読書記録2001年一覧へトップページへ


読書記録2001年7月


『南無阿弥陀仏』
永六輔(三月書房)/エッセイ・人生/★★★

唯一の?書き下ろし、ということで、かなり真面目な内容だ。タイトルの南・無・阿・弥・陀・仏、の全六章、生と死、信仰についてのエッセイ。自身を振り返りつつ、いかに日常で生死、信仰を考えてもらうか、ということを追求した本…だろうか。やさしいようで難しい。

永さんが茶化して笑うのは日常から離れてしまった宗教、ワケがわからないがなんだかありがたい権威…そういうものらしい。日常から遊離した、そんなものには意味がない、と。とにかくありふれた日常、日々の暮らしを重視している。そんな日常に訪れる、著者の死へ対する悲しみやユーモアも微妙だ。一歩間違うととんでもないことになる。ここのバランスが上手で…真面目な方である。

テレてどうしても素直に接せなかった、という、下町の住職である永さんの父が書いたものもある。なんだか…やはり親子というか…似ている。

この本で特に印象深かったのは、奈良県吉野郡川上村についての記述だ。こういう日常に信仰が生きている姿、神仏混淆だろうが関係ない、いいよなぁ…。あ、あと寺で育つ子供は特殊な悩みを持つことを知った。


『新訳・森の生活(ウォールデン)』
ヘンリー・D・ソロー,訳:真崎義博,イラスト:本山賢司(JICC出版局)/エッセイ・思想・消費文化批判/★★★

19世紀、アメリカのコンコード、ウォールデン湖のほとり…村外れの豊かな自然の中で、社会に迎合せずひたすらシンプルに自給自足…その二年間の生活や思索を綴った本。繊細なタッチの動物のイラスト付き。

敏感な感性、自然や動物の細やかな描写が美しい…などとと軽々しく書いていいのだろうか。19世紀のアメリカ人が、文明を、自分自身を失いがちな大量消費社会を辛辣に批判している。内的な豊かさを追求している。文章自体は平易だが、内容が…難しい。この本に接するにはこころが汚れているかもしれない。何度も何度も読み深める本だろう。とても感想など書けないが、感じたことを支離滅裂だろうと無理して書いてみる。

著者ほど自然へ真摯に向き合い生活できれば(ただ自然を愛せ、ではない。そこが難しい)、それは尊いという言葉以上のものがあるが…私はここまで強くない。強烈な憧れを感じるが、それは中途半端もいいとこだ。もうすっかり文明社会に浸りきってしまって(それに私はそれによって生きるのが可能な存在だ)、鉄道や電話など不要とまで言うソローの極端な価値観を全面的には受け入れられないが…こういう価値観、生き方を汚したくない。が、間接的に壊している…困った。

今はない、あるいは失ってしまった、価値あるもの、豊かさを、幸せを感じられるものとはなんだろう?安定した生活ができないほど足りなくて余裕が持てなくては困るが、過剰に労働してカネやモノを貯め込んだり、周囲に合わせて盲目的に消費しまくることでないのは確かだ。現代人はどれほどのゆとりを持っている?そのゆとりになにをしている?現代社会の甘い汁の味を覚えてしまったら、ソローのように生きるのは、おそらく大変な困難を伴うだろう。しかし今求められているのは、ソローほど極端なものでなくとも、まさにこういった価値観のように思われる。

会社などでの労働や競争、社会に促されるままの消費、そこでの人間関係、などに喜びを感じられない方が読んだら、強烈な衝撃を受けるに違いない。


『これ一冊で「聖書」がわかる!』
白取春彦(三笠書房)/キリスト教/★★★

聖書はこれ一冊で分からないことを念頭に置きつつ。

教養として聖書がどんなものか知っておこう、という、聖書を全く知らない人対象の解説書。

聖書の内容、歴史背景、と駆け足の解説で、細かいところで気になる部分はいくつかあった(例えば…旧約、士師記、サムソンはペリシテ人にただ殺されたわけではない)が、宗教に慣れない現代人でも受け入れやすく語られた、良い解説書だと思う。まぁ私に判断する能力などないが。たとえ宗教心ゼロの日本人でも、的外れな誤解を抱かないために、キリスト教の説く、信仰、天国、罪、救い、についてなど、この本で語られるくらいは知っておいた方がいいだろう。

キリスト教に好意的な一方で、たった数ページだがイスラム発生についてはアンマリではないか。これでは読みようによっては、ムハンマドは負け知らずの狂信的な盗賊団の頭、イスラム教はその教えみたいだ。こんなこと裏付けも全く示さず断定して、ここで書く必要があるのか?『これ一冊で「哲学」がわかる!』を読んだときも思ったが、著者はキリスト教にかなり肩入れする傾向がある。そこが少々アンフェアでは、と感じた。この本では仕方ないのか?

大筋をザッと辿ってくれる、わかりやすい一冊だった。


『歴史教科書何が問題か 徹底検証Q&A』
編:小森陽一、坂本義和、安丸良夫(岩波書店)/歴史・教育/★★★

報道で騒がれている扶桑社の『新しい歴史教科書』…これほど問題視されるとは一体なにが書かれているのか、と非常に興味があったが、私の場合それのみ読むと、違和感はあるが問題ない、と納得してしまう可能性が高いし、「つくる会」に印税が入るのもなんだかシャクだ。ということでこの本を買って…正解だったようだ。引用文や構成の説明を見る限り『新しい歴史教科書』に触れるには、相当の知識と注意力が必要なようだ。

内容はタイトルのとおり。歴史研究者など、多数の専門家による徹底検証。この教科書をめぐるウラの政治的動き、構成、検定後も残った数十ヶ所の細かな記述の誤り、神話、歴史、女性観、子供、周辺諸国への影響、などなど…問題点のオンパレードだ。いや〜、まいった…。「つくる会」や肯定派の方々は、この本の指摘、批判に反論できるだろうか?『新しい歴史教科書』を読んで、どこが悪いのか不思議に思った方はこれも読んで欲しいな。

これを読む前…私は「つくる会」の主張に共感はできないが、教育の多様化、自由化に賛成で、教科書検定に反対なので、思想的にどうであろうと事実に誤りがなければ国家が一方的に検定で切っていいのか?という点で特に、報道での騒がれ方に疑問を感じていた。それにもきちんと詳しく触れられていた。

記述や思想の問題よりも、政治的なウラの働きかけや動き、巧妙な仕掛けに憤り、しかし感心してしまった。教育の自由、多様化とはほど遠い。正反対だ。やり方が実に汚い。

子供への影響…まあ実際のところ、市民や教師の意見を無視して採用されても、あまり影響はないと思う。試験前に語句や人名の暗記以外で(この点でも問題が多いが)、自主的に教科書を開く子は少ないだろう。まして真剣に熟読するか?教科書のみを頼りに独自の歴史観、思想を持つ子がいるのだろうか。たぶん担当教師や教師が用意する資料に大きく影響を受けるだろう。他からも情報はいくらでも入るし。

…ふとひとつ思い出したが、自分の中学の社会科担当教師は、レッドパージについて独自資料を用意して、熱弁を振るったっけ。これだけ有名になって…子供よりむしろ大人への影響の方が大きいんじゃないかな。

今、最も深刻な状況になっているのがアジア諸国、特に韓国の反応、対応だ。この本を読んで…『新しい歴史教科書』を表向きは政府見解と違うと言いながらも、検定制度を巧みに悪用し、ウラでこういうドス黒いことをして教材として使うとなれば、彼らが怒るのも仕方ない、いや、当然だと思う。他の歴史教科書も、圧力を受けてずいぶん変わってしまったという。自由主義史観にも、この国の態度にも、私は「誇り」を持てないな。

* * * * * * * * * * * *

2001/9 追記
従軍慰安婦、家永裁判、女性観など…読み返してみると、少なからず左に偏った記述も多い。歴史は語る人によって全く異なってくる。難しいものだ。


『チーズはどこへ消えた?』
スペンサー・ジョンソン,訳:門田美鈴(扶桑社)/寓話・ビジネス/★

状況の変化を恐れるな、変化を予測しよう、変化に素早く対応して「チーズ」を得よう、そして変化を楽しもう、という内容。とある同窓会、寓話、寓話後のディスカッションという構成。冒頭で、チーズは「人生で求めるもの」、迷路は「チーズを追い求める場所」を暗示している、といきなり解説があるが…。

この寓話でチーズを得るか得ないかは、状況の変化に対応するかしないか、にかかっているわけだが、それは生か死かというかなり切迫した状況にある。だから、チーズはそのまま生きる糧、仕事を示しているとするのが無難だろう。ディスカッションでもそういう流れになるし。迷路は会社組織や社会と解釈。変化への対応はその中での生き残りの方法。チーズが消える→ネズミの如く機敏に迷路内で対応→新たなチーズを得る、この変化を楽しむことでやりがいを感じよう、ということだろう。考え方を変えることで、クビや左遷、従来の方針転化、倒産、などの恐怖やショックを前へ進む力にしよう、強いられるスキルアップに喜びを感じよう、と。なんだかんだ要するにビジネスの指南書、現代社会のサバイバル術、自分救済の本であろう。

変化を賞讃してはいるが、結局根本的な価値観が従来となんら変わっていない。限られた変化への強迫観念を煽っている印象を受ける。私はこの変化には幸せを見出せない。変化うんぬん言うなら、その根本の価値観自体も変えたらどうか。変化にも色々ある。多様な人生の目的がある。ジュリエット・B・ショア著『浪費するアメリカ人』で語られるような新たなライフスタイルや価値観、それも認められるように…寓話中で否定されてはいるが…迷路(社会)そのものをどうにかしたいものだが。人にはそれが可能だと思うのだが。

はっきり言って冗談じゃないよ、こんなの。全然幸せじゃないよ。

好意的に、拡大解釈するなら、生きていれば様々な変化があるのだし、まぁ至極ごもっとも。ネズミの如く生きようとは思わない(これを幸せとは到底思えない。人生効率が全てではない)が、変化への柔軟さは持っていた方が良い。

違和感があった一冊だった。チーズや変化とはなんなのか、落ち着いて考えたいものだ。


『大往生』
永六輔(岩波書店)/エッセイ・人生/★★★

前半は老い、病、死、についての一般人の名言集。理解、共感できるもの、あぁ、と気付かされるものが多いが、よくわからないものもポツポツ…様々。老病死の語り方は実に人それぞれだ。

後半は仲間、父について、対談や著者の文など。老病死という思いテーマを、ユーモアを交えながら説く。

…老人病院の病棟へ実際行きそこを見て、ユーモアの感情を持つのは難しい。もう死が間近の老いや病、痴呆などは、冗談抜きで深刻にならざるを得ないことだと思う。そんな老病死を病院という閉じられた空間に隠微せず、もっと身近なものにしよう、という著者の主張には賛成だ。それは生きているからには当然訪れるものなのだし、著者は死の商品化と現代を嘆くが、ということは皆その情報を求めているのだから。それらを日常生活から切り離した特別の存在にしてしまうと、メリットよりデメリットの方が大きい。

身近でないから必要以上に深刻に、大袈裟になりがちなのだろう。特別視するのはやめようよ、てことだね。身近なものならより自然に考えられるはずだ。しかしやはりそこである程度自分なりに真剣に考える必要があると思う。基本は自然体で、シリアスとユーモアのバランスだな。

しかしホント著者はイイ意味で庶民派だなぁ。ウマイ!と、生意気なことを書いてお終い。


『ふたりのイーダ』
松谷みよ子・絵:司修(講談社)/児童文学・原爆/★★★

夏休みに母の実家に預けられた少年と幼い妹。そこで少年は決して忘れられない不思議な体験をする…。

この物語は主人公の直樹と同年齢の頃に読んだことがある。再読して、その時なにを感じたか、かなり思い出してきた…。のめり込んで、次がどういう展開か、不安な気持ちで読み進んだ。読み終えて…著者の最も伝えたかった原爆の悲惨さは全くと言っていいほど印象に残らなかった、確か。

子供心に強烈に残ったのは、椅子へのやりきれない想いだ。コイツ(主人公)なにやってんだよ!と頭にくると同時に、相当感情移入していたのだろう、どうしてこんなことに、違う道はなかったのか、あぁ主人公(自分)のせいで…と、なぜか自分まで後悔した。原爆のことなんかそっちのけで、椅子に対して取り返しのつかないことをしてしまった、そういう強烈な不安感と妙な罪悪感が後々まで残った。

そうそう、りつ子さんはミステリアスだが美人だ、と思い込んでいたっけ。二人きりの場面でなぜかドキドキしたり、医者はりつ子さんの背中を見るとき胸も見えたろうか、とか考えたりして…我ながら戯けたガキだった。だから最後の最後は辛かったはずだが、そこで原爆と関連付けては考えなかった。謎の答えの、実はイーダは…で頭がいっぱいだったような気もする。

今読み返しても(一応断るが、ここに書くのはこの物語の感想)原爆の悲惨さより、椅子が崩れる場面の方がよほどショッキングだ。主人公が無我夢中で逃げる気持ちや、母親の顔を見て緊張が切れ、号泣する気持ちがよくわかる。

原爆がどうとか、そういう大袈裟なものではなくて…手紙を書くりつ子さんの心情、椅子の絶望、取り返せないものを失う(壊す)気持ち…あぁ、また上手く表現できないが、もっと身近な…そういうようなものが強く残る。原爆投下の結果こういう出来事が起きた、だから戦争や原爆は悲惨である、ということなのだが、それとは微妙に違う…う〜ん、やはりピントがズレているのだろう。それが語られていることはよくわかるのだが、なぜか直接つながらない。その方向へ向かわない。その要旨だが、最後のページの三行がなぜか妙に説明臭くいやらしく感じて少々冷めてしまった。私は読解力のないひねくれ者だ。原爆への見解は著者とおそらく同じだが。

子供だった頃の私は、要旨とは違うことを感じとった。普通の児童は原爆は悲惨だ、とストレートに読みとるのだろうか?


『現象学入門』竹田青嗣(NHK出版)/哲学・現象学/★★★★

「現象学の基本問題」
「現象学的「還元」について」
「現象学の方法」
「現象学の展開」
「現象学の探究」
の全五章と用語解説。

大雑把に…
一章は「主観−客観」の問題、二〜四章がフッサールの現象学について、五章は現象学への批判の検証と現象学の後継者について。本文もだが、用語解説もまた親切。

『はじめての現象学』の方が後に書かれた本だが、あっちを先に読んでおいて良かった。飲み込みの悪い私は先にこれを読んでも意味不明で終わったろう。あれの中盤までの部分をさらに詳しく教えてくれる。

早速感想…
とても消化しきれないのでロクなことは書けないが。基本的に『はじめての現象学』を読んだときと同じである。なにより「主観−客観」図式を崩したことが凄い。これに固執すれば一章で示されるような迷路に迷い込んだり、フッサールの言う、生活世界と理念的世界の関係の転倒、になるわけで。とはいえその図式に慣れきってしまっているため切り替えは難しい。が、完全な客観自体は存在しない、それによって自分自身や他者が規定されるわけではない、などなど、この本で語られることは少しでも頭に入れておいた方がおいた方が良さそうだ。ナンセンスな問題に悩むことも少しは減るだろう。自分自身の生き方や生の意味、価値は、それぞれ自分自身が生きる現実世界にあるということだ。そこから共通了解を見出していこう、と。

あ、あと五章のサルトルへの批判…そこまで著者による現象学の解説を読んでくると…「即自−対自」や投企→超越=自由、の考え方は、確かに現象学とは全く関係ない。サルトルの問題点も知ることができて良かった。


『新撰組の哲学』
福田定良(新人物往来社)/歴史小説/★★★

新撰組の思想でも説いてくれる本かと思ったら全然違った。表紙の裏に、想像力たくましい老人の夢物語として読め、と著者の言葉がある。またまたご謙遜を、と読み出したら本当にそれそのもの。新撰組マニアの老人が夢で見たという、新撰組の日常のエピソードの数々。三国志演義ならぬ新撰組演義、さらにその細かい空想話なので、新撰組を全く知らない人には面白さ大幅ダウン。去年、司馬遼太郎著『新撰組血風録』を読んでいたおかげで、そんな空想話も楽しめた。

「えらい人・芹沢鴨と山岡鉄太郎」「おれには見えない」…このふたつのエピソードで語られる意味で、新撰組の連中は「えらく」なかった、だから私は彼らが好きなのだろう。

「斎藤一の訓話」は実に可笑しい。斎藤の説く士道、ハラハラする土方、しかしこのラスト。馬鹿一筋というか…尊敬とは少し違うのだけど…こういうの、憧れる。

他の話も笑ってしまうものが多いのだが…実際こんな感じだったから、新撰組はああいう結果になったのかもしれないなぁ、と、なんだか哀しくなってしまった。


読書記録2001年一覧へトップページへ