ます落こち話』咄本・一筆庵英寿作・画・弘化二年刊。『敵討九里伊賀越』合巻・一筆     庵英寿作・一寿斎芳員画・嘉永七年(安政元年(1854))刊、とある〉     ◇景斎英寿の項 p737   〝景斎英寿    一筆庵英寿を見よ。渓斎英泉の門人、江戸の画家、師と同様文才があり、「比翼紋濃紫染」(嘉永五年    (1852)刊)「善悪迷蹟志」(文久二年(1862)刊)の作者〟    〈「日本古典籍総合目録」『比翼紋濃紫染』合巻・景斎英寿作・歌川芳宗、芳玉画・嘉永五年(1852)~安政元年(18     54)刊。『善悪迷蹟志』七編・滑稽本・景斎英寿作・自画・文久二年(1862)刊〉    ◯『浮世絵備考』梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝景斎英寿【天保元~十四年 1830-1843】(73/103コマ)    酒井氏、通称伊三郞、一筆庵と号す、英泉の門弟にて、錦絵、読本等を多く画けり〟   〝一筆庵英寿【天保元~十四年 1830-1843】(80/103コマ)    一に英斎と号す、通称酒井伊三郞、大阪の人、渓斎英泉の門に入りて、錦絵、読本を多く画けり〟  ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)   〝英泉門人、酒井氏、俗称伊三郎、英(ママ)斎と号し、一筆庵と号す、浪花に住す〟    ◯『狂歌人名辞書』p30(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝一筆庵英寿、別号英斎、通称酒井伊三郎、元と浪花の人、英泉門人にして浮世絵と戯作者とを兼ね、安    政年間、仮名垣魯文と其に「安政見聞誌」の合著あり、文久年間歿すと云ふ〟    ◯『浮世絵師伝』p14(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝英寿    【生】           【歿】    【画系】英泉門人      【作画期】天保~安政    酒井氏、俗称伊三郎、景斎、また一筆庵と号す、初め泉寿といへり、錦絵及び草双紙あり〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔景斎英寿版本〕    作品数:26点    画号他:一筆庵・一筆斎・吉泉子・一筆庵英寿・英寿・一筆庵主人・一筆斎英寿・二代目一筆庵・        吉泉子英寿・一筆英寿・景斎英寿     分 類:合巻10・咄本6・滑稽本2・遊戯2・歌謡(都々逸)2・紀行1・雑俳1・医学1・        往来物1    成立年」弘化1~3年(3点)        嘉永5~7年(7点)        安政1~3年(7点)        文久2年  (1点)         慶応1年  (1点)    〈「合巻」は十作品あるが、全て著作のみで、作画は歌川国芳等、歌川派の絵師。咄本は六点すべて自作、そのうち五     点は自画〉