☆ 文化十二年(1815)
◯「日本古典籍総合目録」(文化十二年)
◇滑稽本
豊川蘆麿画『【芝翫当り評】真寿加賀見東俤』蘆麿画 南笠房丸作 文化十二年序 河内屋太助他板
☆ 没後資料
◯『浮世絵師伝』p2(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝蘆麿
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】
一に蘆丸、よし国の前名なり〟〈「よし国」の項目の方は以下の通り〉
◇p207
〝よし国
【生】 【歿】 【画系】蘆国門人 【作画期】文化~天保
大阪の人、高城(木)氏、豊川を称す、文化十年頃より役者絵を画き、初めは蘆麿(一に蘆丸)又は寿
好といひしが、文化十三年より「よし国」と改め、寿好堂と號せり。尚ほ「芳洲画」と落款せる例もあ
り、但し、文政末か天保の初め頃には「岡丈堂蘆丸」と号せしこともあり、居所博労町〟
△『増訂浮世絵』(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
◇p204
〝よし国
初め蘆麿又は蘆丸と称し、蘆国の門下である。寿好堂と号し、豊川氏又高氏を称す。後よし国と改む。
文政十三年の中村歌右衛門の絵に蘆丸改よし国画とある。また寿好堂よし国画、豊川よし国画、高よし
国画、浪花よし国画と署名したものがある。その門下は多く、益々蘆国の画系を盛んならしめた〟
〈蘆麿の読みは「一に蘆丸」とあるので、あるいは「あしまる」か〉
◇p203
〝蘆麿 蘆丸と同人か〟
〝蘆丸 後よし国、寿好堂、豊川、又は高となのる
青陽斎蘆国系統図
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
蘆麿名の作品は上掲文化十二年の『【芝翫当り評】真寿加賀見東俤』一点のみ