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読書記録2000年10月


『イサム・ノグチ』
(上・下)ドウス昌代(講談社)/伝記/★★★

二十世紀、父が日本人、母がアメリカ人の芸術家の伝記。父母も、そしてなによりイサム、まさに波瀾万丈の人生。

いつもどおりのメモと雑感を。

上巻の半分くらいが父母のこと。夫、親としては最悪の父。強い、とにかく強い母。この両親の複雑な関係に子供時代は翻弄される。父を憎んでいても、その父の詩をよく読んでいたり…複雑な父への感情。詩人として夢を追いかける姿は、後のイサムに似ているかもしれない。芸術に生きる意味ときっかけ、環境を与えてくれた母…イサムの生き方は見事に母が望んだ通りだったのではないだろうか。

尊敬できる多くの人々との出会い、父には捨てられハーフで居場所が定まらない、アイデンティティをなにに見出すか…これらが芸術家としての成功の鍵、信念、糧になったようだ。ひとつの成功にとどまらず、次々新しいことにチャレンジする姿勢にも。

数多い女性遍歴…でも遊びではなく一人を本気で愛してしまう。それがインスピレーションにもなったようだ。妻以外で特に印象に残ったのはインド、ネルーの姪タラと、イサムの最期を看取ったプリシラ。

人種差別や偏見など(特に広島原爆慰霊碑の一件)の理不尽さにはハラがたった。

最も重要な芸術うんぬんについては、知識、センスともに欠けているため、わからないことが多かったが、東洋西洋の狭間を揺れ動き、伝統と革新、自然と人工の垣根をうち破ろうとした芸術家、てとこかな。作品の写真を見ても良いのか悪いのか理解に苦しむ…前衛芸術ってわからない。

最後に…彼は格別だろうが…人間って複雑。


『一億の地雷 ひとりの私』
犬養道子(岩波書店)/エッセイ・社会/★★★★

ボスニアの現場、戦後50年を迎えて、ガンになった体験から、の三部構成のエッセイ。

メモと雑感を。

第一部。

要所を押さえた東欧、ユーゴ周辺の歴史解説がとてもわかりやすかった。過去、十九世紀に入ってから、そして現在、民族はなぜ対立するのか、そもそもあの土地の「民族」とはなんなのかなど理解を深めることができた。

内戦で苦しむ市民の姿…難民がなにを求め、それにどう応えていけばいいのか?援助の意味を私はかなり思い違いしていたようだ。あ、あと映画『パーフェクト・サークル』のタイトルのふたつの意味が今更ながら理解できた。

第二部。

ナチスとユダヤ人、強制収容所…この前読んだ『夜と霧』を思い出す。ユダヤ人がイスラエルという国を持つ意味が、どれほど大きいか改めて考えさせられた。

終戦前の日本…五・一五事件の当事者でもある著者の当時の体験談は非常に興味深い。そして、ドイツ、日本、ふたつの国の過去やったことと現状を見て…「謝罪」の意味を考えさせられた。

最後、第三部。

スイスの病院とリハビリセンターの考え方やシステムに、へぇ〜、はぁ〜、とひたすら感心。日本には、医、医学はあっても療がない…その通りかも。私が普段思ってることと一致するものがいくつもあってちょっと嬉しかった。

イジメ、日本の教育の問題点は今盛んに論議されていることでもある。著者の考えには大きなヒントがありそうだ。

クリスチャンでもある犬養さん、机上の空論ではない実践の人だなぁ、凄いなぁ、と感心させられた。句点やカッコの多用、長い一文などクセのある文章が少し読みづらかったが、紛争の現場で活躍する実践の人の話、とても良かった。


『車輪の下に』
ヘルマン・ヘッセ,訳:秋山六郎兵衛(角川書店)/小説・ドイツ/★★★★

子供から大人への過渡期の自伝的な小説。解説によると著者はその頃の自分の心理を主人公ハンスと親友ハイルナーに分離して表現しているそうだ。

全体を通して綺麗な表現で読みやすい文章。自然の描写の美しさには感動、訳文でそう感じるのだから、原文はもっと生き生きと生命力に満ちているのだろう。

一章の神学校受験前後の極度の緊張感、二章の次席で及第した後の開放感の対照が見事。どうもハンスの性格の悪さが気に掛かる(私の汚い面を指摘されるようだ)が、そうそう、こうなんだよね、と共感。

神学校…天才的で特殊な親友ハイルナーの独特の行動や価値観、その影響からか、それまでほとんど全てをつぎ込んでいた勉強の目的があやふやになり見失って疲れ果ててしまう…ここらへん、真面目でも優等生でもない私にはわかりづらい。ここで深刻に考えずに開き直ってしまえる図太い神経があればハンスも…。この迷いから「車輪の下に」ひかれてしまうわけだ。

で、その後の展開、このラスト。

どう受け止めればいいのだろう…?受験勉強で失われた感受性豊かな時期、挫折したときにその失ったものの大きさを知ってももう取り返せない。それを捨ててまでやったことは一体なんだったんだろう?裏切られた輝かしいはずの未来への希望、それまで他を見ずそれだけが全てだった価値観を失ったとき、人は…。やっぱり子供は自然の中で自由にのびのび生きるのがいいのかも。勉強しろだの学歴が大事だの、そんなものだけで極度に縛ると頭の良い優等生ほど危険なのかもしれない…。

最後に。著者は子供の時期の体験を非常に重視し、自然を愛しているようだ。大人になると忘れてしまうというが、私もその頃の、楽しく遊んだり喧嘩したり悪さしたり、そういう思い出を大切にしている方だと思う。これからもそうありたいものだ。


『夜と霧』
V・E・フランクル,訳:霜山徳爾(みすず書房)/ノンフィクション・ナチス収容所/★★★★★

戦争裁判の証言などからなる各強制収容所の詳細な事実解説、アウシュビッツに収容された著者の実体験と、心理学者としての客観的な観察による囚人の心理描写と考察、そして写真資料、の構成。

まず解説を読んで…頭の中が暗くぐるぐると回る。ナチ側の戦犯たち、人間という生き物はここまでやってしまうのか!今までテレビで伝えられる程度のことしか知らなかったので、この詳細な事実を突きつけられ強烈な衝撃を受けた。収容所で恐ろしい罪を日常的に犯しながらも、家庭や世間では心優しい善人と見られていた人間もいる。そういう二面性を人は持っているのだ…。

で、本編。感情的にならず冷静な、淡々とした文章。「すなわち最もよき人々は帰ってこなかった」の一文に象徴される強制収容所…。自由、人間の尊厳、名前、家族、所有物、体毛まで…全てを奪われ徹底的に人間性を否定され破壊される環境で、人間にはなにが残るのか?日常の真理が全く通用しない環境で如何に生きるのか?

要約してみる。
精神的人間的に崩壊した者は収容所の世界の影響下に陥ってしまう。内的な拠り所(心の中での愛する人との対話や過去の思い出、芸術や自然への感心など)を失った者から自我の喪失、崩壊、そして死が待っている。しかしそれがあったとしても未来への希望を失ったとたん崩壊してしまったり、今を「仮の存在」としてしまい、現在、未来への存在を持ち得ず、道徳的な危険が出てくる。「今」を無価値なものと考えず、その時にも目をそらさず現実をも直視することができれば、内的に飛躍する機会がある。ひとつの決断ができる精神的自由。「人生になにを期待するかではなく、人生が我々になにを期待するか」ということ。苦悩、そして死すらも意味を持っている。ここまで到達するのは非常に難しいが決して不可能ではない…。

これらのことは囚人だけに当てはまることではなく、少数の看視兵にも見られたように、我々においても言えることだと思う。ひとつひとつの選択が我々の場合は日常生活に紛れてしまって、収容所のようにはっきりとした形では見えてこない。だからこそ普段から意識しなければいけないのでは、と思う。

本編も読むのが苦しくなるような過酷な内容(特に早朝の描写には本当に胸が締め付けられて涙が出ちゃった)なのだが、心の底から感動できるようなものもいくつもあって…あ〜、この本の素晴らしさ、私の稚拙な表現では全然伝わらないなぁ。

とにかくとてもとても大きな啓示を受けた。この本は万人にお勧めしたい。我々はこれを体験できない(できたら大変だ)が知ることはできる。出版者の前書きに「〜かかる悲惨を知る必要があるだろうか?〜知ることは超えることである」とあった。ちょっと難しいかもしれないが中学生でも読めない内容ではない、読んでなにか感じ取ってもらえば「どうして人を傷つけては、殺しては、自殺してはいけないの?」などの問いは出ないのではないだろうか。

悲惨な歴史的事実だけでなく、現実的に深く「人間存在」と「自由」について語る『夜と霧』素晴らしい、別格の名著だった。


『カント哲学の形成と形而上学的基礎』
ハイムゼート,訳:須田朗、宮武昭(未来社)/哲学/★★

タイトルどおり。基礎とあるから手を出したが入門書ではない超難解な論文だった。半端じゃなく難しい内容で私が読めるような本ではなかったがうえ、私はカント哲学をほとんど知らない、というわけでロクなことは書けない。いつもか。メモと雑感を。

まず第一章で古代の空間論、キリスト教の新しい世界観、そしてデカルトから始まる哲学者たちの「空間」に対する考察と論争を確認していく。空間…今まで彼らが言うようなこと考えたこともなかった。で、カントの登場、コペルニクス的転回、発想の大転換。「空間」は我々の内にある直感的な形式、としてしまった。『ソフィーの世界』ではサングラスに例えていたっけ。

第二章からカント哲学について。我々はなにをどこまで認識できるか?「物自体の概念」の説明を読むとそれまでの哲学者の語っていたことがガラガラと崩れていく。感性界と英知界、受容性と自発性…。
空間に加えて時間すらも形式にしてしまった。人間の知り得ることには限界がある。しかし認識できないはずの物をカントは認識しちゃっているように思うが…。なにか矛盾がある気がするがよくわからない。が、確かにカントの説明なら、従来の哲学ではおかしい答えしか出せなかったものにも答えが出せる。これもなんとも奇妙だけど。

なぜ「〜ならば〜すべし」ではなくて「〜すべし」の定言命法に従うことが自由なのか?因果律で縛られた中で自由になるには(自分らが感じる欲求もこの状態から来るものだから)道徳律に従うしかない。このことで感性界から自由になれるし本当の自己にも近づける。うまいこと言うものだ。

デカルトの「我思う」の「我」もカントのように考えると…う〜ん、面白い。統覚、見えない自己、か…。

ちょっと読んですぐ、これはマズイ、と思い、とりあえず重要と思われる語句を頭に入れて、既成概念、無意識に持っている常識を全部捨てて読んだ。熟読したつもりで読んでいるときはふむふむと理解しても後になって考えてみるとぽこぽこ抜けている…はぁ。時間が経ったらすっかり忘れてしまいそうだ。


『日本神話の考古学』
森公一(朝日新聞社)/考古学/★★

国生み、三種の神器、出雲と日向、神武東征などにまつわる神話が考古学的に検証される。

古事記、日本書紀、出雲国風土記などで語られる日本神話。突拍子もない話も多く、私なんかは笑い、物語として楽しんで終わりにしてしまう。が、この本のように遺跡や出土品などの資料からひとつひとつ検証していくと、決して全てがいい加減な話ではないことがわかる。尾ひれが付いているとはいえ神話も歴史を語っているものだ。そういえばいつか旧約聖書の話でも発掘によって立証されているものが多くある、と聞いたことがある。

大きな疑問がひとつ、熱海神宮、伊勢神宮に今も伝わるという草薙剣と八咫鏡…。これって公開されていないのだろうか?研究者でも見ることはできない?何故?不思議。

発掘で新発見があると今までの説がコロッと変わってしまう。海上の往来の盛んさ、弥生時代の戦乱、など私が学校などで教わったことと違うこともいくつかあった。考古学ってこういうものなのか…。

もっと読み物として面白いものを期待していたが意外と敷居の高い本で少し残念。でもそれなりに楽しめた。


『嘔吐』
ジャン・ポール・サルトル,訳:白井浩司(新潮社・新潮世界文学 47)/小説・フランス/★

哲学者サルトルの初めての出版物。日記調の小説だが、難解な哲学的内容。ある日主人公ロワンタンは海へ小石を投げようとするが、その石を見て嘔気に襲われる。その後度々起こるこの嘔気の原因とは…。

内容を辿ってみる。
マロニエの木がある公園でそれに気付く。全てのものを区切る抽象的なもの(赤とか円とか)を取り除くと、全てがねりこそのものに見えてくる。他の存在を認識してこそ自分自身が存在できる、他の存在なくしては自分自身は存在できない、自分など存在しなくてもいいよけいなもの、しかし自分は存在するために他の存在が必要…こうして人は存在への不安を感じ、様々な理由を付ける。が、本当は自分自身を含め存在するとは偶然、完全に無償に、ただ単にそこに在る、ということ。しかし主人公はそういう「存在」に不安を感じる。これが嘔気の原因…こういうことだろうか?

…わからないなぁ、本当にワケがわからない。

存在しないものを存在するかのように、小説に書くことによって「存在」を考えてみたい。最終的に主人公はこのことに希望を見出しているようだが…違ってるだろうか?あぁ、誰かにわかりやすく解説して欲しいものだ。

鬱々々…読んでいるこっちまで気がおかしくなりそうだった。こんな難しくて楽しくない小説、よく最後まで読み通したと思う。苦痛だった…高校の倫理の資料を見たら『実存主義とは何か』の方がずっと読みやすくて面白そうだ。そうでもないかなぁ。いずれチャレンジしよう。

* * * * * * * * * * * *

2001/5 追記
即自存在の発見と、対自存在として生きる希望、が描かれていた…のかな?たぶんそうだと思う。


『幕末』
司馬遼太郎(文藝春秋)/歴史小説/★★

幕末の暗殺劇など、舞台裏を集めて描かれた歴史短編小説集。

暗殺者というと冷静かつ冷酷、といったイメージがあるが、やっぱり血の通った心ある人、そんな人間味ある暗殺者が描かれる。彼らは妙な(失礼だろうか)使命感を覚え、歴史の渦に巻き込まれてしまったごく普通の人間、といったところだろうか。

教科書に載っている人名くらいしか知らない私には少々難しかった。きちんと詳しい予備知識があればさらに楽しめたろうに、と残念。思想的対立なども描かれるのだがよくわからない。とにかく、勤王攘夷の思想、歴史教科書の説明などとはだいぶ違うもっと複雑なもののようだ、と知った。

新撰組の話もけっこうあるのかと期待していたが、ちょっぴり登場するだけ。いずれ筆者の『新撰組血風録』という作品も読んでみたい。


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