目次
- 化学物質新制度の創設に向けて/今年はエンジン全開の年に!
- 連続講座第4回「海外の化学物質規制法制度」/大島輝夫さんの講演から
- ホルモン撹乱、京都会議で新たな知見が続出
- 「環境ホルモンと子供たちの未来」(下)/ダイアン・ダマノスキさんの講演から
- 知る権利に逆行する厚生省と農薬メーカー
- 98年12月の動き・講座案内
- シンポジウムの案内・編集後記

1.化学物質新制度の創設に向けて/今年はエンジン全開の年に!
新年明けましておめでとうございます。
研究会がスタートして2年目の新年を迎えます。昨年は2月から8月を除いて毎月連続講座を開催してまいりましたが、今月30日に開催するシンポジウムと2月の講座で一応第1期講座が終わることになります。これまでの講座は、毎回50名以上の参加者があり、講師の話もそれぞれ充実した内容で、質疑も活発に行われ、主催者としては開催してよかったと思っています。そこで現在、前期の講座の内容を単行本として出版すべく、準備を進めております。できれば2月の最終講座までには間に合わせたいと努力しておりますので、ご期待下さい。
さて、読者の方や講座に参加いただいている方も含めて、この研究会は何を目指して活動を行おうとしているのか、よくわからないといった感想をお持ちではないかと思います。まだ研究会のメンバーの間でも、明確に定まっているわけではありませんが、名前が示す通り、化学物質が今日もたらしているさまざまな問題について、NGO市民の立場から解決することを目指して研究を行う会であることは一致しているところです。しかし、当会は化学物質問題に関する技術的思想的研究のレベルだけにとどまるつもりはなく、化学物質とヒトを含めた自然生態系との関わりを規定している今日の社会経済システム(制度、体制)全般を射程にとらえて、大げさな言い方をすれば、社会変革(世直し)の運動を目指しているといってもよいかと思います。
その意味では、今月から始まる通常国会で、今後の化学物質の規制や管理をめぐって、行政と企業と市民との関わりを規定する重要な新制度(PRTR)が法制化されることになっており、研究会としても新年早々から取り組みを開始しなければなりません。
この30日に開催のシンポジウム(注)は、この新制度を含めて、21世紀における日本の化学物質法制度のあり方を徹底論議することを考えています。この取り組みを行う中から、研究会の方向性と、今、何を行わなければならないかの優先課題が見えてくるものと考えています。この「ピコ通信」を手に取っていただいた方、ぜひ、私たちと一緒に未来に向けて第一歩を踏み出しませんか。
(研究会代表 藤原 寿和)
(注)第5回 1999年1月30日(土)
シンポジウム「どうする!日本の化学物質法制度」
基調講演「人工化学物質をめぐる今日的問題とは何か」立川涼さん(高知大学学長)
パネリスト:浦野 紘平さん(横浜国立大学工学部)/大歳 幸男さん(日本化学工業協会)/角田季美枝さん(バルディーズ研究会)

2.後期第4回連続講座「海外の化学物質規制法制度」
98年12月19日 大島輝夫さん(化学品安全管理研究所所長)の講演を研究会でまとめました。
私は化学会社の出なので、官庁や化学工業界の方とのつきあいが長いのですが、市民グループの方と意見を交換できる機会を得たことを喜んでおります。私は中西準子先生と同じようにバランスという考えをとっています。日本は化学物質に関しては官庁、産業界と市民とのバランスがまだとれていません。
今日は欧米の法規制の具体的なことより、その根底にある文化やフィロソフィー(哲学)についてお話したいと思います。私は言葉の厳密な使い分けを大事にしています。例えば発がん物質と発がんの疑いのある物質というように。また発言は実際のデータに基づいてやるべきだと考えます。
リスクアセスメントとリスクコミュニケーション
リスクは損害を与える確率、危険度、ハザードは固有の性質(有害性)、エクスポージャーは暴露のことです。リスクゼロはありえませんが、リスクをゼロにする努力はするべきです。阪神大震災でいわれた危機管理はクライシスマネジメントのことで、リスクマネジメントのごく一部です。
アセスメントは科学的に評価することで、人に対するリスクの大きさを推定します。マネジメントはその結果に基づいて管理や規制を行うことです。その区別をしようというのが、83年の米国ナショナルリサーチカウンシルの報告書がとなえたことで、今は日本を含め世界中で採用されています。アセスメント結果をそのまま行政的対応にするのではなく、公衆衛生的、医学的、経済的、社会倫理的、政治的バランスを考慮して最終措置を決定するのがリスクマネジメントです。アセスメントも仮定が入り、不確実で、採用するモデルによってちがってきます。マネジメントの考え方では、市民が敏感であれば、より厳しい行政措置をとるということにもなります。リスク排除のためにどれだけコストをかけるかは、社会のコンセンサスの問題です。
リスクコミュニケーションは、ナショナルリサーチカウンシルが、88年に出した報告書により広まりました。「リスクについて意見情報を相互に作用しあう交換のプロセス」のことで、行政の結論をただ市民に受け入れさせるというのはたんなるメッセージにすぎません。マネジメントの各段階でコミュニケーションをはかりながら結論を出すことです。最終目的はリスクリダクション(削減)です。
法制度の文化、哲学的ちがい
法制度にも日本と欧米の文化のちがいがあります。「菊と刀」で、日本は恥の文化、西欧は罪の文化といわれました。日本では法に反してマスコミに書かれるのが恥であるから守る、逆にいえば、みつからなければいい、みんながしていればいいということになります。一方で、罪の文化からは、法律を守っていればいいというだけではなくて、法律以上の水準をめざそうという意識が生まれます。
西欧には毒物劇物取締法に相当するものはありません。日本では政府が指定すればこまかく規制するが、指定されないと放置されます。欧米では禁止するよりは、むしろ表示の義務づけに重点がおかれています。
アメリカでのワークショップで、化学会社に専任の環境安全担当重役がいること、その方が、常に法が要求する以上の規制を行うよう心がけたと発言していたことが印象に残っています。
日本の企業の方が根拠もないのに概念的にものをいうのは困ります。例えば、アメリカは遅れていてまだ地中に捨てているという人もいますが、それはEPAの許可のもとに行なわれ、地盤の関係から地表に対する影響が少ないとみなされているのです。PRTRについても、業界トップの方がアメリカのTRIよりも、企業の自主的な33・50計画で削減の効果があがっている、自主管理の方がいいのだと発言したことがありますが、これも両者があって初めて効果があがっているのです。9月の国際会議でも、EPAの方がTRIがなければ33・50のデータを誰も信用しなかっただろうと言われました。
都のシンポジウムでも、アメリカの市民は企業のデータを信用していないと言われてショックでしたが、企業のデータも信じていただきたいと思います。ただし、PRTRのデータに関してもなんらかの公正な機関によるチェックが必要です。国がやるのは無理で、都道府県や政令指定都市ぐらいのレベルが適当です。
「知る権利」とMSDS、PRTR
MSDS(化学物質安全性データシート)は労働者の知る権利からできたのですが、日本はその主旨を理解しないで導入されました。アメリカでは有害性の情報がある場合はすべて表示させるのですが、日本は法で規制された物質だけで、他はできるだけつくるようにとなっています。アメリカのTRIはスーパーファンド法改正の時に組込まれたEPCRA(緊急計画と地域の知る権利)の一部として制定されました。地球サミットのアジェンダ21の19章にも「地域社会の知る権利」がうたわれています。
企業秘密は、行政に対してはどの国でも認められておらず、行政の公開に関してのみ認められています。TRIでも企業秘密は0.0何パーセントしか認められません。分析して組成がわかるものは企業秘密と認められないからです。アメリカでは、医療関係者と従業員には開示されます。
表示についても、ヨーロッパでは危険なものはどくろマークをつけさせていますが、日本では未だに、もっての他という空気です。発がん性ありと表示しないのは、OECDでも日本とハンガリー、スロバキアだけです。日本では政府が法令で指定した物質を、欧米では毒性分類で行い、むしろ規制のないものが表示されます。
リスクは国全体よりも、発生源の周辺住民にとっての方が問題であり、それを減らすのが最大の目的であり、それを計算しうるのは自治体です。自治体が集計し、国は必要とする集計データのみを求めればよいでしょう。
化審法
化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律)による新規物質の届け出制度は、予防原則であり世界初の画期的制度ですが、環境の視点がありません。審査のためのデータだけ出させますが、欧米では持っているデータを全部、さらにその後の新しいデータも出させます。欧米では既存物質の試験は企業に義務づけさせて、アセスメントは行政がやることになっています。日本は逆で、試験は国がやり、アセスメント、マネジメントは業界がやろうとしています。しかしアセスメントは行政でないとできません。