マリー・キュリーと放射能
©2010 Keiko Kawashima / Emi Higashiura
1 1571南西ドイツのワイルに生まれる。
2 1577彗星を見る。
3 家は貧しかったが、給費生として学校に通った(父は1588年に死亡)
4 1588プロテスタントの牧師になることを目指して、チュービンゲン大学(神学部)に給費生として入学。
5 この大学で、天文学教授メストリンと出会い、コペルニクスの太陽中心説を教えられ、天文学者になることを決意。
6 1594大学卒業後、グラーツの高等中学校で数学教師となる。バイトの予言暦が当たり、評判になる。
7 1596『宇宙の神秘』を出版。惑星の数と配列が、5種の正多面体との関係で説明できると主張。
8 グラーツでプロテスタントに対する迫害がひどくなり、町にいづらくなる。
9 1600プラハにいた、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエの助手となり、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ二世の保護下に火星の観測を行う。
10 1601ティコ死ぬ。彼の観測データをゆずりうける。
11 1609ティコのデータをもとにした『新天文学』出版(ケプラーの第一法則、第二法則)。
1611『屈折光学』出版。
1612:リンツに移る。測量監督となる。
12 1619『世界の調和』出版(ケプラーの第三法則)
13 1620母を魔女裁判より弁護。
1626:リンツが30年戦争の戦場となり、プロテスタント迫害により、ウルムに移る。
14 1630債給請願のための旅の途中、レーゲンンスブルグで客死。
1634:息子の手で『夢』出版。
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