ピコ通信/第113号
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CS発症後、中米コスタリカに一時転地して回復
大阪府在住 女性 ■"風邪の咳が治らない"から始まった 2002年冬に引いた風邪の咳が取れず、大阪では著名な耳鼻咽喉科で当初は急性蓄膿症の診断を受けました。職場のビルが改装直後であった上に、業務拡大に伴って新品のパソコンの導入が増え、5月には週4日通院するも、職場に戻るとすぐに鼻が痛くなり、呼吸が苦しくなる始末。最終的には仕事を続けるのが困難になり、退職に至りました。残念ながら私自身、当時は化学物質過敏症(以下CS)に対する知識は全くありませんでした。 その後は、何軒も耳鼻咽喉科を廻りましたが、原因につながるような診断は全く受けられず。「西洋医学には頼れない」と中国医学を修めた薬剤師にお願いし、粘膜の乾燥と自律神経を整える処方をして戴き、3年通いましたが、根本的な解決には至りませんでした。 やがて、大きな転機が訪れます。反応するものが増え、日常生活にも困難が生じ始め、情報が欲しい一心でネット検索しているとCS支援センター≠ノ辿り着きました。早速入会し、クリニックの紹介を受け、2004年8月にCSと診断されました。 ■コスタリカ政府の知人から電話 とにかく、身の回り品を徹底的に見直しました。家族にも協力を仰ぎましたが、見えないものに対する理解は得られにくく、一時は半狂乱になりながらも、理解を求めました。医師からは快方に向かう過程で必ず一度は症状が悪化すると聞いていましたが、11月には通院すら困難になり、酸素ボンベの利用が必要な程に症状が悪化しました。息をするのがツライ→生きるのが辛いと思う日々。そんな中、一本の電話が・・・。 コスタリカ政府観光省の日本代表を務める知人が、中米・コスタリカでの転地療養を勧めて下さいました。幸い、スペイン語は読めたので、酸素ボンベに繋がれて一生を生きるよりもこれに賭けてみようと思いました。春になり、動けるようになったら決行すると決め、冬はほとんど寝たきりのままでチケットの手配と準備を始めました。 ■30年前の日本に似ている 5月中旬、訪コされる際に同行し、成田〜ダラス経由でコスタリカに。解毒剤は通常の3倍を飲み、ひたすら耐え続け、ダラスは乗り継ぎのみで18時間。乗り継ぎに半日以上かかると動けなくなっていたと思います。 到着してすぐ、私の体調に合った場所を探して下さいました。コスタリカの住宅はコンクリートに水性塗料、床はタイルなので、反応するものが少ないのがとても魅力的です。飲食店でも蝿が飛んでいるくらい消毒されていないし、ちょうど昭和50年代前半の日本といったところでしょうか。 国土の25%が国立公園なので、プランテーションの近く以外は農薬散布のリスクもほとんどないので安心です。後は私の体調に合った気候の場所を選ぶことが課題になり、日本人の少ない郊外の地方都市に身を置くことにしました。 ■1週間もしないうちに身体が楽に 日本語の堪能なコスタリカ人女性を紹介いただき、彼女の手配で部屋を借り、新品の使えない私のために知人所有の家具を運び込んで、半年の転地療養生活が始まりました。部屋探しの際には、JICAの安全基準をクリアしている物件を選びました。最初は全く様子がわからず、彼女を煩わせましたが、旺盛な好奇心が幸いし、電子辞書を片手にどんどん街に出ました。 その街は高地なので、朝晩、深い霧が出て空気を浄化してくれ、雨期は毎日雨が降ります。たくさん歩いても息苦しくなることもなく、1週間もしないうちにみるみる身体が楽になるのがわかりました。有難いことに、ほとんど発症前に近い生活が出来るようになったのです。汗もよくかくようになりました。 スペイン語で転地療養はCambiar de aires(空気を換える)。まさに身を持って痛感しました。この機会に徹底して不要なものは身体に入れないようにと買い物に行っても、成分表がすぐ読めるよう、まず食品添加物の名前を覚えました。コスタリカは観光が主産業の中進国ですが、国民の健康に関する取組みは目を見張るものがあります。添加物についても何を何%使ったかまで、記載があります。 また、煙草がダメな私を気遣って、レストランでも見ず知らずの方が控えて下さいます。近くにオーガニック村があり、留学経験のあるホメオパシー療法医(ハーブ医学)が、帰国後、農薬のリスクを農家に説いて廻り、村として取り組んでいるので、無農薬の野菜・果物も入手が容易なのも大きなメリットでした。 ■転地療養はひじょうに有効な手段 翌年、カナリアの子供たち≠フDVDを持って再訪した際に、彼の診察を受けました。アメリカ以外でも、すでにメキシコやキューバの都市部でCS患者は多数存在していて、私たちが抱えているのと同様の問題があるようです。彼らの治療に使っていた処方を、私の体質などを考慮してレメディー(動・植物、鉱物から抽出したエキスを症状ごとに処方した液体状の漢方薬のようなもの;ドイツ・イギリス等では健康保険適用される)を処方し直してくれました。 私の経験からもこの病気を治すには、やはり徹底した排毒、そして空気と水、食べ物を換える必要があると思います。その意味でも転地療養はひじょうに有効な手段です。 発症したのは長年飲食関係の仕事に従事した結果、不規則な生活と食事が原因だと気づきました。今は、冬場は時々体調を崩しますが、ほとんど普通の生活が出来るようになりました。いいと思えることは、自分の責任でどんどん試してみることを心掛けています。 3年前には誰も太平洋を渡って転地療養をしようとは思わなかったと思いますが、当時の私はそれ程までに追い詰められていました。今は、その時に私が試行錯誤して作ったネットワークと転地療養のノウハウがあります。転地療養を希望される方にはぜひ、お力になりたいと思います。 国内、特に西日本は、CS患者の一時避難先にも事欠く事情は今も変わりません。私一人に出来ることは限られていますが、患者さんの社会復帰と健康回復に尽力出来ればと、まずは所有している建物の一室を私自身が建材をチェックし、シックハウス対応に改装することにしました。まだ夢の段階ですが、いずれは「関西にもオーガニック村を」と多方面にヒアリングを開始しました。 ■自己治癒力を信じて これ以上発症者を増やさないために、先に発症した者の勤めとして発症者が取り組まないといけない課題はたくさんあります。環境破壊や食品偽装が問題化する中、少し過敏な私たちが安全な食や環境の大切さを訴えていく必要性を痛感しています。我が家ではお米と野菜を無農薬で作っていますが、分けてほしいと度々言われて、逆に私がCSであることが安全の証明になって支持されていることに気づきました。 私もよくなる過程で、多くの方に助けていただきました。「見えない障害」ということもあり、周囲の無理解にも苦しめられましたが、中途失聴者の方の支援講座でCSの受容と社会復帰に必要な支援のあり方を教えていただく機会にも恵まれました。出来ないことは健常者にお願いし、出来ることでお返しするのも一手です。辛い時期があっても諦めないで、自己治癒力を信じて頑張って下さい。私の経験が少しでも役に立てばうれしく思います。 |