(99/4/13掲載)

(03/5/26改訂)

[リゲティの録音] [R・シュトラウスと「2001年宇宙の旅」]


 巨匠スタンリー・キューブリックが亡くなりました。そのすべての作品が高い評価を得ており、マニアックなファンも大勢いますよね。なかでも、1968年に公開された代表作「2001年宇宙の旅」(原題2001:A Space Odyssey)は、われわれクラシックファンにとっては大変重要な意味を持つ作品となっています。それまでは辛気臭くて暗い曲だと思われていたR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラ〜」は、この映画の中で派手に使われたために、一気に大ブレイクしていちやく超有名曲になってしまいました。(もっとも、有名になったのはオープニングのファンファーレだけで、残りの大部分はだれも聴いていないという話もありますが。)

György Ligeti

 ところで、私がここでとりあげるのは、このファンファーレでも「美しく青きドナウ」でもなく、リゲティの曲なのです。キューブリックはこの映画で、当時の「前衛音楽」だった1923年生まれのハンガリーの作曲者、ジェルジ・リゲティのまさにできたばかりの曲を4曲使っています。そのうち、エンドタイトルにきちんとクレジットされているものは、オーケストラのための「アトモスフェール」(1961)、オーケストラと声楽のための「レクイエム」(1965)、そして無伴奏合唱のための「ルクス・エテルナ」(1966)の3曲、そしてクレジットはありませんが、3人の独唱者とアンサンブルのための「アヴァンチュール」(1962)も使われています。
 この当時の作曲業界では「トーン・クラスター」という、沢山の楽器や声で微分音程を重ね合わせて音の塊を作る技法が隆盛を極めていて、リゲティはまさにこの最先端技術の旗頭だったのですが、鑑賞用の音楽としては、まだまだ市民権を得ていなかったこれらの曲をあえて自作の中で使ったのは、「音楽」としてというよりは、自分のイメージを的確に伝える手段として最適だと考えたからではないでしょうか。これらの曲は、作曲されてから間もないばかりではなく、サウンドトラックの音源としてのLPがリリースされてからもそんなに時間が経っていなかったはずですから、キューブリックはほとんど直感的に映画とのマッチングを認識してしまったのでしょう。
 具体的な使われ方を見てみましょう。まず「レクイエム」は、全部で4つの部分から出来ている30分近くの大作ですが、ここで使われているのは2つ目の部分の「キリエ」です。これは、この映画の最も重要なモチーフである「モノリス」(「神」の象徴として現れる平らな石の板)のテーマとして、3度使われています。最初は地球上の原始人の集落に一夜にしてモノリスが現れた場面。「キリエ」は全部で6分半ほどかかる曲ですが、ここでは前半3分程が使われます。次は月面でモノリスが掘り出されたシーン。じつは、探査機が現場へたどりつくまでは「ルクス・エテルナ」が流れていたのが、いつのまにか「キリエ」に変わっているのですが(まるで一つの曲のように自然につながっています)、その切り替わるポイントが正確にモノリスの前に降り立つシーンへの変わり目なので、テーマとしての性格がいっそうはっきりします。そして、最後は、HAL 9000をぶっこわしてただ一人生き残ったデイヴ・ボウマン船長が操るディスカバリーのまわりをモノリスが浮遊する場面です。ここで「キリエ」がはじめてフルコーラスでかかったあと、切れ目なくこの映画のクライマックスである「アトモスフェール」に突入するというわけです。ここからの8分半は、船長が宇宙の始まりから生命の誕生を体験するバーチャル・トリップとなり、曲が終わるとともに最後の「白い部屋」へたどりつくのです。ここで、話し声のような効果音が聞かれますが、これが「アヴァンチュール」にテープ操作を加えて作ったものです。
 この難解な映画については、むかしから山ほどの解説がなされていますが、私が初めて見た時には、この監督は「アトモスフェール」や「レクイエム」を聴いてもらいたいためにこれを作ったんじゃないかと感じたものでした。一現代音楽ファンのたわごとと聞き流していただいて結構ですが、いわばSFの形をとった壮大なビデオクリップだとは思えないでしょうか?「2001年〜」は、キューブリックが作った「ファンタジア」だと言ったら、マニアの人は怒るだろ〜な〜。
 サウンドトラックの音源は、「アトモスフェール」と「ルクス・エテルナ」と「アヴァンチュール」についてはドイツのWergoという現代音楽専門のレーベルからLPとしてリリースされたものです。しかし、「レクイエム」だけは、放送音源が用いられました。映画の公開直後、別の演奏家によってWergoに録音されましたが、それが、長いことこの曲の唯一の録音となるのです。「ツァラトゥストラ」は腐るほどレコーディングされているというのに。

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 キューブリックについてはどうしても言いたいことがあります。これまた大傑作の「博士の異常な愛情」という作品の邦題についてです。原題は"Doctor Strangelove : or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb"、確かに前半を直訳すれば「博士−異常な−愛情」とはなりますが、これはピーター・セラーズが扮した3つの役のうちの一つ、「ストレンジラブ博士」のことなのですよね。確かにキャラクターの異常性が込められたネーミングではありますが、ここまで深読みするのはあきらかに間違いです。なんといっても、この邦題では映画の内容がまるでSMかロリコンもの(確かに「ロリータ」という作品はありますが)のように誤解されてしまいますよ。私だったら(どこにそんな権限があるんだ!)「ドクター・ストレンジラブ」とスマートに決めますがね。ちなみに、これは奥田民生が入ったパフィーのバックバンドの名前になってます。