TopPage  Back


音楽展望
吉田ヒレカツ

2003年5月31日  岩沼市民会館

2003/5/31記)

 下野竜也という若手の指揮者のことは、ご存じかしらん。一昨年だかのブザンソン国際指揮者コンクールという、あの小澤征爾が優勝したことで有名なコンクールに優勝したということで、一躍その名を知られるようになり、今や世界中のオーケストラから出演依頼が殺到しているということである。実は、私はこの若者とは昔から多少の面識があるので、この出世ぶりには嬉しさを隠すことは出来ない。折も折、仙台近郊の岩沼市で仙台フィルを指揮する演奏会があるというので、進境著しい最近の彼の演奏を実際に体験してみるために、足を運ぶことにした。
 会場の岩沼市民会館は、座席数800程度の中ホールという感じであろうか。これほど世界的に名をなした指揮者であるから、さぞやお客さんが押しかけるだろうと思いきや、開場直後に到着してみれば、座席はかなりまばらな埋まり具合であった。そういえば、この演奏会の入場券はかなり低価格だったし、しかも全席自由席ということ、主催者としてもそれほどの入りは期待していなかったのではないだろうか。結局、演奏が始まった時点でも、ほぼ半数の座席は空いていた。私あたりは、すぐ前に座った男が邪魔になったので、ひとつ後ろの席に移動できたぐらいだった。もっとも、すぐ前にだれも座っていなくて、ステージ全体が容易に見渡せる状態だったのは1曲目だけ、そのあとで、遅れてやってきたご婦人がその前の席に座ってしまったために、私の視界は前以上に悪くなってしまった。何しろ、そのご婦人ときたら、髪の毛をフワフワと、まるで鳥の巣のような形にしていたのだから。

 最初の曲は、ウェーバーの「オベロン」序曲。この曲の導入部のゆっくりした部分を聴くだけで、下野の特質は明らかになった。フレーズの見通しが非常に小気味よいのである。ひとつのフレーズが終わる頃には、すでに次のフレーズのことを考えているというように、全体の大きな流れの中で音楽を作っているのがよく分かる。従って、音楽はいささかの滞りもなく、ごく自然に先へ向かって進んでゆくのである。これで、仙台フィルの弦楽器が、包み込むようなフンワリした肌触りを出してくれれば言うことはないのだが、いささか潤いの欠けたものであったのは、ちょっと残念であった。これは、あるいは会場の残響のせいもあるのかも知れない。彼らのホームグラウンドである、青年文化会館のコンサートホールでかつて「マタイ受難曲」聴いたときには、もっと充実した響きであったような気がする。従って、下野の小気味よいタクトと相まって、やや物足りなさを感じてしまったのは、告白しなければならないだろう。

 しかし、この物足りなさも、次に演奏されたブルッフのヴァイオリン協奏曲の比ではない。ここでは、この下野の音楽性とソリスト(神谷美千子)の要求とが真っ向から対決してしまい、いささか緊張感の欠けたものになってしまっていたからだ。このヴァイオリニストは、フレーズの終わりを丁寧に歌うことが何事にも優先する美徳のごとく信じているのかも知れないが、それはいささか時代遅れの感覚のように思えてならない。第3楽章も、極めてスリルに欠けた、間延びしたものであった。実は、このころになって、会場の冷房の効きすぎがいささか老体にはこたえるように様になってきていた。雨模様のやや蒸し暑い感じの天候だったので、少し薄目の服装で来てしまったのがこれほど悔やまれたことはない。だから、間の抜けたヴァイオリンと相まって、寒さにうちふるえる身としては、とても演奏に没頭できるような状態ではなかったのである。

 休憩後も、冷房が弱まる気配はなかった。しかし、ドヴォルジャークの交響曲第8番が始まった途端、そんなことなど全く気にならないほど演奏に惹きつけられてしまったのには、我ながら驚いてしまった。良く聞き慣れた冒頭のテーマが、まるで異なった様相を以て眼前に広がっていたのである。それは、この曲を語るときに良く言われる「ボヘミヤの田園風景」というような、ある種のセンチメンタリズムを伴った情緒的なものとは一線を画した、極めて明確な主張が込められたものであった。揺るぎないテンポ感に支えられた中で、各々のフレーズは見事に歌いきられているという、恐るべき音楽が、そこに展開されていたのだ。
 このような文脈で、第2楽章も第3楽章も進んでゆく。そこにあるのは確固たる意志の力に裏打ちされた強固な音の響き、女々しい情感など入り込む隙もないほど、力強いものとして、迫ってきた。
 終楽章になると、そこに、さらに輝かしい熱気が加わる。トランペットのファンファーレに続く弦楽器ののどかなパッセージが終わった瞬間、鳴り響いたトゥッティのなんと生気に満ちていたことか。一瞬放たれるホルンの咆哮(文字通りの雄叫び)には、思わず度肝を抜かれてしまったものだ。そのまま最後まで、見通しの良さを保ちつつ続けられた音楽が最後に迎えたクライマックス、下野の思いは、明確な形をもって、私たちの前に見事に全貌を現したのであった。

 交響曲のこの盛り上がりを受けてアンコールで演奏されたのは、なんとバッハのアリア(組曲第3番)だった。しっとりと落ち着いたこの曲で、しみじみと演奏会を締めくくるという下野のセンスを好ましく思うと同時に、この曲から第2ヴァイオリンやヴィオラといった内声の「歌」をはっきりと示してくれたバランス感覚の妙にも、感じ入ってしまった。

 ところで、交響曲の終楽章253小節目で、チェロのパートに普段聴かれるものとは異なるメロディーが出てきて、一瞬驚かされたものだ。この部分は、以前このサイトの管理者が別の演奏家について指摘したものであったが、まさか、下野がこのようなことを行うとは、想像も出来なかった。そこで、終演後楽屋まで押しかけて、知己であることを良いことにして、本人に問いつめてみたところ、あれは「自筆稿による演奏」であるということだった。原典版のスコアですらこれは誤植として処理をしているというのに、下野は自筆稿まで遡って確認をしたという。この辺の旺盛な探求心も、彼の大きな武器となって来るに相違ない。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

 TopPage  Back

Enquete