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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ あつまる こがねの 小金 厚丸
浮世絵師名一覧
〔 ? ~ 文政十二年(1829)10月・享年未詳〕
別称
神田庵
(かんだあん)
厚丸
(あつまる)
神田庵あつ丸
(かんだあん あつまる)
小金厚丸
(こがね あつまる)
神田あつ丸
(かんだ あつまる)
(「日本古典籍総合目録」より)
※『洒落本大成』中央公論社・昭和五十三年(1978~1988)刊
☆ 寛政四年(1792) ◯『狂歌四本柱』〔江戸狂歌・第三巻〕桑楊庵あるじ(つふり光)序・寛政四年刊 〝氷 胡金あつ丸 泉水の氷のはりの強きゆへ軒のつらゝも棒ほどにみゆ〟 ◯『狂歌桑之弓』〔江戸狂歌・第四巻〕桑楊庵光編・寛政四年刊 〝川の瀬へめはり柳の枝たれてかせのをしへにぬふか糸ひく 故兼厚丸〟 ☆ 寛政五年(1793) ◯『太郎殿犬百首』〔江戸狂歌・第三巻〕桑楊庵光編・寛政五年刊 〝葵 故兼あつ丸 鍋やきのふた葉あふひをとりみればさてうまさうなねぎにかも山〟 ◯『狂歌上段集』〔江戸狂歌・第四巻〕桑楊庵頭光・尚左堂俊満等編・寛政五年刊 〝春月 故兼厚丸 また年は若葉の春の月ながら兀山のはにやがてふけゆく〟 ☆ 寛政八年(1796) ◯『狂歌晴天闘歌集』〔江戸狂歌・第四巻〕後巴人亭つむりの光編・寛政八年刊 〝恋 小金厚丸 番匠の手斧かつらき仇人にいまは命もはつるばかりぞ〟 ☆ 寛政九年(1797) ◯『柳の糸』〔江戸狂歌・第五巻〕浅草庵市人編・寛政九年刊 〝見ればみな長者となりぬ巳のとしのしりくめ縄をはるの日のあし 神田庵厚丸〟 ☆ 寛政十一年(1799) ◯『狂歌東来集』初編〔江戸狂歌・第五巻〕酒月米人編・寛政十一年 〝あしの浦の氷もとけて春の日の霞にむくる沖のかも船 神田庵厚丸〟 ☆ 寛政十二年(1800)
◯『洒落本大成』第十八巻
(寛政十二年刊)
神田あつ丸画
『鄽数可佳妓』署名「安津丸画」成三楼鳳雨作 ☆ 寛政年間(1789~1800)
◯『洒落本大成』第十八巻
(寛政年間刊)
神田あつ丸画
『闇明月』署名「神田菴応需蔵前の小僧画」神田あつ丸作・画
〈神田あつ丸は小金あつ丸〉
☆ 享和元年(寛政十三年・1801)
◯『洒落本大成』第二十巻
(享和元年刊)
小金あつ丸著
『廓胆競』秋蝶毫 ☆ 享和二年(1802)
◯『狂歌萩古枝』〔江戸狂歌・第六巻〕浅草庵市人編・享和二年刊 (桑楊庵頭光七回忌(享和二年四月十二日)追善集) 〝片思 神田庵厚丸 とり得てし鼠の皮もわか胸ももゆる程なほかたおもひなり〟 ☆ 文化元年(1804)
◯『狂歌武射志風流』上之巻〔江戸狂歌・第六巻〕四方真顔、森羅万象編・享和四年(文化元年)刊 〝軒燕 小金厚丸 ひちりこをはこふちまたをかけりてははねをあけ来る軒の燕〟 ☆ 文化九年(1812)
◯『洒落本大成』第二十巻 (小金あつ丸著『廓胆競』の解題、『廓胆競』に記された式亭三馬自筆の識語を紹介している) 〝小金厚丸は神田錦町に住て紙店なりしが、放蕩にして破落戸となり、今(注、文化九年十月下浣)はい かゞなりしやしらず。後巴人亭つふり光大人に従て狂歌を詠ず。後狂歌堂にて予も一面の知己なりしが、 当時在所をしらず〟 ☆ 文政十二年(1829)
◯『増訂武江年表』2p79(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) 〝十月、狂歌師神田庵厚麿終ふ(神田鍋町に住す。「月花とうかれ出たる夜あるきのけさとぢらるゝ雪の あしかき」)
☆ 没後資料
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪299(竜田舎秋錦編・慶応四年成立) 〝黄厚丸 神田鍋町に住す。伊勢屋吉兵衛といふ紙問屋也〟
◯『狂歌人名辞書』p6(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊) 〝黄金厚丸、神田庵、落穂庵、藤樹園、笹の屋、六史園等の数号あり、姓武藤氏、通称伊勢屋吉兵衛、名 は忠司、東都神田に住し始め千秋庵に学び、後五側の判者となる、五十九歳にして不断庵を向島にむす びて閑居す、狂歌に遊ぶこと五十年、四方に遊歴すること四十五ケ国に及ぶ、文政十二年十月十日歿す、 浅草新塀端西福寺に葬る〟
◯「日本小説作家人名辞書」p741(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊) 〝黄金厚丸 姓は武藤氏、通称伊勢屋吉兵衛、名は忠司、黄金厚丸、神田庵あつ丸、落穂庵、藤樹園、笹の屋、六史 園等の号がある。神田鍋町に住む狂歌師、五十九歳で向島に隠棲、不断庵と称す。文政十二年(1829)十 月十日歿。浅草新堀端西福寺に葬る。「闇明月」(寛政十一年(1799)刊)の作者〟
〈『洒落本大成』第十八巻。『闇明月』洒落本・神田あつ丸作・蔵前の小僧画・寛政末年刊。挿絵は北斎風の遊女絵一 葉。署名はないが『洒落本大成』の解題はあつ丸の自画かとする〉
<「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」小金厚丸 ?-1829 江戸時代後期の狂歌師、戯作(げさく)者。伊勢屋吉兵衛 と称し、江戸神田で紙問屋をいとなむ。狂歌は三陀羅(さんだら)法師にまなび、のち五側(ごがわ)の判者。花柳(かり ゅう)界を主題とする戯作でも知られた。文政12年10月10日死去。姓は武藤。名は忠司。別号に神田庵厚丸。著作に洒 落(しゃれ)本「仇(あだ)手本」「闇明月」など>