小景異常



 TUTTI20号より     牛嶋恒太郎氏



    小景異常


      ふる里は古きにありて思ふもの
           そして支送りせがむもの
                     倉沢恒良



 その1

 僕は朝早くから。川で釣りをしていた。昨晩は、雨が降ったので、川の水は少々濁っていた。そのせいか、いつもより魚の喰いが良いようだ。太陽が高く昇って、ようやくこの山あいの沢にも陽が差し込んできた。単に青白くのっぺりとしていた山々も、一本一本木々に姿をはっきりさせてきた。
「もう少し上流に行くかな。」
僕は釣具をまとめだした。
叫び声がする。ドドッーと何かが押し寄せる音、地ひびき。
僕は立ち上がる。ふりかえる。数百もの槍の焦点に僕は立っていた。
足軽兵だ。
僕は、この状況を理解しようとした。ははーん、ドッキリカメラだな、これは。タイムスリップさせたように思わせておいて、「実はコレでした〜」と言って、プラカードを持ったヘルメット男が出てくるのだ。僕は、カメラの在りかを探した。
「お前は、何者だ。」
足軽の一人が言った。よしおちゃらけてやれ。
「私の名前はカルメンでっすっっ。」
振りまで付けてやったぜ、この野郎。
足軽はどよめいている。
「どこから来た」
「楽しい倫敦からです。」
「ここで何をしている。」
「十二をしています。」
足軽はまた、どよめいている。
しばらくして馬に乗った武者が言った。
「こやつをひっとらえろ。御大将、秀吉様の所へ連れてゆけ。」
僕はしばられた。縄の結び方ひとつにも気合が入っている。少々痛い。
「ちょっと待てよ。いくらテレビだからって、これはちょっと、非道ぢゃない。」
聞いていないふりをしている。


「怪しげな奴とは、この者か。」
赤ら顔をした小男が近づいて来た。
「あなたが秀吉様ですか。」
「そうぢゃ」
僕は唄い出した。
「♪とまらないんだ。この昂ぶりは。とまらないんだ、まるで狼のように♪」
「サ、サルと言ったな。ぬぬぬ生かしてはおけん。きるっ。」
「上手いっ。きるっていうのは、英語のkillと斬るとを掛けたんですね。」
「何をほざいているのだ」
グサ。刀が僕の腹にささる。血しぶき。血が目に入る。周りの景色が赤い。さっきまで朝だったのに、もう夕焼け空だ。
 今日は朝から釣りをしていた。足軽兵が僕を囲んでいた。とまらないんだこの昂ぶりは。とまらないのは僕のおちゃらけ精神だったんだ。こんな腐った精神は死ぬしかないんだ、手に力が入らなくなってきた。まぶたを開けても何も見えない。薄らいでゆく意識の中で、これでいいんだ、と思った。






 その2

 僕は、秋子と二人、夕焼けの中の公園にいた。公園と言っても、すべり台やシーソーのある児童公園だ。皆の期待するような事は起こりっこない。
 僕は砂場にしゃがみこんで、人さし指で砂をいじくっていた。ぶらんこに乗っていた秋子が、僕の横に来た。
「ネェ、何してるのよ。」
「何もしてないさ。」
「じゃ何考えてんのよ。」
「何も考えてやしない。」
乗り手を失ったぶらんこがまだ、キィキィ言っている。砂場に出来ている小さな山の長い影。高い高い山のような。陽は沈みかけているのか。
「あっ、ありんこ。」
「ほんとだ。」
手ぶらのアリが、巣にでも帰るのか、道を探し、探し歩いている。
「秋子、ありは僕達のことを知っているのかな。」
「え、どういうこと。」
「つまり、ありは、人間という存在を知っているのか、ということ。」
「う〜ん。知らないじゃない。だって、アリにしてみれば人間なんて大きすぎてわかんないんじゃないの。」
「そうだね。じゃ例えば人間がアリを踏んづけたり、つまみあげたりすると、アリにしてみれば超自然的なる不可思議な力によって押しつぶされたり、四次元的な作用で、消滅したことになるのかい。」
「ふむ、そうじゃない。」
「うむ、そうか。」
 僕らの前に、もうアリの姿はなかった。ただ、ただ長い、僕らの影法師があった。

 じゃ僕らがアリだとしたら。僕らには理解できないようなとてつもない大きさの生物体があったとしたら。僕らはその存在を確認できない。でも、我々人間の科学では、解明できないような事象はすべてこの生物体の仕業であるとしたら。
 それは、神、神なんだ。僕らはそれを神と呼ぶんだ。
 こんな馬鹿げた僕の哲学。こんな哲学を僕が持っているなんて秋子は知りやしない。なのに来春、僕らは結婚するのだ。そんなんでいいのだろうか。この機会に少しだけでも話してみたら。秋子の顔をのぞきこんだ。
 やめた。僕の馬鹿な考えのせいで、このかわいい顔の眉間にしわがよるのを怖れたのだ。
「ねえ、何考えてんのよ。」
僕は言う。
「何も考えてやしないさ。」






その2.5


 僕の部屋の窓の外には、畑が広がっている、何十羽もの鳩が畑の土をつついていた。
 僕は何気なく消しゴムをほおった。バサバサと数羽の鳩がはばたいたが、すぐに消しゴムをつつきだした。次に僕は、灰皿を投げた。数羽がはばたく。そして、灰皿をつつきだした。僕は、ラジカセを鳩にむかって投げつけた。数羽の鳩がつぶれた。だが、他の鳩はラジカセをつつきだした。いつのまにか鳩は増えている。僕はこたつを投げる。ギェッと鳩が叫ぶ。だがまた、こたつをつつき出す。そこはいっぺんの鳩だかり。僕は車に乗りその鳩だかりにつっこんだ。車をつつきだす、鳩、鳩。
 僕は血だらけで、鳩だかりから逃げ出した。






小景異常  3


 「ああ、やっぱり出て来なきゃ良かったな。」と俺は後悔した。講義室の一番後ろの席で、僕は腕組みをしている。教壇のよぼよぼ爺さんは、何年前に作ったか知れない講義ノートを読みあげるだけだ。退屈だ。
「何か面白い事でも起こってくんないのかよ。」俺はあくびをした。

「もう我慢できない!」
 叫び声があがった。真ん中へんに座っていた男が猛然と立ち上がり、つかつかと前の方へ歩き出す。
「なんだ。」俺は首をのばす。
歩き出した男の顔を俺は知っていた。いつも講義にキチンと出て、熱心にノートをとっている奴だ。彼のノートは”聖書”と呼ばれ試験前には重宝がられる。
俺も世話になる。が、名は知らない。俺とはクラスが違う。ノートのコピーだって、俺の手元には来るのは、ひ孫の代くらいのものだ。名は知らないが、顔は知っている。黒ぶち眼鏡をかけ、いつも同じジャンパーを着、三分間に一度は頭をかく癖を持つ。
 彼は歩くのを止める。学部のマドンナと呼ばれている白川聖子の横に、彼はつっ立っている。
「僕はもう我慢できないんだ。」
 彼は言った。
「もしかして、何か面白いことが起こってくれちゃったのね。」俺は、狂喜した。
スタイル抜群。洗練されたファッションセンス。そして完璧なまでの美貌を備えたマドンナ白川聖子に、いつもドン臭い、勉学一筋のような男が、「もう我慢できない。」と言って愛を告白しようというのだ、講義中に。
「何よ。」いたずらっぽい眼で男を見る白川聖子。自らは人を愛したことがない、愛されることのみを好む、魔性の女。
「何よ。」

 教壇の爺さんをはじめ、皆、ポカンと口をあけて、そちらを見ている。
「僕は今日こそ言うぞ。」君は美人だからと言って意気がっているけれど、いつも鼻毛を出している。それが、僕には許せないんだ。何も僕は、君のことが好きなわけじゃない。だけど、美人である事を鼻にかけ、自分の欠点に気づこうともしないで威張りくさっている態度に、どうにも我慢できないんだ。鼻毛くらいちゃんと切ってきてくれ。」

 白川聖子は、両手で鼻をかくした。
 講義室全体が落ち着きをなくしはじめた。
 俺の右前にいた軟派な男は、自分のファスナーが全開であることに気付いた。ファスナーが全開のままで、助手席で彼女を乗せて登校してたのだ。

 一番前の席のガリ勉女は、ノートに”三位一体”とあるべきところに、”三味一体”とあるのに気付き。「ギャー」と言いながら消しゴムを握った。
 教壇の爺さんは突然、講義ノートに火をつけた。
 可愛らしいことで売っているキャピキャピ女は、隣の友達と喋っていた口をつぐんだ。頭脳はかくせないから。
 筋骨隆々の男は、自分の持ち物ことを思い出して、がっくりと肩を落とした。

 俺は。

 隣に座っていた男の襟首をつかまえて叫んだ。
 「おい、俺は、俺はどうなんだ。えっ、言ってみろ。俺は、どうだって言うんだ。」
 隣の男は、息苦しそうに答えた、
「あ、あなたは毎朝シャンプーをして来るようですが、いつも耳の穴に、シャンプーの泡が、こびりついています。」
 俺はそいつを殴りとばした。





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