Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ あしくに あさやま 浅山 芦国(芦洲)浮世絵師名一覧
〔 ? ~ 文政3年(1820)9月5日・40余歳〕
 別称 あし洲(あしくに)蘆洲(あしくに)蘆国(あしくに)     浅山あし洲(あさやま あしくに)浅山蘆洲(あさやま あしくに)浅山芦国(あさやま あしくに)     狂画堂(きょうがどう)狂画堂蘆国(きょうがどう あしくに)狂画堂蘆洲(きょうがどう あしくに)     狂画堂芦洲(きょうがどう あしくに)     青陽斎(せいようさい)青陽斎蘆国(せいようさい あしくに)     蘭英斎(らんえいさい)蘭英斎蘆州(らんえいさい ろしゅう)     蘆洲斎(ろしゅうさい)浅山蘆洲斎(あさやまろ しゅうさい)(「日本古典籍総合目録」より  ※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕    〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』    「絵入根本」:「絵入根本の世界」大阪市立図書館・第50回大阪資料・古典籍室1小展示資料  ☆ 享和年間(1801~1804)  ◯『武江年表』2p26(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享和年間記事」)   〝京大坂より画入り読本、新作あまた梓行して江戸へ下せり。(中略)画者は石田玉山 青陽斎蘆国    一峯斎馬円 丹羽桃渓 合川珉和 松好斎半兵衛 歌川豊秀 速水春暁斎等其の外数多あり〟    ☆ 文化元年(享和四年・1804)    ◯「絵本年表」(文化元年刊)    浅山蘆国画『劇場菊の戯』二冊 狂画堂蘆国画(角書「似顔絵入」)①    ☆ 文化四年(1807)    ◯「読本年表」(文化四年刊)    浅山蘆国画『蟹猿奇談』「青陽斎蘆国画」栗杖亭鬼卵作 角丸屋甚助他板 ①    ☆ 文化五年(1808)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化五年刊)    浅山芦国画『春景浅茅原』三巻 画工東都歌麻呂門人喜多川此麻呂 芦国 笑門亭序 河内屋太助板    ◯「絵入根本」>(文化五年刊)    浅山蘆国画『春景浅茅原』六巻六冊 浅山蘆国・喜多川北(ママ)麿共画 笑門亭編    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇絵入根本(文化五年刊)    浅山蘆国画『春景浅茅原』喜多川此麿・青陽斎蘆国画 笑門亭編 河内屋太助板    ☆ 文化七年(1810)    ◯「読本年表」(文化七年刊)    浅山蘆国画『茶店墨絵艸紙』「浅山あし洲画」栗杖亭鬼卵作 吉野屋仁兵衛板 ①          口絵「葛飾北斎画・法橋玉山・東都北川此麿・皇都祇山井特写・皇都有慶・皇都文敬画             蘭央筆・法橋周南画 東都一陽斎豊国画」  ☆ 文化八年(1811)    ◯「読本年表」(文化八年)    朝山蘆国画    『東男竒遇糸筋』「狂画堂 蘆国書図」 感和亭鬼武作 西宮弥兵衛他板   ①    『連理隻袖』  「摂都 狂画堂蘆国画」十返舎一九作 駿河屋久四郎他板 ⑩①    『朝顔日記』北川春政画「補闕 浪花 蘆国」雨香園柳浪作 山田屋嘉右衛門他板 ①    ☆ 文化九年(1812)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化九年刊)    浅山蘆洲画『糸のしらべ』二冊 画工浅山蘆洲 浅野高造纂    ◯「読本年表」(文化九年刊)    浅山蘆国画    『金屋金五郎全伝』「石田玉山画/浅山蘆洲仝」金太郎主人作 播磨屋十郎兵衛他板 ①    『浄瑠璃姫物語』 「画工 東都 喜多川花月 浪速 補助浅山蘆洲」狂蝶子文麿  ①              見返「浪速蘭英斎蘆国画」「東都狂蝶子文麿著」岡田群玉堂    『今昔庚申譚』   蘭英斎蘆州画 栗杖亭鬼卵作 板元未詳 ①〈書誌による〉              文政七年版奥付「画工浅山蘆洲」    ◯『噺本大系』巻十四「所収書目解題」(武藤禎夫編・昭和五四刊)   ◇咄本(文化九年刊)    浅山芦国画『臍の宿かえ』見返「浪華 浅蘆國画」桂文治作 塩屋板
 ◯『壬申掌記』〔南畝〕⑨576(文化九年八月記)   〝浪花戯場、三やく 嵐吉三郎 春好斎画中納言行平 左甚五郎 孔雀三郎      おやま人形【金太郎作/葩洲補助】     (松島検校調べの歌詞あり、中略)    人形 芦洲画 甚五郎 蘆ふね画〟    〈大坂絵師。この“芦州”を浅山蘆洲とみた。中納言行平を春好斎が画き、左甚五郎を蘆ふねが画き、芦洲が「おやま     人形」を画いたというのであろうか〉    ☆ 文化十年(1813)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十年刊)    浅山芦国画『戯場妹背通転』三冊 浪華あし国・芦舟写 河内屋太助板    ☆ 文化十一年(1814)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文化十一年刊)    『京城画苑』一帖 吉田新兵衛板     素絢・原在明・豊彦・江漢司馬・芦洲・法橋正胤・応受・景文・松堂・白瑛・岸卓堂・     孝敬・南岳・玉◯・文鳴・琦鳳・壺仙・珉和・竹堂・古秀。月峯・応瑞・呉春    『芝翫帖』一巻 河内屋太助板〔漆山年表〕     狂画堂芦洲摹・町年図写・なには春江戯画・百喜画 浜松歌国編    『璃寛帖』一冊 河内屋太助板〔漆山年表〕     狂画堂主人・芦幸写・寿公写・芦舟画 暁鐘成著    ◯「読本年表」(文化十一年刊)    浅山蘆国画    『奇譚手引糸』「浅山蘆国画」  高井蘭山著  河内屋嘉七他板 ①    『奇譚蕢草紙』「画工 あしくに」玉泉堂胆丸作 藤屋徳兵衛他板 ①     〈文化11年の刊年は①の書誌による。①の画像は文化12年版〉    ◯「滑稽本年表」(文化十一年刊)    蘆国画『芝翫栗毛』上「あし国写」松年画 謙居 松峰画 下「桃渓画」桃里        中村芝翫作 浜松歌国編 河内屋太助板 ①  ☆ 文化十二年(1815)    ◯「絵本年表」(文化十二年刊)    浅山芦洲画〔漆山年表〕    『芝翫節用百戯通』一冊 浪速狂画堂芦洲画 嫚戯堂暁鐘成編 森本太助板    『定結納爪櫛』  二冊 浪華狂画堂芦洲画 河内屋太助板    『芝翫国一覧』  一冊 画工狂画堂蘆洲  洞露斎百喜編 木村矢四郎他板    浅山芦洲画〔目録DB〕    『雑唱歌長崎土産』七冊 狂画堂芦洲画 河内屋太助板(別書名『拳褌廓大通』)    ◯「読本年表」(文化十二年刊)    浅山蘆国画    『仮粧水千貫槽筧』「画工 浅山蘆国」浜松歌国編  播磨屋十郎兵衛他板 ①    『寄生木草紙』後編「狂画堂蘆洲画」 栗杖亭鬼卵作 秋田屋太右衛門他板 ①     〈文化12年の刊年は①の書誌による。画像は文政7年版〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇歌舞伎洒落本(文化十二年刊)    浅山蘆州画『芝翫国一覧』洞露斎百喜作・暁鐘成閲・狂画堂蘆州画 森本太助他板(画像あり)    ◯「絵入根本」(文化十二年刊)    浅山蘆国画『定結納爪櫛』二冊 狂画堂蘆洲画 奈河晴助作    ☆ 文化十三年(1816)    ◯「読本年表」(文化十三年刊)    浅山蘆国画    『鎗権三累襂』「画工 一峰斎馬円/狂画堂蘆州 両画」河内屋嘉七他板 ①            五実軒奈々美津著/浜松歌国補    『売油郎』  「浅山蘆国画図」芝屋芝叟遺話 播磨屋重郎兵衛他板 ①    ☆ 文化十四年(1817)     ◯「絵本年表」(文化十四年刊)    浅山芦洲画    『敵討巌流島』前後編 狂画堂蘆国画・作 河内屋太助板〔目録DB〕    『九花姿錦絵』一帖  画工芦洲 塩屋長兵衛板〔漆山年表〕    ◯「読本年表」(文化十四年刊)    浅山蘆国画    『大和国筒井清水』「画工 浅山蘆国」浜松歌国作 河内屋嘉七他板 ①    『無双相◎語』  浅山蘆洲画  河内屋嘉助他板 ①〈書誌による〉    ☆ 文化年間(1804-17)  ◯『浪華人物録』文化改正 前川文栄堂版(『摂陽奇観』巻45『浪速叢書』第5所収)   〝画工部(住所空欄)蘆国〟  ☆ 文政元年(文化十五年・1818)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政元年刊)    浅山芦国画『傾城倭荘子』六冊 浅芦国画 文金堂〈〔目録DB〕の分類は「絵入根本」〉    ◯「読本年表」(文政元年刊)    浅山蘆国画『打出の浜』「浅山あし国画」南里亭其楽作 秋田屋太右衛門板 ①〈版元は書誌による〉    ☆ 文政二年(1819)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政二年刊)    朝山蘆洲画『絵本舞台扇』三冊 勝川春章画 文調画 鶴屋喜右衛門他板          浪速狂画堂蘆洲画 同嫚戯堂暁鐘成編 摂陽西隺孫東隺序〈初版は明和七年〉    ◯「読本年表」(文政二年刊)    浅山蘆国画『今昔二枚絵草紙』「画工 浅山蘆国」浜松歌国作 河内屋嘉七他板 ①  ☆ 文政三年(1820)(九月五日没・四十余歳)    ☆ 没後資料    ☆ 文政十年(1827)     ◯「絵本年表」〔目録DB〕(文政十年刊)    浅山蘆国画『いろは国字忠臣蔵』四冊 狂画堂蘆国画 河内屋太助板    ☆ 文政十二年(1829)    ◯『神事行燈』二編(歌川国芳画・文政十二年刊)   (花笠文京序)   〝安永のむかし/\、狂句の種を蒔しより、以来川柳(かはやなぎ)の一株、世々の風になびき、年々に    繁茂する事夥し、前に浪華のあし国それが図を造りて狂画とよぶ、今また江戸の国よし句意を採て筆    を揮ふ、故(ふる)くは鳥羽僧正の写意を和げて色を含ませ、近くは九徳斎が草画に准(なら)ひて、当    世ぶりを穿つもの也、読むにあく事なく、笑はずといふ事なし、所謂戯場(しばゐ)の道化師の類にし    て、無声の物真似、有声の滑稽、句中の可笑(をかしみ)、筆意の働き、人情世態を尽すに至りては、    腹筋を不◎(よらざる)はなかるべし、噫狂句の手強(てづよき)に余情を画くあは、龍に翼を添へたる    に斉(ひと)し、予其席に在て速に蛇足の緒言を加ふ〟    ☆ 天保十三年(1842)    ◯「絵入根本」(天保十三年刊)    浅山蘆国画    『絵本姉妹達大礎』七冊 浅山蘆国画  天保13    『雑唱歌長崎土産』七冊 狂画堂蘆洲画 天保13    『妹背通転』   四冊 浅山蘆国画  天保13    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   〝浅山芦洲〈アシクニ〉号 青陽 文化中多くよみ本を画く 浪花の人なり    狂画堂、蘭英斎、浅山氏〟    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1408(朝岡興禎編・嘉永三年(1850)四月十七日起筆)   〝石田玉山  岡田玉山【石田玉山門人】 青陽斎蘆国、  一峯斎馬円    丹波桃渓  合川珉和、        松好斎半兵衛  歌川豊秀    速水春暁斎 已上 京大阪画草紙画者 享和前後人 武江年表〟   ◯『京摂戯作者考』〔続燕石〕①337(木村黙老著・成立年未詳)   (「浮世絵師」の項に所収)  〝大坂の人、俗称布屋忠三郎、蘭林斎門葉、蘭秀斎と言、後、狂画堂と改む、文政三年戊寅九月五日没、 下寺町遊行寺に碑有、釈順清、行年四十余〟    〈九州大学付属図書館蔵本『粋邯鄲 栄花の現』     九州大学大学院文学研究科国語学国文学専攻 バーバラ クロス氏の解題刊記「享和四年子正月/書林 心斎橋筋安     堂寺町/浅山忠三郎」クロス氏によると「書肆の浅山忠三郎には、『栄花の現』以外は出版活動が見られない(『近     世書林版元総覧』)。私見では、上方役者似顔絵の画家である浅山蘆国(通称布屋忠三郎)と同人物と考える」とす     る〉    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪236(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立)   〝浅山蘆洲 浪花の人 青陽斎 狂画堂 蘭英斎等号せり〟  ☆ 明治以降(1868~)    ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝文化 阪 青陽斎芦国 大阪の人、江戸に倣ひ、俳優似顔を写し、一枚摺にして世に行はる。門人多し〟    〈「阪」は大阪〉    ◯『浮世絵師便覧』p204(飯島虚心著・明治二十六年(1893)刊)   〝蘆洲(ロシウ) 大坂の人、青陽斎、狂画堂、蘭英斎と号す。浅山氏、◯文化、文政〟  ◯『日本美術画家人名詳伝』補遺(樋口文山編 赤志忠雅堂 明治二十七年(1894)一月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝浅山蘆国 浪花人 通称布屋忠三郞 須賀蘭林斎に従ひ 画法を学び浅山蘭英斎と号す 後に狂画堂蘆    国と改む 浮世絵を画て有名なり 文政元年五月五日 四十余に没す 法号釈順 大坂円成院に墓有り    (暁鐘成墓所一覧)〟  ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝青陽斎蘆洲【享和元~三年 1801-1803】(54/103コマ)    浅山氏、狂画堂、蘭英斎等の号あり、大阪の人〟   〝青陽斎蘆国【享和元~三年 1801-1803】(55/103コマ)    浅山氏、大阪の人にて、蘆洲の男なり、俳優絵を多く画けり〟  ◯『浪華名家墓所記』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十四年(1911)三月刊)   〝浅山蘆洲(画工)文政三年九月五日没 年四十余 遊行寺 円成院    浪花の人、俗称布屋忠三郞、須賀蘭林斎に従ひ画法を学び、浅山蘭英斎と号す。後に狂画堂蘆洲と更む、    浮世絵を専らとし名を得たり。法号 釈順清〟     ◯『狂歌人名辞書』p(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝浅山芦洲、通称布屋忠三郎、大坂の画家、須賀蘭林斎に学びて蘭英斎と号し、後ち狂画堂と改めて浮世    絵を専とす、文政元年五月五日歿す、年四十〟    ◯『浮世絵師伝』p2(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝蘆国    【生】          【歿】文政三年(1820)九月五日-四十余    【画系】須賀蘭林斎門人  【作画期】文化~文政    大阪の人、浅山氏、俗称布屋忠三郎、画名は稀に蘆洲(アシクニ)とす、青陽斎・蘭英斎・狂画堂等の号あり、    役者絵及び読本の挿画多し。文化十年版の『狂歌百人一首』に挿画して「あしくに画」と署名す、また    文化十五(文政元)年版『傾城倭荘子』に附刻の広告文に拠れば、其年の初春より狂言の替り目ごとに    立役者の姿を扇面に写し、二日目より売出し申候間、版元にて御求め下されたき旨を述べたり。墓所大    阪遊行寺(円成院)法名釈順清。    因みに、文学博士黒田源次氏著『上方絵一覧』に於て、浪花錦絵の系統を区別し、第一を松好斎一派、    第二を蘆国一派とせられたり、蓋し画名に蘆の字を冠する者十人を超へ、作品の数甚だ多く、其等は皆    蘆国門人と見ても、彼れが優に一派を形成するありし者なる事を明かにされしなり〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化一二年 乙亥」(1815)p187   〝八月、大阪の狂画堂蘆洲の画ける『芝翫節用戯通』出版〟    ◯「集古会」第二百二回 昭和十年九月(『集古』乙亥第五号 昭和10年10月刊)   〝中沢澄男(出品者)狂画堂芦洲画 寄生木草紙袋 一枚 版文化十二年 鬼卵作〟  △『増訂浮世絵』p204(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝青陽斎蘆国    大坂の人、浅山氏、俗称布屋忠三郎、須賀蘭林斎の門人で蘭英斎と号す。清陽斎、狂画堂の号がある。    画名は稀に蘆洲と書す。役者絵及び読本の挿絵を多く作つた。門下頗る多く、蘆国の画系は栄え、一派    を形成した。文政三年九月五日没、年四十余、大坂遊行寺に葬る。法名釈順清〟
   青陽斎蘆国系統図  ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:30(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:浅山蘆国・あし洲・蘆洲・狂画堂・青陽斎・蘭英斎・蘆洲斎・狂画堂蘆国・蘭英斎蘆州・        蘆国・青陽斎蘆国・浅山蘆州・浅山あし洲・狂画堂蘆洲・浅山蘆洲斎・浅山芦国・        狂画堂芦洲    分 類:読本16・絵入根本8・歌舞伎2・絵画1・咄本1・俳諧1    成立年:文化1・4~5・7~15年(26点)文政2・10年(2点)   (蘆国・浅山蘆国名の作品)    作品数:13    画号他:蘆国3・浅山蘆国10    分 類:読本9・絵入根本2・俳諧1・咄本1    成立年:文化8~15年(11点)        文政2年   (1点)   (蘆洲・浅山蘆洲名の作品)    作品数:3    画号他:蘆洲1・浅山蘆洲2    分 類:読本1・絵画1    成立年:文化11・14年(2点)   (青陽斎蘆国名の作品)    作品数:1    画号他:青陽斎蘆国    分 類:読本1    成立年:文化4年    〈『蟹猿奇談』読本・栗杖亭鬼卵作・青陽斎蘆国画・文化四年(1807)刊〉   (浅山芦国名の作品)    作品数:1    画号他:浅山芦国    分 類:絵入根本1    成立年:文化5年    〈『春景浅茅原』絵入根本・笑門亭編・浅山芦国、喜多川此麿画・文化五年(1808)刊〉   (浅山あし洲名の作品)    作品数:1    画号他:浅山あし洲    分 類:読本1    成立年:文化7年    〈『茶店墨絵艸紙』読本・栗杖亭鬼卵作・浅山あし洲画・文化七年(1810)刊〉   (蘭英斎蘆州名の作品)    作品数:1    画号他:蘭英斎蘆州    分 類:読本1    成立年:文化9年    〈『今昔庚申譚』読本・栗杖亭鬼卵作・蘭英斎蘆州画・文化九年(1812)刊〉   (狂画堂芦洲名の作品)    作品数:1    画号他:狂画堂芦洲    分 類:絵入根本1    成立年:文化12年    〈『雑唱歌長崎土産』絵入根本・狂画堂芦洲画・文化十二年(1815)刊〉    (狂画堂蘆国名の作品)    作品数:4    画号他:狂画堂蘆国    分 類:絵入根本4    成立年:文化1・12・14年(3点)文政10年(1点)   (狂画堂蘆洲名の作品)    作品数:4    画号他:狂画堂蘆洲    分 類:歌舞伎2・読本2    成立年:文化11~13年(4点)   (浅山蘆洲斎名の作品)    作品数:1    画号他:浅山蘆洲斎    分 類:読本1    成立年:文化14年    〈『無雙相◎◎語』読本・浅山蘆洲斎画・文化十四年(1817)刊〉